『夏』
!現実とは何一つ関係ありません!


僕らが孤独を分けあえたら、きっと死んでも死にきれない。


・・・


 蝉の音がする。午前中に聞こえるその音は、太陽が真ん中に来る頃は聞こえない。そういう種類なんだよと、祖父が言っていた。

 祖父の家には猫がいる。文也というらしい。祖父は有名な人のファンらしい。僕は知らないけれど。
 たまに詩集を見る。なんの変哲も無い、言葉の群れを見ていると、祖父がそのしわがれた手と喉で、お前は才能があるねと笑ってくれた。才能なんて要らないのにな、心から思う。特別が無くたって生きていける世界がいい。

 ここは幽世(かくりよ)というところで、現し世ではない。現し世に行きたいな。祖父に相談するも、まだ早いよとしわがれた声で言う。
「お父さんもお母さんも、まだ僕を呼んでくれない」
 交通事故だった。僕はその日からここにいる。救急車の音がしたと、祖父は言うけど、僕は聞いていない。ただ、目が覚めたら祖父の屋敷にいた。

 幽世には素敵な花が咲いている。どれも図鑑でしか見たことがない花で、特に綺麗なのはサボテンの花だ。普通は夜にしか咲かないんだよと、祖父は教えてくれた。真昼に咲くサボテンの花は白くて、空に消えてしまいそうなほどに、透明めいていた。

 以前、猫を追いかけて迷い込んだ女の子がいた。その子はカネと名乗った。カネちゃんは僕より数年は年下で、舌っ足らずな声で、お母さんとはぐれたのと語った。
 何を言ってもそればっかりで、祖父に聞いてみたら、祖父は可哀想な子なんだよと、カネちゃんにスイカを出してあげた。カネちゃんはスイカを食べて、泣いて、お姉さんになって、お母さんになって、静かに消えて行った。どこに行ったの。僕が聞くと、祖父は、神様の国に行ったんだと教えてくれた。カネちゃんは神様になれる子だったのだ。

 それから、それから、長い時が経った。僕は変わらず、僕のまま。祖父はしわがれたまま。日付の無い幽世で、ふたりぼっちで暮らしていた。未だ、此処に居たいかい。祖父がきいた。僕は、うんざりだと語った。
「早く現し世に行きたい」
 そうかい。祖父はまた、しわがれた声で言った。猫の文也が、なあごろと僕に擦り寄った。そういえば、カネちゃんを迷い込ませたのはお前だったな。僕は猫の喉を撫でながら、次はちゃんと僕を現し世に見送るんだぞと声をかけた。猫は答えなかった。

 それから幾年か経った。蝉の声がした。朝だった。体が透けて、透明になっていく。時が来たのか。僕は感慨深くなって、祖父を探した。最後に一声掛けようと思ったのだ。
 でも、祖父がいなかった。どこを探してもいない。台所にも、縁側にも、居間にも、客間にも、寝室にも居なかった。猫と二人、探し回ったのに、祖父はどこにもいなかった。

 ああ、去る時が来た。体はもう半分も薄らいでいて、意識が保てなくなる。
「最後に、おじいちゃんって、呼びたかったな」
 猫の文也が、なあんと鳴いた。

 太陽は真上だ。蝉の声は、聞こえなかった。


・・・


 僕らが孤独を分け合っていた頃を思う。きっとあった。そんなふうに、忘れてしまったあの頃をじんわりと肌で感じた。
 幾年も年上のお兄ちゃんは、どうしてか、いつもしわがれた声をしていた。飼い猫の中也はなあんと鳴く。どうやらお兄ちゃんがつけた名前らしい。何とかという人のファンなんだよ。お母さんは言っていた。
「近所のカネちゃんが猫に会いに来たいって」
「すずちゃんが?」
「ナツは良い?」
「僕は別になんでもいい」
 猫は猫だ。僕が答えれば、猫はあんなに貴方に懐いてるのにと、母は面白そうに言った。
 お兄ちゃんは今日も日暮れになるまで帰らず、僕は一人で、机に向かう。
 夏休みの宿題だ。僕の得意科目は英語だった。日本語も嫌いじゃないけど、英語の方がずっと素直に頭に残る。
「ナツ、すずちゃんが来るって」
「だから僕は知らないってば!」
 ただいま、お兄ちゃんのしわがれた声がした。もう日暮れに迫っていて、蝉の声が聞こえてきた。


・・・


登場人物
ナツ…僕が生まれ変わった姿。主人公。
すずちゃん…隣の家の子。カネちゃんの子孫。
お兄ちゃん…変声期を終えている。詩が好き。
猫…ナツは何が何でも猫と呼ぶが名前は中也。

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