『ハニーミードはまだ早い』オメガバース/α女×ω男/ボーイミーツガール
!暴力表現があります!



 手で叩かれると、派手な音が鳴る割りに、痛みは少ないらしい。でも、その音で驚いて、頭の中が真っ白になるんだって、初めて知った。

 夕日色の教室はがらんとしている。俺の前には、俺を呼び出した女の子しかいない。女の子の白くて長い手は、上げたままだ。
 叩かれたのだ。目の前の女の子に、俺は、叩かれた。こんなの暴力だ。無意味で、無価値で。何もかもに無頓着だった俺が悪いというのか。
 悔しかった。悔しくて、悔しくて、俺はその女の子を見上げた。俺と同じ目線より、少し上。恐ろしいほどに、鮮烈な赤の目を持つ女の子。
「決めた」
 人にしては薄すぎる、桜色の唇が動く。てらてらと塗られたグロスが半分は落ちていた、ように見えた。
「お前が私の運命だ」


 オメガバースというものがある。時代が進むにつれ、男女だけでは人口の減少が食い止められなくなった時、救世主のように突然出現した人間の変異体。研究が進み、それは人間と同じ姿をしているが、人間とは違って男女に加えてバース性という第二性を持っている。そして、そもそも、その第二性を持つのは突然変異の亜人とか化け物なんかではなく、正真正銘の人間であると、証明された。
 そして俺は男性のオメガで、いわゆるバース差別を目に見えて受けやすい立場になる。オメガは生殖機能に優れており、アルファやたまにベータ(第二性を持たない人とも言える)をも惑わすフェロモンを放つことができる。できるというか、放ってしまう。だから、アルファにもベータにも嫌がられやすく、変な目をつけられやすい。
 そうそう、アルファは高いカリスマ性と優秀な頭脳を持つことが多いらしい。生まれながらのリーダーであり、今の世界はアルファが牛耳っていると言っても過言ではない。
 そのうちクーデターとかでも起きそうだが、日本では無縁そうだなとも思う。右にならえが好き日本人が、指揮の素質を持つ人間からの指示に喜ぶ姿が浮かぶ。
 全くもって世界は薄暗くて、生きにくくて嫌になる。

 で、なんだっけ、運命だとか、何とか。
「は?」
 目の前の女の子は赤い目をキッと吊り上げていた。
「言っただろう。お前は、今この瞬間から、私の運命だ」
 何言ってんだこの人。ははと、からからした笑いがこみ上げた。だってこの人、運命だ、なんて。

 オメガとアルファには恋愛や家族での結びつきの他に番という繋がりを持てる。アルファがオメガのうなじを噛めば、番は成立する。
 番になると、オメガは番しか惹きつけないフェロモンを放つようになる。通常三ヶ月周期であるヒートという発情期も、軽くなることがある。
 そして何より番は、アルファだけが、他のオメガのうなじを噛むことで、番契約のキャンセルが可能である。残されたオメガは、片割れを失った喪失感などから発狂することもあるらしい。
 オメガにしてみたらハイリスクハイリターン。アルファにしてみたら、そんなに楽な話はない。
 そしてそんな番の中でも特別。運命の王子様のように、アルファにもオメガにも運命の番というものがあると、巷では噂されているのだ。
 それを、この女の子はなんと言った。
「私の運命だ。なんて、王様かよ、それも暴君だ」
「違い無いな」
「つきあってらんない。俺を引っ叩いたことは黙っとくから、俺の前にもう来んな」
 運命なんてバカバカしくて、そんなものお姫様の幻想なんだ。だから、俺には関係ない。本当に、第二性にいいことなんてひとつもないんだなと、再確認出来ただけだ。

「……だからだ」
「は?」
 いつの間にか俯いていた顔を上げれば、女の子は赤い目を鋭くして、俺に一歩、近づく。
「そんな目をしてるからだ」
 女の子の白魚のような手が俺の顔を撫でる。

 オメガの男は、綺麗な見目をしていることが、多い。凡人である俺も、それはそれは凡人のオメガらしく、そうであった。

 その事を、すっかり忘れていた。

「お前のその目が、迷い羊のようだったから」
 私はお前がほしいと、女の子の目は鋭いまま。でも、ここまできたら、よくわかった。
「……アンタ、不器用なんだな」
「お前にだけだろう」
「引っ叩いたのは誰だよ」
「のろまがこっちを見ないからだ」
「暴言やめろよ。俺が、嫌になる」
「それなら努力しよう」
「それから、」
「ん」
「アンタ、俺のことが好きなんだな」
「ああ、そうだ」
 そうだともと、女の子はふてぶてしく笑った。ああ、この人かわいいところもあるんだな、と俺は、アルファの前で初めて笑った。

 運命でしか引き止められないような不器用な女の子は、平凡なオメガに心を狂わされた女の子。俺はこの子なら番になってもいいかもしれないと思えたのだった。

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