09:恋の気配/鶴獅子支援C


【鶴丸国永視点】


「鶴丸さんはいつか恋をするでしょう」
 世間話をするように、審神者はそう言った。

 俺達の主たる審神者は、見た目は気にも留めないような女だ。茶色の髪を肩甲骨の辺りまで伸ばし、一つに結ったりおろしたりしている。目は髪と同じ茶色だ。肌もまた、何の変哲も無い健康的な白色をしている。それは彼女の霊力も同じだろう。ぱっと見る限り、彼女の霊力もまた可もなく不可もなし。演練場や万屋街で見かけるようなその辺の審神者ときっと変わらない。ただし、性格は臆病で精神不安定。涙腺が弱いのか、よく泣く。そして好きなものを沢山摂取すると倒れる。人として生きていけるのかとたまに思うほど、感受性も豊かだ。ここまでの総評を言うならば、どちらかと言うと頼りない審神者になる。
 さて、そんな審神者と俺、鶴丸国永は休憩時間を共にしていた。俺がこの本丸に来てから大分経った。世話係の獅子王からお墨付きをもらい、随分と人の体に慣れた俺を見て、審神者はそういえばと呼び出したのだ。
 縁側に座り、茶を飲む。春の景色を眺めながら、俺はいつも側に控える近侍が居ないなと思った。本日の近侍は加州。遠征部隊の隊長を務める事が多い加州が近侍なのはとても珍しいことだが、本丸に動揺は走らなかった。何故か、刀達はそうかと受け入れていた。近侍常連の薬研もまた同じだった。

 さて、ということで最初に戻る。
「鶴丸さんはいつか恋をするでしょう」
「……は?」
 審神者は笑みを浮かべている。優しい笑みだ。目も穏やかな色をしている。だが、言葉があまりにも頭に引っかかった。
「恋って、俺は刀だぞ?」
「そうだね」
「刀が恋なぞするわけないじゃないか」
「するよ」
 審神者は笑っている。その、断定する言葉に俺は眉を寄せる。いつもの、難解ながら分かりやすい女、の印象がぽろぽろと端から崩れていく。
 言葉に迷い、審神者を睨むように見ていると彼女は笑みを浮かべたまま、視線を逸らし、庭を見つめた。美しい庭だ。桜の花が咲き誇っている。
「刀剣男士は心を手にしたの。心を手にした生き物はどんな感情も手に入れるわ」
 恋もそう。審神者はまるで落雁でも食むように、柔らかで解けていくような声色をしていた。
「私、この本丸に来て、刀剣男士の皆を見ていると何となく分かる時があるの。嗚呼、この刀はこの先、恋をするだろう。愛を知るだろう。そんな、刀がたまにいるの」
「……」
「その一振が鶴丸さんだっただけ」
 ね、と女は笑う。俺は審神者の話を反芻するように脳内で繰り返し、ゾッとした。
 頭が震える。喉が干からびる。きみは、気がつくとそう呟いていた。
「きみは未来が分かるのか」
「未来なんて分からないよ」
「しかし、さっきの言葉は」
「ただの予想、予感なだけ。考え過ぎないでね」
 その言葉はいつもなら彼女の周囲の者がかける言葉だ。考え過ぎて、思い詰めて、床に伏してしまう彼女を支える為の言葉だ。だが、今、俺の目の前にいる女は誰だ。
「私はね、いつか鶴丸さんが恋をした時に邪魔になりたくないの」
「は、」
「だからね、そういう刀には先に言うことにしてる」
「それ、は」
「夏継という審神者は刀に恋愛の自由を与えたい」
 彼女は微笑んでいる。
「私は決して刀の恋路を邪魔しない。だから、鶴丸さんは安心して恋をして、愛を知ってね」
「なんだ、それは」
「ああそう、この話は鶴丸さんが初めてじゃないよ。流石に個人情報というか、プライバシーに関わるから誰に伝えたかは教えられないけど、とりあえず鶴丸さんが初めてじゃない」
 だから安心して、と審神者は笑う。桜の咲く庭を前に、審神者の顔ではなく、俺達が知る人の子の顔でもなく、優しい笑みを浮かべて、心に染み渡るような解けて消えるような声色で、そう言った。


