13:其れは一目惚れなのでせう/いちあい支援C


【一期一振視点】


「あのね、いち兄」
 ボクが体験したことではないけれどと、乱は前置きした。
「それは一目惚れじゃないよ」
 青い瞳が、私をうつした。

 私には教育係であり、世話係の刀がいる。来派の短刀、愛染国俊。私が顕現した際、主の隣に居た縁で、私の教育係になった刀だ。
 私は藤四郎の弟達と鳴狐殿と同室である。広間で皆と眠るのも、過ごすのもとても楽しい。いち兄と慕ってくれる弟達はとても愛おしい家族だ。勿論、隣部屋に二人部屋を構える鯰尾と骨喰も大切な兄弟で、とても良くしてくれる。なので、私に人の暮らしの大方を教えてくれたのは先に顕現した弟達だろう。だが、細々としたこと、分からないことがあると頼るのは愛染だった。
 愛染は赤い髪と黄色の目を持つ短刀だ。短刀の中でも小さな体で元気よく動き回り、弟達とも仲良くしてくれている。愛染は面倒見が良く、気が回る。祭りが好きだと騒がしい面もあるが、やけに静かに蛍丸殿と並んでいる時もある。
 愛染の説明は分かりやすい。分からない気持ちに寄り添い、よく話を聞いてから物を教えてくれる。弟達より幼くも見える刀だが、そこは付喪神らしく、信頼のできる刀だと感じている。
 弟達とかくれんぼや鬼ごっこを楽しむ子供らしい面を見ては穏やかな気持ちになり、弟達と同じように気にかけた。菓子を貰えば来派の二振りも呼んだ。風呂に入る時も声をかけ、出陣から帰って来た時は迎えに行った。
 弟達と蛍丸殿と愛染と。そんな子供達の姿を見ては私は安堵したし、この様な日々が続くと良いと思っていた。

 だから、主に声をかけられた時、私は動揺した。

(恋をして、愛を知る)
 主は私が一人の時を見計らってそう仰られた。否、きっといつも周りに居る弟達は話があることに気がついていたのだ。わざと私を一人にし、主と二人きりで話せるようにした。そして、主は私がこの先、恋をして、愛を知るのだと言った。
 恋とは、愛とは何だろう。愛なら、きっと弟達に感じるものだと思った。あたたかな気持ち、満たされるこころ。これこそ愛だろうと思った。だが、恋とは何だろう。

 まだ空が白み始めた頃、早朝。何となく早くに目が覚めて、もう一度眠ることもできず、私は寝間着のまま一人で粟田口部屋を出た。
 この本丸には刀が多い。誰かしらと会うかもしれないと思いながら、私は本丸の裏手にある井戸に向かった。するとばしゃりと音がする。桶の水が跳ねる音。誰かいるのかと思いながら、私は歩き続ける。誰のでもない下駄を履き、井戸の近くを見ると赤い髪が揺れていた。
「愛染?」
「ん、一期か」
 ようと笑った愛染は顔を洗っていたらしく、濡れた顔を手拭いで拭った。彼も寝間着で、こんな時間に起きているのかと自分を棚に上げて思った。短刀はその身体年齢が影響するのか、良く眠る傾向にあると聞いたのだ。
「たまに起きちまう時があるんだよ」
 一期もかと、ニッと笑った愛染に、私は少しばかり恥ずかしく思いながら頷いた。
「何故か起きてしまったんだ。蛍丸殿は?」
「蛍は寝てる。粟田口は?」
「弟達なら寝ているよ」
「秋田はどうだ?」
「そういえば、居なかったな」
 部屋を出る前に見た粟田口部屋を思い出すと、愛染はにこりと笑った。
「秋田は近侍じゃなくても主さんの手伝いをしてるからな。朝早くから執務室にいるぜ」
「そうか、知らなかったな」
「まあ、言う事でも無いからなあ」
 秋田は初鍛刀だからと、愛染は桶を元に戻しながら言った。弟がそれだけ信頼されている事は嬉しいが、無茶しなければいいと思った。
「そういや、何かあったのか?」
 その言葉に、何かあったかと思い出すのは先日の主の姿と言葉だ。優しい目をして、優しい笑みを浮かべて、ほろりと溶けて染み入るような声色で、主は恋と愛の自由を謳った。

