07:真打


 飛んだ。
 鳥が飛ぶために必要な筋肉を考えたことがあるだろうか。飛ぶために不必要な機能を知っているだろうか。彼(彼女)たちはその全てを捨てて、空を選んだ。自由の為、多くのものを切り捨てた。そう、具体的にいえば、彼(彼女)は地上を捨てたのだ。

「ボクはね、」
 コナンがニイと笑う。風見は唖然とした。冬のコテージ、密室の殺人事件。その犯人追跡劇の中、コナンは風見に笑ったのだ。
「大切なものを亡くしたみたいだ」

 言葉を失くした風見に、コナンは背を向ける。するりと腰から引き抜いたのは、美しい刀。脇差であろうそれを、コナンは足元の雪に触れさせた。
「真打」
 氷のような声がした。真白な雪原に、彼の声が通る。ビッと電子回路が雪原を走った錯覚がした。

彼は捨てたのではない。
失くしたのではない。
亡くしたのだ。
─何を?

 風見が何かを言う前に、コナンは刀を小さな身体に引き寄せた。突き刺すように冷えた空気の中、はあっと凍った息を吐く。
「ボクの真打にできることはいくつかあってね」
 コナンはそのまま眼鏡を操作する。くるくると指先で弄り、トンと止めた。
「攻撃より、補助が向いているってボクは思ってる」
 にこりとコナンはまた笑った。深い雪の森の中、コナンは脇差を手に、高らかに宣言した。
「場所はボクが案内する。そして、風見さんも連れて行くからね」
「え、そんな、足手まといになるのに、どうして」
「必要だからだよ」
 灰原の言うことはよく分からないけどと、コナンは言った。
「あの日、博士の元に呼ばれたのは風見さんだろ? 博士が教えてくれたぜ」
 それは、つまり。

「風見さんはボクらの仲間なんだよね」
 つうと、冷や汗が流れた。ぞっとするような気配がする。ただしこれは刀堕ちに対するものではない、ただそこには、警戒すべき少年が、刀がいた。
「なあ、そうだろ」
 コナンは不敵な笑みを浮かべている。絶対に貴方はこちらの手を取ると、確信しているらしかった。
 そしてそれは、何よりその誘いが、風見を公安から、年下の上司である降谷から引き離すものではないのだと示していた。
「きみは、何を言っているんだ」
「情報は各人バラバラだな。でも、所属は何となくわかる。それが、特徴の刀なんだろう」
 残念ながら、真名も大抵のことも分からないんだけどなと、コナンはにこりと人好きのする笑みを浮かべて、本当に手を差し伸べた。

 小さな手を見て、風見は黙る。彼は信じて疑わない目をしていた。だけど、風見には違和感があった。
 真打、それが彼の刀の通称なのだろう。それはつまりどういうことか。
 そう、一番の違和感は。

「きみは何を亡くしたんだ」
 引っかかるのは始まりの言葉だ。風見の言葉に、コナンは唖然としてから、くしゃりと笑った。仕方ないなと、手を引いた。
「ごめんなさい」
「いや、私こそ、不躾な質問をしてしまった」
「ううん。それは、正当な指摘だよ」
 ボクはねと、コナンは繰り返した。
「ボクはね、大切ないのちを亡くしたみたいだ」
 風見は目を見開く、コナンは雪の中で遠くに目を向けた。そろそろ行かねばならない。コナンは言った。
「そういうものなんだよ」
 彼は行こうかと、足を踏み出した。


───鳥が飛ぶために必要な筋肉を考えたことがあるだろうか。彼(彼女)たちはその全てを捨てて、空を選んだ。自由の為、多くのものを切り捨てた。具体的には、地上を捨てたのだ。


 ならば彼はきっと、大き過ぎるものを切り捨てる事も出来ず、亡くしたのだろう。
 歩き出した背中を見て、風見はそう考えた。胸の中の熱が、ぼうと何かを燃やした。


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