1:日常に飛び込んだ非日常

 鳥の鳴き声がする。朝の日差しで瞼が開く。ああ、昨日開けっ放しだっのかと、私はベッドから体を起こした。何だかとても良い夢を見ていた気がする。良い夢、それもとびきり幸せな夢だったような。
「あれ?」
 左手の甲を何気なく見て驚く。そこには手の甲を覆い尽くすかのような痣ができていたからだ。眠るときにでも打ったのかな。そう楽観的に考えながら、とりあえず左手の指を動かしてみる。痛みはない。ならば気にしなくても良いだろう。
 私はパジャマから制服に着替える。白いシャツに茶色のブレザー、緑のチェックのプリーツスカート。白い靴下に、あとは玄関で革靴を履けば良い。私の通う桜丘学園は自由な校風で、制服もブレザーとスカート以外は自由となっていたりする。

 一階に降りてお母さんの作った朝食を食べる。歯磨きと顔を洗って、肩ぐらいまである茶色の髪をブラシで整えると、今日も相変わらず茶色い目と目があった。いや、鏡と目が合うなんて当たり前だけれど、今日はなんだかその茶色が気になった。
 しかしそんなにうかうかもしていられない。早く学校へ行かなければ。私は鞄を二階から持ってきて真っ直ぐに玄関に向かい、いってきますと声をかけて家を出た。

 学園都市、月下市(げっかし)。多くの学園と生徒で賑わう街だ。
 特に知り合いに会うことなく学校に着くと机に向かう。そこで前の席のレンが声をかけてきた。
「セラおはよ、今日は遅刻しなかったね!」
「遅刻魔じゃありませーん」
「ええ、どうだか」
 なあやよちゃんとレンが言うと、やよちゃんはまあまあと曖昧に笑った。
 金髪緑目のレンこと睦月恋(むつきれん)と、黒髪赤目のやよちゃんこと弥生よる(やよいよる)は幼馴染と親友だ。レンとは幼稚園からずっと一緒で、家族みたいなもの。そしてやよちゃんはこの桜丘学園に入学した時に意気投合した親友なのだ。
「それよりいいのレン」
「ん、なにが?」
「今日日直でしょ?」
 ああ忘れてたとレンは立ち上がり、颯爽と教室を出て行った。それを見て、やよちゃんはレンちゃんは相変わらずだねと微笑んでいた。


………


 お昼休み。私たち三人は勝手に職員室から拝借した鍵のスペアで屋上にいた。風が当たらない場所を探して、座り、お弁当を広げる。私のお部屋は全体的に茶色い和風。レンはコンビニのオムライス、やよちゃんは小さなお弁当だ。
「いつも思うけど、レンの髪と目って綺麗だよね」
 屋上の風でなびくレンの金髪と、太陽の光できらめく緑目に、レンはあははと笑った。
「なんかヨーロッパ系の血が混じってるらしいよ。隔世遺伝、とかいうやつじゃないかなって」
「隔世遺伝かあ。あ、そういえばレンちゃんは今日はラブレターもらったの?」
「やよちゃん聞くねー、今日はまだだよ」
「一日一枚。女子のファン多いもんね」
 私はそう言ってレンのファンクラブを思い出す。美人だがサバサバした、それでいてどこか王子様のような振る舞いは女子生徒に大変好評だった。思えば幼稚園の時もよくモテていた。ただし全員もれなく女子なのだが。
「うーん、レンちゃんって彼氏欲しいの?」
「うん」
「でも女の子からラブレターは貰うんだよね?」
「うん」
「それ、彼氏できないんじゃ……」
「いやそんなことはない筈」
 レンが見栄を張り、やよちゃんが苦笑する。私もまた苦笑してしまった。王子様じみた振る舞いをやめて、女性らしくすれば多分男性の一人や二人ノックアウトできるだろう。レンはそれだけの素質がある。まずは髪を伸ばしてからかなとレンがぼやく間に、そうだと私は左手の甲を二人に見せた。
「これ、どう思う?」
「いやどう思うもなにも、保健室!」
「これ良くないよ?!」
「だよね。でも痛くないんだよねこれが」
「だとしても保健室に行くべき」
 レンはそう言うとオムライスの最後の一口を食べた。私もやよちゃんも食べ終わり、いつもなら予鈴が鳴るまでここで会話を楽しむのだが、今日は手の甲の痣がある。二人に急かされ、引っ張られて保健室に行った。
 保健室ではとりあえず保冷剤を貰い、テープと包帯で固定された。そして痛みが出たら医者に行くことと言われ、分かりましたと返事をした。さらに、私よりよっぽど心配そうな幼馴染と親友に、養護教諭の先生は若いんだから多分大丈夫だよと笑いかけた。