「恋とは何だろう」
 半ば、無意識だった。ぽろりと零してしまった言葉に、ハッとして手で口元を隠す。恐る恐る愛染を見れば、彼は黄色い目を丸くして虚をつかれた顔をしていた。
「ああ、いや、私は……」
「一期は恋が知りたいのか?」
 歯に絹着せぬ物言いに私は動きを止める。こい、その二文字があの愛染の口から落ちたのが意外だった。
 私の動揺など露知らず、難しいなと愛染は何でも無い顔で手拭いを持ちながら言う。彼は、彼にはあまりに大きな下駄を、からりと揺らした。
「恋とか愛の話だろ。愛ってのは、一期なら親愛を知ってるんじゃないか」
「親愛?」
 そうと、愛染は顎に手を当てる。
「愛にも色々あってさ、まあ図書室で調べればいいと思う。内番で図書係してる奴に聞けば良い本教えてもらえるぜ。とりあえず、親愛っていうのは家族とか親しい人に対する感情らしい」
「弟達に向ける気持ちかな?」
「多分な」
 気持ちなんて上手く分類出来ないけどと、愛染は続ける。
「んで、恋だけど。これは好きな人に向ける感情だってさ」
「好きな人?」
「好きにも色々あるけど、取り敢えず家族に向けるものとは違う筈だ」
「あやふやだね」
「感情だからなあ。誰も上手く定義なんか出来ねえって。ましてオレたち刀は心を手にしたばかりだしな」
 それは一理あると私は納得した。いくら愛染でも、心を手にしたのは刀剣男士として顕現してからだろう。
「恋と好きは繋がるのか。私は弟達が好きだと思うけど、これは親愛なんだね」
「決めつけるのは良くないからオレは言わねえけど、一般的には」
 愛染が頷く。私も頷いて、ならばと浮かんだ疑問があった。
「愛染も好きだね」
 愛染も、蛍丸殿も、この本丸に顕現してから良く顔を合わせる刀達も皆好きだ。なるほど、これも親愛だろうなと考えると愛染はお前なと呆れ顔だ。
「あんまり好きとか言わない方がいいぜ」
「そうなのかい?」
「言葉は言っちまうと軽くなるからな」
「そういうものなのか」
「そういうものなんだって」
 でも、と愛染は笑った。
「オレも一期が好きだぜ」
「それは嬉しいよ」
「親愛ってやつだな!」
 明るく笑った愛染に、笑みが浮かぶ。ふわりと心が温まると同時に、何かがぽきりと折れた気がした。

 空が明るくなり、太陽が出た。愛染はとうの昔に蛍を起こしに行くと駆けて行った。私はその場で息を吐く。嬉しい気持ちがしたのに、何かが何処かで叫んでいる。体が重いわけでも、痛いわけでもないのに、私はぼんやりと井戸の前に立っていた。本丸の刀達が起きてくる気配がする。弟達の元に行かなければ。私はようやく動き出した。

 それから数日。何事も無い日々が続いた。愛染はそろそろ教育係から卒業かなと笑っていた。その笑みが、脳裏にこびり付く。
 乱は暇をもらったらしい。夏の日差しが肌を焼く日、私もまた休暇を与えられていた。
 粟田口部屋には私と乱と薬研がいたが、薬研は薬部屋に行ってくると先ほど部屋を出て行った。厚がひょいと顔を覗かせたが、乱にまたそれ読んでるのかと呆れた声をかけてから畑当番に向かった。乱は漫画を読んでいた。少女漫画のひとつだというその漫画は、細い線で細かく描かれた美しい本だと思った。
「恋って素敵なんだなあ」
 乱が漫画から目を離し、思わずといった様子で呟く。こい、その二文字に私は書き物をしていた手を止めた。愛染から貰った字の練習帳はそろそろ最後の頁になろうとしていた。
「その本には恋が書いてあるのかい」
「うん。素敵な恋だよ」
「乱は、恋を知っているのかな」
「ううん、ボクは本の中だけ」
 恋したことはないよと乱は詰まらなそうに言った。蝉の声がして、風鈴の音が僅かに聞こえる。暑い日だ。
「いつか恋をすることもあるかもしれないけど、あるじさんから言われた訳でも無いしなあ」
「主、が」
「あるじさんは万能じゃないから、声をかけられないひとは恋をしない、とかいう訳じゃないらしいけどね」
 そうだと、乱はその青い目に私をうつす。私はいつの間にか筆を置き、乱を見ていた。
「いち兄は恋と愛の話を聞いたんだよね?」
 じゃあ、いち兄は恋をするのかな。