 自室に駆け込む。審神者から逃げるように走っていた。呼吸が乱れている。それを整えていると、思考が落ち着いてくる。だが、だがあの審神者は何だ。最後に感じた、あの違和感。人の形をした、人ならざるものの笑み。それこそ御伽噺の魔法のような声色。あれは、いつもの頼りない審神者とは程遠い。あれは、誰だ。
 ゾッと鳥肌が立つ。戦場に立った時とは全く違う嫌悪感。否、気持ちが悪い訳ではない。ただ、あまりに先程の女は、まるで。
「人じゃないんだよな」
 がばり、振り返ると獅子王が庭を背に立っていた。そろそろ話が終わる頃だと思ったからさと、獅子王は俺の部屋に入り、持っていた盆の上の茶をちゃぶ台の上に置いた。
 平然と茶を飲む様子に、俺は心が落ち着いていくのを感じた。だが、同時に疑問も湧く。
「獅子王は何の話だったか分かるのか」
「恋とか愛とかって話だろ?」
「皆、周知の事なのか」
「いや、詳しい話を知るのは一部だ。他の奴らは、なんか大事な話ってぐらいしか知らない」
「そうなのか」
 鶴丸はと、獅子王は茶の入った湯呑みを机に置く。
「主を見たんだろ」
「ああ」
「主の、アレ、俺もまだ慣れないからさ。その動揺は分かるぜ」
「獅子王も見たのか」
「この本丸にある程度居れば誰だって見ることがある。珍しい事だけど珍しい事じゃない」
 じゃあ、と俺は言った。
「アレは何なんだ」
「分かんねえよ」
「分からないのか。初期刀の加州や、初鍛刀の秋田なら分かるのか」
「加州はあんまり表に出さないから本当のところは分からないけど、秋田は多分全部知ってる」
「三日月は」
「あのじーさんはダメだ。全部を知ることは出来ねえよ」
「どういうことだ」
「好意が邪魔をする。三日月なら全部知っても揺らがないだろうけど、主が三日月の好意を無下にできない。全部を見せることは、きっと主が望むことではない」
「そうか」
 そうかと、俺は繰り返す。
「きみは全てを知ったのか」
「俺は知らない。でも察することは誰にもできるぜ」
「じゃあ、アレは」
「ああ。多分、主は人じゃない」
 その言葉に再び背中を冷たいものが走る。人ではない、人の形をしたもの。それが人の紡いだ歴史を守りたいと審神者をしている。その異常さを、俺は肌で感じた。
「アレは俺達を騙しているのか」
「騙してない。主は本気で人の歴史を守りたいと思ってる」
「本気か」
「正気だろ」
 あの審神者は本気で人の歴史を守りたい、正気で自分と関わりのない他人の歴史を守ろうとしている。
「本気とも、正気とも思えん。だが、獅子王がそこまで言い切るなら、それだけの理由があるんだろう」
「大した理由じゃねえよ。唯、あの審神者はいつだって真っ正面から向き合うからな」
 鶴丸に恋や愛の話をしたように。獅子王がニッと笑った。そうだったと俺も思う。あの時、きっと審神者は真正面から俺と向き合っていた。
「ところで、きみは何故話の内容が事細かにわかる?」
「それなら、俺も言われたからな」
「……ん?」
「俺も恋をするんだってさ」
 いつか、必ず。審神者はそう言ったと獅子王はどこかを見つめながら言った。おそらく、その話をされた時を思い出しているのだろう。
「きみも、恋をするのか」
 絞り出すように言えば、獅子王は頷く。
「刀なのに、な」
「好いた人がいるのか」
「じっちゃんを尊敬してるけど、恋も愛も知らねえな」
「そうか」
 どこか安心して、俺は表情を崩す。恋も愛も、正直分からない。審神者の言うことが本当かも分からない。だが、目の前の獅子王も同じなら、少しだけ安心できた。

 春の日差しの中、桜が笑っている。獅子王、そう呼べば彼はどうしたと刃色の目を俺に向けた。真っ直ぐな目は、好ましかった。
「とりあえず茶を飲もう。それから、散歩に付き合ってくれないか」
「いいぜ。その後ゲームを教えるからな」
 まずはトランプかなと獅子王は考えを巡らせ、俺は彼が持ってきてくれた茶を飲んだのだった。

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