【太宰視点】

 侵食者の首を狩る。薙ぎ倒し、また一戦、終えた。徳田が急ぎ過ぎだと俺に言った。でも、頭に入ってこない。司書である杏が転生者であること、それが頭に引っ掛かって頭痛みたいに俺の脳みそを引っ掻き回す。
「まだいける」
「一旦帰ろう。その調子じゃ怪我するよ」
「嫌だ」
 まだ戦える、俺は足を進めた。織田作と中也が待てよと俺を止める。でも、体を動かさないとバカみたいな腑抜けになってしまう気がした。怖かった。大切な人がいたと語ったあの時の杏が、あまりに儚くて、優しい顔をしていて、怖かった。その顔が、俺に向けられないのが、悔しかった。
「次!!」
 足を進める。中也が舌打ちしながら侵食者に銃を撃つ、それに徳田も続く。仕方ないと織田作も戦う。俺は鎌を振りかざして戦う、戦う、戦う戦う戦う戦う戦う戦う戦う戦う戦う戦う戦う。

 そして、気がつくと何かがいた。

「皆下がって!」
 徳田が叫ぶ。
「口と鼻を布で覆って! そいつの瘴気を吸い込んじゃだめだ!」
 俺は目の前にいた、紫の霧を纏う侵食者に矢で射られた。

 倒れてから、思う。これが、杏の言っていた特別な侵食者だ。ここまでなのかなと思う。俺は何も杏に言えないまま、二度目の命を終えるのかと思った。嗚呼でも、悪くもないかもしれない。あの杏が俺の為に泣いてくれたら、そんなに嬉しいことはないから。
 織田作と中也が俺を引きずって、徳田が矢で何とか足止めしている特別な侵食者から離れる。徳田が何かを叫んだ。何だろう。朦朧とする意識の中で【それ】は起きた。

 天から光が落ちてくる。ふわり、立つのは革靴に茶色のズボン、白いシャツ、黒いカーディガン。黒と白の髪に、黒い目を侵食者へ向ける、杏だった。俺は一気に夢から覚めたように目を見開いて、震える。だめだ、死んじゃう。杏が死んじゃうと俺は叫んで暴れた。だけど暴れる俺を徳田が押さえる。
「現れた。なんて、運が悪い」
 杏が囁く。しかし不思議と静かな空間に、響いた。
「貴方と戦えるのは僕しかいない。だから、僕も万全の準備をしたつもりだよ」
 杏がそっと両手を胸に置く。
「【契約せし真名、杏。今ここに、覚醒の許可を】!」
 杏が叫ぶ。ぶわり、風が舞った。するとどこからか、澄んだ女性の声がした。

──覚醒、承認します

「【逆覚醒】発動!」
 風が吹き荒ぶ。その中で杏が光に包まれて、光が収まった時、黒いロングコートが見えた。
 黒いキャスケット、真っ黒なロングコート、黒いズボン、黒い革靴。黒と白の髪は変わらないが、その目は紫色をしていた。
「へえ、僕も逆覚醒出来たんだね」
 その声は女性の声にしては低いが、男性にしては高い。杏だ、格好は違うけど杏だ。そう思うのに、何かがそれを否定する。
「僕は杏。君たちが、この世界の僕が助けたい人たちなんだね」
 恐ろしい侵食者の前で、その瘴気の中で、杏に似た誰かは軽く振り返って、ひらひらと手を振った。
「そこの黒髪の人は見たことあるね。久しぶり」
「ああ、久しぶり」
 徳田は答えるが、その声は固い。緊張しないで、と杏に似た誰かは言った。
「あの敵は毒を持ってる。毒を武器としている。だとしたら僕だけで十分さ」
 そうして懐からナイフを取り出して、侵食者に向けた。
 何故、瘴気の中で彼は動けるのだ。何故、あの毒の中で彼は平気なのか。考えても思いつかない。だけど、徳田がぎゅっと手を握りしめたのを感じた。
「貴方はしっかり見るんだ。杏の本当を見届けるんだ」
 だから気を失うなと言われて、俺は何とか意識を繋ぎ止める。杏に似た誰かは俺を見てニッと笑った。杏の笑い方じゃなかった。
「それで良し。じゃあ、行くよ」
 杏はそう言って走り出した。
「まあ、大事な子一人守れなかった僕みたいなのが通用するか、見ててよね!」
 叫び、ナイフを振りかざした。刃が侵食者を切り裂く。まだ体力が残っている。繰り返し、杏に似た誰かはナイフを振りかざす。時折攻撃を避けながら、瘴気の中で素早く動く。
「残念だけど、僕に毒は効かないよっと!」
 その声と共に突き刺した一撃が最後の攻撃だった。侵食者がしゅるりと消える。そして、杏に似た誰かは終わったよと俺たちへ振り返った。
「じゃあ、またね」
 そう、短い言葉と手を振って、杏は黒いカーディガン姿に戻っていた。
 そのままふらりと倒れた杏に、俺は何とか地面を這うようにして近寄る。血の引いた、青ざめた顔。汗をかく冷たい体。力を使い過ぎたのだと分かった。

 その後は徳田が何とか手順を済ませて本の中から現実世界に帰った。一番怪我をしていない徳田が杏を部屋に送り、織田作と中也が俺を支えて補修室に駆け込んだ。
 ベッドに寝かせられて、とりあえず司書はんが目覚めるまで耐えてなと織田作が言う。中也もまた、死ぬんじゃねえぞと俺の頭を軽く叩く。そして、ああ眠たいなと俺は目を閉じた。


 夢だ。これは夢だ。なのにどうして、夢なのに夢だと分かるのだ。否、否否、ならばこれは夢ではない。
「目が覚めたのね」
 長い、緑色の髪に白いワンピース姿の女性が言った。そこで俺は俺が立っていることに気がつく。
「貴方があの子の見初めた子ね」
 よく顔を見せて御覧なさい。澄んだ声の女性は、どこか年老いた老婆のような仕草で俺の頬に触れた。
「ああ、とても良い子。知識の無い、哀れな子。それでも貴方は素晴らしい才能を持つのね」
 だって貴方はここに来れたのだもの、女性は笑った。
「私はみどり。あの子を貴方の世界に送り出し、アルケミストとしてその地に立った最初の女。さようなら、哀れな貴方」
 また逢えるといいわね。女はそう言って、俺をゆっくりとその場から引き離したのだった。


 目が覚める。視界には補修室の天井がうつった。今度こそ本当に目覚めたのだと確信し、頭を動かせば、俺の本を手に補修を行う杏の姿が見えた。しばらく見つめていると、ふと杏が顔を上げ、パッと顔を明るくする。
「起きたんだ!」
 杏は慎重に本を置いてから、ベッドへと駆け寄る。
「もう少しで補修が終わるから、もう少し頑張って」
 明るい顔、明るい声、だけど手が震えていた。寂しそうに、恐ろしそうに震える手に、俺は手を重ね、掴んだ。
「え、どうしたの」
「もう少し、このまま」
 いいだろって言って俺は目を閉じる。また眠気がやってきて、ああ眠ると思った時。
「困ったなあ」
 顔が熱いやと、蚊の鳴くような声で杏が呟いたのが、聞こえた。
- ナノ -