『削除しました』降風/一言目は嘘/真実を片手に有罪を呑む


「覚えてないな」
 其れ迄だ。

 朝起きる。支度をする。チェックをし、家を出る。鍵をかけた。
 風見は歩く。作業を進め、連絡に気を配る。連絡。メッセージだ。
 無作為とも思える数字の羅列。風見はそれを読むと、手早く書類を仕舞って、席を立った。

 駅前のベンチ。雑踏の中で、風見は鞄を手に座る。隣の男性は降谷だ。

「シフトが変わった」
「はあ」
 会議に出れなくなったということだろう。元々優先順位の低いものだったので、風見は大して驚かなかった。
「あと、」
「はい」
「飯は食え」
「……」
 風見は僅かに眉を寄せた。
「寝ろ」
「そう言われましても」
 貴方がそうしたのでしょう。言外に風見が伝えると、そうだったかと降谷は立ち上がった。

 そのまま雑踏に消えた上司に、風見は何だったのだかとため息を吐いた。

 つい一週間前、大きな案件が回ってきたのだ。それは元を辿れば降谷の指示で、風見は面倒なことになったと頭を抱えた。
 降谷は直接は関わらない。風見だって表立って動くわけではない。それでも、重要な役割を任された。気がついたら真綿に首を絞められていた。

 睡眠とか食事とか。そういったものを差し出さなければ片付けられそうになかった。
 その結果、昨日は気絶するように寝たのである。

 昨日、気絶する前に降谷さんが、風見を風見の家に連れて行って、胃に優しいご飯を食べさせて、寝かしつけた。何か言っていたが、風見は覚えていなかった。どうせ睡魔に負けるような人間の会話だ。大したことは喋っていないと思っていた。
 だが、風見の携帯に、未送信の文が残っていた。保存もされていない、吹いたら消えそうなメッセージ。

好きだ

 何も分からない。風見にはそれが何なのかサッパリ分からなかった。未送信のメッセージはまだ残っている。
 魚の煮付けが好きだとか、そういう話だろう。風見はそう思うことにした。だけど、先ほどの降谷が気になった。
 普段なら直接会って話すべきではない内容。記録媒体のやり取りも何もない。本当に顔見ただけのような、意味の分からない行動だ。昨日の未送信メッセージさえ無ければ。


 一週間後、慌ただしく案件は片付いた。


 風見は普段通りにデスクワークをしている。その時、ようと声をかけられる。降谷だった。
「珍しいですね」
「まあな」
 確認が必要なものを渡すと、降谷はパラパラと目を通した。いくつかの指示を受け取り、風見は作業に戻った。
 しかし、降谷はまだ風見の隣にいた。
「どうされましたか」
「別に」
 降谷は風見の手元を見ている。何処と無く居心地が悪くて、風見は保存をして画面を閉じた。
「一体なにが……」
 言いかけた時、メールが届いた。風見は一瞬そちらに目を向ける。気を取られたそのタイミングで、降谷は口を開いた。
「覚えてないな」
 何が、誰が、どういう事か。風見には分からなかったが、どうしようもなく空虚な言葉に、納得した。
「資料を取ってきます」
 分かること、分からないこと。分からないことの方がずっと多い。それでも風見は納得した。

 廊下を歩く。角を曲がると、風見はあの未送信メッセージを消したのだった。



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