 そうこうして学園生活を謳歌していると最終下校時刻となった。といっても私たち三人は帰宅部なので、その時間まで教室で喋っていただけなのだが。
 鞄を持って、三人で下校する。やよちゃんは家が反対方向なのですぐに分かれ道で別れて、さて帰ろうかとレンへ振り返って、レンがそういえばと首を傾げる。
「セラ、お弁当箱は?」
「……あ」
 完全に教室に忘れたことを思い出した。他の忘れ物はともかく、お弁当箱を忘れるのはまずい。レンには先帰っててと告げて、私は学校へと走る。
 今ならまだ鍵が閉まってないだろうとこれまた楽観的に考えながら、何とか走って、学校に着いた。
 門は開いていた。ゆっくりと入り、戸締りがまだ済んでないらしい玄関を通り、靴を脱いでスリッパを履いて、二年生の教室に向かった。そして無事お弁当箱を手に入れると、これまたゆっくり後ろを振り返って、驚いた。扉に先生がいたからだ。
「何してるんだ神在セラ(かみありせら)」
「わ、忘れ物です! すぐ帰ります!」
 そうか、それなら早く帰れとお咎めなしの様子にホッとして、私は教室を出て、廊下を歩いた。
 しかし生徒がいない学校とは静かすぎて不気味だ。何か嫌だなあと思いながら歩いて下駄箱に着き、靴へ履き替えると、スリッパを下駄箱に戻して扉を閉めた。
 玄関を通り、門を過ぎる。もうすっかり日が暮れていて、早く帰らないとと思いながらのんびり歩いていた。最近不審者情報もないし、この街は治安が良いからと安心していたのだ。
 その光景を見るまでは。

 前方がガヤガヤと煩い。何かあったのかと小走りになって近寄れば、それは、白いセーラー服の少女と黒いセーラー服の少女が戦っている図だった。それも素手やカッターなんてものじゃない。
 赤い髪と目をした白セーラー服の美少女が手を振るとボッと燃え上がる炎。黒髪黒目の美少女が間一髪で避け、叫ぶ。
「【勇士召喚】!」
 そうして黒髪黒目の黒セーラー服の少女の隣に光が集まったかと思うとふわりとその少年が目を開く。美しい金髪は少しくせ毛で、ふわふわとしている。そして目は澄んだ空色をしていた。これまた、紛う事なき美少年だ。
 そんな美少年は見た事もない制服を着ていて、そんな美少年を怜(さとし)と呼びかけた黒髪黒目の少女に、少年は分かったよ兎ちゃんと答えて火を操る少女へと駆けて行った。炎を光で打ち消し、近付いていく怜。しかしふっと少年の頬に血が飛んだ。否、何かが切り裂いたのか。
「危ない!」
 思わず叫べば、二人の少女が振り返る。瞬間、炎の少女の標的は私となった。放たれる炎。兎ちゃんと呼ばれた少女が悔しそうに叫んだ。
「【勇士召喚】!」
 すると今度は暗い影から何者かが飛び出して私を抱き上げた。そして兎ちゃんと呼ばれた少女が怜に告げる。
「もういいわ。もうその子は戦わない」
「うん、そうだね。相変わらず兎ちゃんは見極めるのが得意だねえ」
 炎の少女が怜の拘束から抜け出して走り去る。私はそれをぼんやり見ていて、いつの間にか地面に降ろされていることに気がつかなかった。そして怜と私を抱き上げた黒髪の少年はまたねと消え、兎ちゃんと呼ばれた人が私の前に立った。
「とりあえず家まで送るわ」
 そして貴方の家に上がらせてもらって説明するわねと、私の左手の甲を指差して言った。えっと。
「とりあえず、自己紹介を……」
「私は帝王学園の卯月兎(うづきうさぎ)。ちなみに18歳。貴女は?」
「私は、神在セラです。えっと、17歳で……あの話って」
 そんなの、と兎ちゃん改め、兎さんは語った。
「女王の選定と女王戦についてよ。知らないの?」
「ごめんなさい分かりません!」
 とりあえず家まで案内してほしい、私は貴女を警護するからと言われて、私は何でこうなったのかと考えながら何とかため息を飲み込んだのだった。


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