過干渉のマリオネット


10:語り継がれる英雄譚



加州視点


 夜、夕食も入浴も済ませた後、俺はミチトの部屋へと向かっていた。昼間に聞いた爪紅の話が少し気になったからだ。魔力を効率よく使うための爪紅、つまりそれは体に負担をかけるものではないかと思ったのだ。心配をしているというより、何を仕出かすつもりなのかと思い、俺はミチトの部屋の前に立った。しかし部屋の中は暗い。声をかけるも、部屋にはいないらしかった。それならどこにと思って辺りを見回せば、桜の木の下、月明かりで影となった暗闇に、ミチトは立っていた。
 ゆらり、揺らめく彼の姿。飲み込まれそうになっている、そう直感し、声をかけようとして、誰かに手で止められた。静かに、と太郎太刀が立っている。その冷静な姿に幾分か気分が落ち着き、もう一度ミチトを見る。暗闇の中、溶けるかのように所々がブレて見えるミチトは、よく見れば飲み込まれているのではなく、同化していると気がついた。
 暗闇との同化。明らかに人の所業とは思えぬものを目にして、俺は唖然とする。しかしミチトは目を閉じたまま、すうるりと溶けそうになってはふわりと浮かび上がった。何度か繰り返すと、目を開く。
「やっぱり、だめかあ」
 そうして、あれどうしたのと振り返ったミチトに、俺は何でもないと伝えることしかできなかった。

………

 太郎太刀に夜の散歩でもしてきたらどうですかと言われた俺とミチトは、本丸の敷地内での夜の散歩に繰り出した。
 ミチトは月明かりの下、黒くて艶々とした長い髪を揺らして歩く。黒い目を静かに輝かせ、いい夜だねと笑う。俺は、そうねと答えて空を見上げた。雲のない月夜、欠けた月だが充分に趣きのある、歌仙が好きそうな月夜だった。
「加州さんは英雄って知ってるかな」
 ミチトは言った。
「英雄って何?」
「英雄はね、僕の国の英雄のこと。闇の竜と光の竜を沈め、戦争を終わらせた英雄のことだよ」
 ミチトは歩きながら、歌うように語る。
「ある時から僕の住むアラング王国に住まう闇の竜と光の竜が争いを始めた。それをきっかけに戦争が始まり、王国は真っ二つに分かれてしまった。そこへ、まだ幼い子供達がこの世界に導かれた」
 ミチトは淡々と、だけど流れるように語る。
「異世界に放り出された幼い子供達はまた一人、また一人と死んでいった。その中で、三人の子供達が生き延びた。それが、膨大な魔力をもつ一人の少女と、凡人たる二人の少年だった」
 時は遡る。
「その時代、現国王のトクト様が生まれていた。トクト様は膨大な魔力を持って生まれ、ある時から成長が止まってしまった」
 だけどそれを好機だと未来の王は思ったのだ、と。
「トクト様は王位継承権を一時的に弟のイクト様に譲り、自分は身分を隠して戦争を止めるべく、国中を駆けずり回った。そして、少女と少年に出会った。それが、生き延びた三人の子供だった」
 ふわり、"明るい闇"がミチトから浮かび上がった。闇色に輝く粒子に、俺は呆然とする。確かにそれは霊力で、ミチトが言う魔力の滲み出たものだったからだ。
「トクト様と出会った子供達は自分たちがなすべき事を知り、少女は自身の膨大な魔力をもって二人の少年に、戦争の原因である闇の竜と光の竜を封印した。よってアラング王国の戦争が終結し、少女は英雄として語り継がれる存在となった」
 これが英雄伝説なのだとミチトは顔を上げた。そして自身の周りに浮かぶ霊力に、今日は調子が良いみたいだと微笑む。
「ついでに、トクト様は今は膨大な魔力を全て失っている。僕も詳しくは知らないけど、英雄に魔力を譲り渡したそうだよ」
 これで本当におしまいと、ミチトは笑った。ふわふわと浮かぶ闇色をした霊力の粒、語る英雄譚。全てがミチトを幻想の存在にしていく気がした。
 それは、いけないことだと思った。
「それで、その英雄が何だっていうの」
 するとミチトはそうだなあと思案顔になる。
「知ってほしかったんだ。僕はこの英雄の話が大好きだから」
 大好きだから、知ってほしい。それは当たり前のことじゃないかなとミチトは言う。
「まあ、そうね」
「うん。だからいつか、加州さんも僕に大好きな事を話してほしいな」
 いつか、その時が来たら、と。ミチトは月明かりの下で明るく笑っていた。



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