風見+降谷+灰原/朧とイチゴ/夢の友人シリーズ6


 柔らかな声は遠くから。

 薄い雲がかかった空。満月はその姿を滲ませて、それでも爛々と夜に輝いていた。
「ご無事ですか」
 連絡用の携帯に声をかける。電話越しに降谷さんが怪我はないと囁いた。
『Aの資料を頼む。時間がないんだ』
「そちらが入りましたか。承知しました」
 ではと通話を切る。現在地は自販機の前。携帯を仕舞い、コーヒーを買った。

 デスクに戻り、作業をし、奇跡的に0時を回った辺りで片付けることができた。Aの資料はそう難しいものではなく、ただ、降谷さんのサインが必要だった。
 あとはこちらに来る時にサインを貰おうと鍵付きの引き出しに仕舞う。

 帰るか、仮眠室で寝てしまうか。着替えならあった筈だ。
 もう眠たいと欠伸を噛み殺して、シャワー室に向かった。

 ざあざあとシャワーを浴びて着替えて、数人いた部下や同僚に一言告げると、風見さん帰った方がいいですよと言われた。
「どうしてだ?」
「多分次の案件、長くなります。今のうちに帰った方が良いかと」
「……冷蔵庫の中身と部屋の掃除をする」
「自炊派ですか?」
「いや、ただ、少しな」
 首を傾げる部下に苦笑し、黙々と家に帰った。

 電気を付けて、窓を開けて、冷蔵庫を開く。生物は普段買わない。買っても直ぐに食べてしまう。だから普段はいつ家を空けてもいいのだが。
「降谷さんに押し付けられたはんぺんが……」
 堂々と鎮座するはんぺん。生物かはよく分からないが、そう保つものでもないだろう。きっと、おそらく。
 
 トースターではんぺんを温めつつ、レトルトのご飯を電子レンジで温める。梅干しを一つ、冷たい緑茶も淹れた。圧倒的に量が足りない気もするが、それよりも次の案件とやらが気になって、すぐに戻りたかった。
 リビングに運んで、黙々と食べる。貰い物のはんぺんはとても美味しかった。少し焼いても良かったかもしれない。それにしても一人分にして多いなと思っていると、ガチャガチャと玄関扉が開いた。
 様子を見に行くとビニール袋を持った降谷さんがいて。その腕には缶ビールがあった。

「いや何してるんですか」
「酒を呑みに来た」
「仕事があったのでは?」
「あったはあったんだが、早く片がついてな。そこでどこぞの誰かが明日は運動会だとか言い出して」
「えっと?」
「喜べ、明日は小学校の運動会だ」
「はあ?」
 それで祝い酒とでも言うのだろうか。

 缶ビールを一本ずつ、はんぺんをつまみながら、二人で呑む。酒を入れて寝ることはしたくないが、仕方ない。降谷さんはどこか上機嫌だった。怖い。
「朝ごはんは作ってやるよ」
「ええ、朝まで居座るつもりですか」
「ちょっと辛辣じゃないか」
「疲れているんです」
「何徹目だ?」
「二日寝てません」
「一睡も?」
「30分の仮眠はとりましたね」
「効率が落ちるぞ」
「誰が仕事を回したと思ってるんですか」
「それもそうだ」
 じゃあすぐ寝ろよと降谷さんは傲慢に笑う。全く、本当に誰のせいだと思っているのだか。

「客間は向こうです」
「分かった」
「キッチンはそこ、リビングはここ。トイレは玄関近くです」
「ふむ」
「風呂は反対側。これでいいですか?」
「充分だ」
 酒とつまみが無くなったことを切っ掛けに席を立つ。
 洗い物をしてから窓を閉め、カーテンが閉まっていることをチェックする。風呂はシャワーを浴びてきたからいいだろう。客間の掃除はこの間したから平気だ。
 それではお先に失礼しますと寝室に入り、ベッドに潜り込む。眼鏡はベッドサイドに置いた。
 すう、と眠りに落ちていく。深すぎる眠り、疲れが溜まっていて、もしかしたら友人には会えないかもしれないと思った。


………


「そんなこともなかったのね?」
「この夢はあまり関係ないらしい」
「こちらとしても不思議よ。まるで不規則で。ただ、どちらも現実で寝ていることがトリガーではあるみたいだけど」
「そうみたいだ」
 白い館のサンルーム。真昼間の光と植物に囲まれて、お茶会をしていた。
「今日はイチゴのフレーバーよ」
「とても香りが強いな」
「果物はいつもそうね」
「悪くない」
「ええ、本当に」
 お茶請けはイチゴのタルト。今日はイチゴの日らしい。ほろりと口内で砕けるタルト生地と、甘酸っぱいイチゴが美味しかった。
 思わず呟いていたようで、少女がクスクスと笑った。
「甘いものが好きね」
「きみはそうでもないみたいだ」
「限度があるのよ」
「同じだよ」
「そうかしら」
 少女は小さな手でフォークを動かし、イチゴのタルトを崩した。食べて、笑みを浮かべる。
「美味しい」
「そうか」
「貴方が美味しいと言うものは大体当たりね」
「舌が似てるのかもしれない」
「そうね」
 嬉しいかしらと少女が目を細める。だからこちらは、嬉しいさと笑った。


………


「風見、起きろ」
「はい」
 もぞりと起き上がり、眼鏡をかけるとエプロン姿の降谷さんがいた。そんなエプロン、我が家にあったか。否、無い。客間に荷物が増えているのかもしれないと気がついた。
「朝食ができている。9時に開会式だからサッサと食べろ」
「運動会ですか。仕事は」
「休みにした」
「うわあ」
 いいから食えと降谷さんは言う。着替えをしようと立ち上がる。だが、降谷さんは扉から離れなかった。どうしたのだろうと思いながら私服へと着替えを済ませ、カーテンを開く。曇っているのに明るい日だった。
「随分と、幸せそうに寝ていたな」
 寝ることが好きなのかと言われて、そうですねと答えた。
「夢でしか会えない友人がいるので」
 降谷さんは僅かに目を見開き、すまなかったと呟いた。勘違いをされているようだが、訂正はしないでおこう。現実で会えないことは事実なのだから。

 あの少女はどんな名前で、どんな生活をしているのだろう。お互いに何も話さない訳ではないのに、全てを話したことは無かった。きっとこれからもこの関係が続くのだろう。そう考えながら、朝食が楽しみですと降谷さんに話しかけたのだった。



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