01:最初の転生

夢主視点


 季節は初夏。庭に蒔いた朝顔の芽が随分と成長した頃。まだ本格的な夏が遠く、いつか見る花はどんな色だろうと思いながらジョウロで水を撒いた。色は赤でも、青でも良い。特に好きな色は無く、ただ、小学生なら朝顔の観察日記でも付ければいいと比較的友好的な態度を取るアルケミストから渡された種のこと、何色なのかが少しだけ気になった。
 アルケミスト達の中で私は異端視されている。それもそのはずで、私が異世界人だからだ。研究所に突然現れた幼い少女、しかも愛らしい性格ではなく、こんな可愛げのない子供だ。疎まれ、異端視されても仕方ない。これが妹や弟だったらもっと上手くやれるのだろう。
 私は異世界で10歳の時にとある会社の社長を務めていた優秀な女性に拾われた。それまでの生活は路上生活で、とても学とは程遠い。だが読書好き、それも小難しいものを読んで吸収するのが好きだった。識字に関しては、訳あって路上生活を行うことになった知識人から習った。学校なんて通ってなかったし、女性に拾われた時には学校に行く必要を感じないと判断された。女性の元、私は化学者、それも生命エネルギーと呼ばれる特殊な力の研究に携わり、大人達と肩を並べて研究に熱中した。そのうち肉親であると女性に伝えられた妹と弟と再会したりもしたが、私と妹と弟は大切な者のために関係は一度まっさらに戻った。そうして生まれた空白の時間を私は全く覚えていない。ただ、周囲が記憶する日時や研究の移ろいから、空白を常に感じながら私たちきょうだいは何とかやっていたと思う。
 そんな空白を埋めようとする日々の中、私は突然この世界に落されたようだ。右も左も分からないまま、その場のアルケミスト達に拘束され、検査を受け、アルケミストとしての力があると判断された頃には私もそれなりに自分のスキルを周囲に伝えられた。だから、私は一人でこの小さな国定図書館を内密に任された。

 朝顔や庭の草花への水やりを終えると、私は準備をし、白衣を揺らしながら潜書室へと向かった。そろそろ文士を転生せよとの通達は昨日届いた。今日転生させても何ら問題は無いだろう。いつかの転生の為、潜書室には生命エネルギーを様々な手段で貯めておいた。文士の転生、しかも最初の文士はアルケミストの力、私が生命エネルギーと言い表すものと同じ力を、たった一人、生身の人間の力だけで行う。私は生命エネルギーが少ないわけではないが、生命エネルギーを武器にできるほどの量は持って無い。万全を期す為に、生命エネルギーの調整は必須だった。

 かくして潜書室。通達が来るまで厳重に保管してあった有魂書を取り出し、静かに台へと置く。そして部屋をぐるりと見回した。そこに置かれた調度品にも見える物たちは全て生命エネルギーを宿すものと、専門外ながらも拵えた仕掛け達。そして私の体調も悪くない。これ以上良くなることは無いだろうと思える準備が整っていることを再度確認して、私は本へと手をかざした。
「転生、開始します」
 まるで敬虔な信徒が神に許可を乞うように、祈るように、私は囁く。この声は神にのみ聴こえればいい。神様なんて存在はこの世界は勿論、私の生きた世界にもいないだろう。つまり、私の言う神は神様なんて存在ではない。私を拾い、養ってくれ、私たちを残してある日突然消えた優秀な女性。そして、その女性が孫と可愛がり、私と姉妹のように親しかった、人格者の少女。どちらも、私にとって神と呼べる存在であり、私はいつも何かの折にその二人に許可を乞うように祈る。
 どうか、どうか見守ってください。成功なんて祈らない。成功は私が掴み取るものなのだから。ただ、見守って欲しいといつも祈る。
 そうして私は生命エネルギーを集中して掻き集め、有魂書へと注ぐ。時間はぴったり1分。そこで私は目を開いた。全ての仕掛けが発動し、私の体が生命エネルギーのうねりに揺さぶられる。そして同時に有魂書が強く光を放った。
 文字が本から溢れ出し、パチパチと音を立ててぶつかり合い、融合する。文字から編まれるのは人の形。そこまでくれば、成功は間違いなかった。

 やがて、床に足を着けたのは一人の青年。黒い髪の彼は以前目を通した図鑑にあった、文士。
「初めまして、徳田秋声先生」
 目を開いた青年へと言葉を発すれば、彼は瞬きをしてから口を開く。
「きみが特務司書(アルケミスト)?」
「ええ、そうよ。よろしく」
 手を差し出せば、彼は戸惑いがちに握手をしてくれた。

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