「恋とはどんなものだろう」
「気がついたらその人の事を考えてしまうんだって」
「いつも皆のことを考えているよ」
「もー、そういうのじゃないよ。一人だけ」
 ひとり、と浮かんだのは赤い髪の短刀。困ったらいつも頼る刀。小さな手と、体の刀。笑顔が、眩しいひと。
「浮かんだ?」
「いや、そういう訳じゃ……」
 咄嗟に否定すると、乱はふうんと漫画へと視線を戻した。
「この漫画は電車でたまたま居合わせた男の子に一目惚れした女の子が、男の子をもう一度見るために毎日同じ電車に乗って登校するんだよ」
「一目惚れ?」
「そう、一目惚れだって」
 一目見て、恋をするんだって。乱は首を捻る。
「素敵だけどボクには分からないや。いち兄はわかる?」
「私は、分からないかな」
「そう?」
 そうは見えないけどと、乱は結った長い髪を揺らした。
「いち兄ってさ、隠し事が下手だよね」
「そうかな」
「あ、気がついてなーい」
「そうだね」
「一目惚れしたの?」
「思い当たらないよ」
 夏の庭を見る。強い日差しの中、愛染の赤い髪が見えた気がした。一目惚れは、一目見たときに恋をすること。私が最初に見たのは目を閉じた主の姿。次に飛び込んできたのは秋田の桃色の髪。そして。
(愛染の黄色い目が見えた)
 主の横で嬉しそうに笑う愛染だ。
「今、思い出したのは誰?」
 え、と乱を見る。少女のように愛らしい弟は、その丸い青い目で私をじっと見ていた。
「変な顔してたよ」
「変って……」
「嬉しそうだけど、悲しそうな顔」
 それで、誰を思い出したの。乱は好奇心と不安をないまぜにして私を見ていた。その不安は心配だ。
「黄色い、目だったよ」
 ひりつく喉を震わせると、乱は丸い目をさらに丸くする。遠くで、遠征部隊が帰還する音がした。
「その目はとても優しかったんだ」
 あの短刀は何もかもが優しかった。

「それは一目惚れじゃないよ」
 乱が無機質な声で言った。喉元に刀を突きつけられた気がした。乱へと視線を戻すと、彼は眉を寄せて、睨むように私を見ていた。
「それは まやかし じゃない」
 一目惚れとは、一種の勘違いなのだと言った。
「一目惚れは勘違いで、まやかしのようなもの。陽炎のように、実際には無いもの。だからこそ、きっかけであり、淡いもの」
 乱は熱がこもった声色になっていた。
「いち兄がそんな顔をするなら、それは一目惚れなんていう まやかし じゃない。それは」
 そこで息を止める。私は詰めていた息を静かに吐いた。吐いて、吸って、そして。乱が刀を引いた。
「それは本当の恋だよ」
 そうだよね、乱は眉を下げて笑っていた。私の目からは意図しない涙がゆっくりと流れていた。
 頬を熱い涙が流れていく。
「ごめんね、いち兄」
 ごめんなさい。そう繰り返して乱は立ち上がり、私の背中を叩いた。穏やかに、一定の速度で彼は私の背中を叩く。涙が幾筋も流れた。嗚咽が、漏れた。

─オレも一期が好きだぜ
─親愛ってやつだな!

 赤い髪を揺らして、黄色い目は私を見ていて。柔らかく、優しい色を向けていた。

「ごめん、ごめんなさい、ごめんね……」
 気がつけば溢れ出る謝罪の言葉。弟達の様だと思っていた刀。仲間として信頼を寄せる笑み。あの日、私が肯定した親愛は、あまりに大きすぎた。
「私は、兄なのに」
 恋を知ってしまった。

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