降風/童話異端


 井戸端会議の産物。

「昔、昔のことです」
 協力者との待ち合わせ場所は図書館内。図書館の読み聞かせが子供たちの読書スペースから聴こえてきた。それはどうせ有名なアニメ映画を元に、改変されたハッピーエンドだろうと思っていた。それなのに、ボランティアスタッフは柔らかな声で最後の一文を読んだ。
「本当にお姫様は幸せになれたのでしょうか?」
 最終頁の設問は、とても子供たちに向けたものには見えなかった。

「大人向けの絵本だろう」
 そういうコンセプトの物もあると、降谷さんは教えてくれた。
 深夜のセーフハウス。人がシャワーを浴びている隙に勝手に上がり込んできた年下の上司は、これまた勝手に調理をし始めた。かちゃかちゃと普段は使わない調理器具が、棚や引き出しの中から出てくる。
「良い林檎が安売りしていたんだ」
「そうですか」
「ついでに、お前がまた食事を疎かにしていると聞いた」
「……」
 そろりと目をそらすと、降谷さんはじとりとした目でこちらを見た。

 献立は焼き魚と味噌汁と炊きたてご飯。芋の煮っころがしに、ほうれん草のおひたし。そして食後の林檎だ。
「朝食分はここにある」
「まだ林檎があるんですか」
「何を食べる予定だった」
「それは、その……」
 一切信用されていない目をされた。ちょっと酷すぎる。

 狭い部屋に上司と二人。食卓を囲んだ。
「いただきます」
「いただきます」
 二人で言ってから味噌汁を飲み、焼き魚を食べて、ご飯を食べる。体にじんと沁み渡る味付けは、今日の初めてのまともな食事だからという心遣いなのだろうか。とても嬉しかった。
 箸休めにでもと、ほうれん草のおひたしを食べる。今日も美味しい夜食だった。


 食べ終えると布団に入った。降谷さんはシャワーを浴びている。何でいるのかはもう考えない。考えたってどうしようもないことがある。
 シャワーから出てきて髪を乾かした降谷さんが、その滑らかな声で語る。
「お姫様は毒林檎を食べて死んでしまいました。ですが、死んでしまったお姫様に王子様が口付けると、なんと生き返ったのです。お姫様は助けてくれた王子様と結婚しました」
 降谷さん隣でそう唱えるように語ると、ゆっくりとした動作で仰向けの頬を撫でた。ああこれは、と思う。眠たくて目を伏してしまった瞼に彼の唇が掠め、鼻筋を辿り、唇に唇を重ねた。柔らかな感触。そうだ、分かる。
 これはお前がお姫様だとか、そういうことを言いたいのだろう。

「お前はお姫様が幸せだと思うか?」

 艶やかに降谷さんは笑う。まるで食われてしまうようだと、錯覚した。
「おやすみなさい」
「僕も寝よう」
 おやすみと、降谷さんは俺の布団に潜り込んで目を閉じたのだった。


 昼下がりの小さな鬱憤晴らしは、今では大変教育的なものになっているらしい。



- ナノ -