01:短刀


 蚊取り線香のにおいが漂う曽祖母の家。旧家の物置に、それはあった。物置の整理中、遠い過去の遺物。閉ざされた箱を開けば、現れたのは一振りの日本刀。
「……短刀?」
 わずかに煤けたにおいがする物置の奥。それは守り刀だと、誰かが言っていたような、錯覚がした。


 朝、机で目が覚める。書類の整理をしたまま寝たようだ。そっと服の裏を確認した。寝るときだって枕元に置いて、肌身離さず持つ刀はそこにあった。
 朝日が隙間から差し込むので、グッとストレッチをする。朝まで机に寝ていて、誰にも気がつかれなかったのは珍しい。
 シャワーと着替えと朝食と諸々。そう考えてから、また刀を撫でた。いつからか、精神安定剤のような役割を彼は担っていた。

 刀を持ち歩くなんてとんでもない。だから常に隠して、誰にも言わずに懐に忍ばせていた。今のところ彼が活躍したことはない。今後も活躍しないに越したことはないと思う。


………


 対象を見つけた。音をなるべく立てずに追いかける。派手に動く男の先には年下の上司がいるはずだ。安心したわけではないが、少し気が抜けたのかもしれない。
「っう?!」
 男に何かを投げつけられた。それがガラス片だと分かると、眼鏡が傷つくだろうなと思った。
 一瞬の隙をついて男が向かってくる。男の手には拳銃。そんなものを隠し持っていたのかと、目を見開いた。
 雄叫びを上げながら男は拳銃を鈍器のように振りかざす。嗚呼どうやら、レプリカだ。
 そうと分かればやることは一つ。
「っ!!」
 手を掴み、捻る。取り押さえる為に体を動かすと、服の裏の刀がちらりと燃えたような気がした。

 捕まえた男を引き渡していると、降谷さんが駆けてきた。どこか満足そうな顔に、珍しく褒められたような気がした。思わず頬が緩みそうになって、ぎゅっと唇を噛んだ。
「風見?」
 どうしたと降谷さんが言った。この人が何も言わないのなら、自分も言うべきではない。満足そうな顔だけで充分だった。なのに。
(熱い?)
 一瞬、燃えるように刀が発熱したような気がした。


………


 曽祖母と自分は苗字が違う。だから、刀を継ぐ必要なんてなかった。それなのに、手を離すことは考えられなかった。物置で見つけた刀は、自分が見つけ出したものだという愛着を感じさせた。
「あなたがそれでいいなら、良いの」
 でも、刀を持つならばと母は言った。
「常に清く正しくありなさい」
 その刃が己の血で濡れたりしないように。


………


 熱を持ったような感覚はすぐに消えた。錯覚だろうと考えて、今日は家に帰った。幻を感じるほどに疲れているのかもしれないと思ったのだ。
 着替えをして、刀を服の裏に忍ばせる。夕飯を久しぶりに作り、食べる。明日になったら元通りだろう。早めに寝てしまえば早く起きれる。朝日を浴びるのもいいなと思った。

 枕元に刀を置いて、横になる。替えたばかりのシーツからは仄かな洗剤の香りと、僅かな熱。
「……?」
 違和感を感じて起き上がる。いつものように枕元で眠る筈の刀は、燃えるように熱くなっていた。
 恐る恐る手を伸ばす。触れると手が焼けるようなのに、火傷はしなかった。
「どうしたんだ」
 そう問いかけると、鞘の中の刀がどくりと鼓動した。それは幻覚などではなかった。


………


 ところで、物置とはどんな環境だろう。旧家の物置。快適と呼べるのだろうか。否、否否否。決して、刀という繊細な一振りが、傷も錆も一つとて身に纏わずに保管されていられる場所ではない。
 何より、風見裕也が手を伸ばした箱には、厳重に封がされていたのだから。


………


 燃える刀身をゆっくりと抜く。月明かりで艶を放つ刀は、初めて見た時より美しく、強く、真っ直ぐに肌に当たる。
「きみの持ち主は、俺だ」
 導かれるように宣言すれば、刀はゆるりと揺らめいて、胸の中へと溶けていった。


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