【夢主視点】


 朝ごはんを作っていると、おはようと地を這うような声で太宰さんが食堂にやって来た。顔色が悪く、どうにも気分が悪そうだからどうしたのかと駆け寄れば、二日酔いだと言われた。二日酔い、なるほど。
「ちょっとお魚屋さんにしじみあるか聞きますね」
「えっ」
「二日酔いにはしじみの味噌汁と覚えていたのですが……」
 違いましたかと言えば、まあ定番だけどと言われたので、早速電話してみるとしじみを仕入れていたらしいので、ちょっと出掛けてきますと太宰さんに皆さんへの伝言役を任せて図書館を飛び出した。
 無事しじみを手に入れて、しじみの味噌汁を作った頃には皆さん起きてきていた。遅くなりましたと今日の朝ごはんを配膳する。しじみの味噌汁と白いごはん、たくあんに塩ジャケ。二日酔いで食べれなくてもしじみの味噌汁は飲んでくださいねと文士の皆さんに言えば分かったとの声が返ってきた。

 そして、昼間のうちに潜書を行った。二日酔いが酷い太宰さんを抜いて、中野さんと中原さんの体慣らしに徳田さんと織田さんがサポートとして加わり、四人で潜書してもらう。なんとか怪我もなく、無事体慣らしも出来たところで戻ってきてもらい、今日の潜書はおしまいにしましょうと皆さんに休暇を宣言した。
 少しふらつく体で裏庭を通って司書室に戻り、机に着く。さて報告書をと書いていると、ふらりと太宰さんがやって来た。体調はどうですかと聞けば、幾分かマシになった顔色でまだダメと言われた。どうやら何か精神的に落ち込んでいるらしい。何かあったのだろうか。
 書類をしたためていると、ふと太宰さんが僕をじっと見つめていることに気がついた。この一枚を書き終えたら聞こうかなと思っていると、コツコツと歩く音がして、するりと僕の毛先を触られた。驚いて跳ねれば、太宰さんがああごめんとちっとも反省してない声で言う。
「もう、驚いた……何かあった?」
「いや、大したことじゃないんだけど、髪、長めだよね、切らないの?」
 その質問に、どきりとした。僕の髪は肩ほどまである。長めというか、確かに長いだろう。だけど。
「あ、これ? うーん、この状態をキープしたいかな」
「何か思い入れでもあるの」
 鋭いなあと思いながら、僕はかつて守りたかった女の子を思い出す。妹のような、子どものような、そんな女の子。
「思い入れ、かな。そうかも」
「なにそれ」
 不可解そうな顔をする太宰さんに、そうなんだから仕方ないじゃないかと思う。あれは昔のこと、今の僕には関係のないこと。だけど、前の自分を覚えている限り、僕には髪をこれ以上長くすることも、短くすることも、できそうに無かった。

 それから太宰さんはしばらく僕の髪で遊んでて、僕は気にせず書類を書いた。書き終えると、そういえばさと太宰さんは言った。
「杏は俺のファンじゃないよね」
 ていうか本を読まないでしょと言われ、参考書なら読むよと伝えれば、そういうのじゃなくてと言われる。うん、そうだね。
「文学作品には難しい言い回しや漢字が多いからね」
「うん、まあ、そうかもだけど」
「僕、あんまりまともな教育を受けてないから、難しい本は読めないんだ」
 教育を受ける機会はもう無いしと呟けば、太宰さんはぽかんとした顔をした。
「それ、杏がその年で働いてる事にも関係してるわけ?」
「まあね。普通の十五歳は学校に通ってるんじゃないかな」
「アルケミストとしての力があるからなのか」
「アルケミストとしての力は僕だと少なすぎてこうして働くには足りないね」
 そうだよなと太宰さんは呟いて、続けた。
「じゃあ、何で杏は特務司書をしてるんだよ」
「……さあ?」
 だから僕ははぐらかす。ここまで話して言わないなんてずるいけど、まだ僕の心に準備が必要だった。太宰さんに僕が化け物だとばれてしまったら、折角仲良くなれたのに離れていってしまったら。そう考えたら怖くて怖くて仕方なかった。だから、だから。
「いつか分かるかも」
 そのいつかが来ませんように。そう願いながら、不満そうな太宰さんを横目に、平行線上の僕らを夢見た。


………
【太宰視点】


 もともと眠りにくいのに、今日は杏が昼間に言っていたことが気になってさらに眠れなかった。台所に行けば、また杏に会えるかな。そう思いながら、温かいホットミルクでもと考えていると、食堂の方で話し声がした。その声が中也と杏だと分かると、俺はさっと物陰に隠れて耳を澄ませた。二人はどうやら、否、中也はどうやら彼らしくなく、静かに怒っているらしかった。
「それは自己満足だ。身勝手だ。てめえはその子の親みたいなモンだったんだろ」
 何の話だ。俺はさらに耳を澄ませる。
「親じゃないよ、親戚の兄ちゃんぐらいだ」
 杏が否定する。だけど中也は止まらない。
「親がいないんじゃおんなじだ。いいか、今度はそんなことすんな」
 ひやり、背中に冷たい汗が伝った気がした。今度、とは。
「今度って?」
 杏が問いかける。中也は吐き棄てるように、でも分かりにくい愛情を乗せて言った。

「見てりゃわかる。お前は、大事な人のためなら死んだって構わない人間だってな」

 時が、止まったような気がした。
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