15:にせものアフロディーテ

第三者視点


 雪芽はそっと起き上がり、いつもの巫女服ではなく、セーラー服へと着替える。そして昨日鍛刀部屋で出来上がった血色の刀を懐の隠しポケットにしまうと、髪をブラシで梳かしてから、慎重に部屋を出た。
 いつもの警護役は、しばらくは襲撃がないだろうからと、雪芽は今日のために誰も付けないでおいた。
 革靴を履き、ゆっくりと庭を歩く。砂利の音を立てないように歩き、雪芽はとうとう時空ゲートである門の前へと辿り着いた。そこでゆっくりと息を吸い、吐き出すと震える手で門へと手を伸ばした。
「どこに行くのかなご主人様」
 門に手が触れた時、雪芽の背後から声がした。その声に雪芽は門から手を離さずに告げる。
「何処へだっていいでしょう」
 僅かに震えているその声に、それならと声の主、亀甲貞宗は雪芽の腰の辺りに手を伸ばした。
「なら、その懐にある刀は何かな」
「っ!!」
 雪芽が驚き、急いで亀甲から離れる。亀甲はそんな雪芽を柔らかな目で見つめ、手を差し伸べた。
「広間に行こう。みんなが待ってるよ」
 雪芽はその言葉に眉を寄せ、それから、隠しポケットの短刀を守るようにした上で彼の手を取った。


 広間ではこの本丸に所属する全ての刀が揃っていた。困惑する雪芽に、ご主人様はここだよといつもの上座へ雪芽を連れて行った。
 雪芽がいつもの席に座ると、薬研が口を開いた。曰く、今日の内番は話し合いが終わったら始めると言うことだ。雪芽は戸惑いながらも許可した。
「まず聞きたいのは、その刀は一体何だい?」
 歌仙が言うと、雪芽は隠しきれないかと刀を隠しポケットから取り出した。血の色をした刀身。しかし刀剣男士にはそれよりももっと注目すべき点があった。
「その刀から、主君の思いを感じます」
 秋田がそっと言うと、ええそうよと雪芽はことも無さげに言った。
「この刀は、私だもの」
 どこか釈然としない顔をする刀達に、雪芽はすらすらと解説を述べた。

 曰く、この刀は雪芽の血が混じったもの。その強い縁により、時空移動システムに対して、己(雪芽)を刀剣男士だと錯覚させるのが目的である、と。

「この実験が成功すれば、私達(私)はこのコピー本丸を拠点に、より多くの時代に向かうことが可能となる。そして幾多もの時間で私達(私)は侵略が可能となる」
 直接、遡行軍や検非違使、そして刀剣男士を攻撃することも可能となる、と。
 雪芽はそう言って。刀を強く握る。異を唱えたのは三日月だった。
「主よ、それがどういうことか分かっているのか」
「侵略は私達(私)の目的よ」
「違う。もしその実験が失敗した時、主は時空のどこかで彷徨うのことになる、もしくは、体が耐えきれずに生きながら手足がもがれるような痛みを与えられるだろう」
 それでもやるというのか。三日月の鋭い目に、雪芽は震えを抑えて視線を返した。
「ええ、だって私はお父様に愛されてる。だからなんだって出来るの」
 にこり、無機質に笑って見せた。

 ねえ、そう口にしたのは雪芽の隣に控えていた亀甲だった。
「ねえ、ご主人様。ご主人様はちっとも幸せそうじゃない」
「え」
 雪芽が目を見開く。突然なんだ、幸せ、幸せとは何だと彼女の顔にありありと浮かんでいた。
「ぼく、ご主人様の愛があれば何だって出来る。愛されていれば、ぼくは戦うことも折れることも怖くない」
 亀甲がそっと雪芽の手を取る。雪芽はその手から逃げようとする。
「そして、愛されているからこそ、ぼくは皆に優しくできる。愛を知ってるつもりなんだよ」
 手を振りほどき、雪芽は耳を両手で塞ごうとして、亀甲の優しい手に止められる。

「でも、ご主人様は」

「愛されていると言ってるのに、自覚していると言うのに、ちっとも優しさを知らない。とても不器用だね」

「ご主人様は愛されていると言うのに、他人の心が分からないみたいだ」

「ぼくはね、ご主人様に愛されていると思ってる。だからこそ、ご主人様の幸せがいちばんだと思ってる」

「でもご主人様は」

「お父様に愛されていると言うのに、ご主人様は、」

「お父様の幸せを願ってないよね」

 亀甲が穏やかに笑う。雪芽は目を零さんばかりに見開き、口を開いて、声にならない声を上げ、叫び、頭を振り、髪を乱す。
「あ、ああああ! わたしは! わたしは!! お父様に愛されてるのよ!」
「本当に?」
「ええ、ええそうよ! 私はお父様に愛されてる! だから私は何だってできるの!」
「ご主人様、だったら一つ聞いていい?」
「ええ、ええ、何かしら?」
 幾分か落ち着いた声で雪芽は質問を受け入れる。亀甲は痛ましそうな顔で、そっと告げた。
「ご主人様はお父様に僕を折れと言われたら、折れるかな?」
「っあ、」
「僕だけじゃない、加州、獅子王、乱、愛染、三日月……みんなを折れるかな?」
「やめ、やめて」
「ねえ、ご主人様。これは僕の推測だけど」
 亀甲はそこで一度区切り、少し考える素振りをした。
「お父様というヒトの愛って、僕らが知ってる愛とは違うんだね」
「なにを」
「確かに強い加護を感じるよ。でもね、そこまでだ」
 びくり、雪芽の肩が揺れる。
「その加護はご主人様を助けるようなことを一つでもしてくれたのかな?」
「うそ、やめて」
「ご主人様が困っている時に、そのヒトは助けてくれたのかな」
「ちが、ちがう」
「だとしたらご主人様のお父様が愛しているというのは、」
「やだ、やだっ」
「"ご主人様自身"を愛しているわけじゃないんだね」
「いやだああああ!!!」
 雪芽が叫ぶ。頭を振り、金色の髪を乱しながら、胸を掻き毟り、畳の上でのたうちまわる。暴れる雪芽を押さえつけたのは薬研と三日月だった。雪芽の目と亀甲の目が合う。雪芽の目からは光が消え、透き通るようだった青い目は濁りを見せていた。

 だから、今だ。亀甲は両腕を拘束された雪芽に、手を差し伸べた。
「ねえ、ご主人様。ぼくたちの所においでよ」
「な、にを」
「神隠し、されてほしいんだ」
「は、」
「ご主人様が悲しいのは、ぼくも悲しい。そしてそれはぼくだけじゃない。みんなが思ってる。お父様がご主人様を苦しめるなら、ぼくらがご主人様をお父様から引き離してあげる」
「何を言ってるの! 私は、私は隠密行動用プログラム、いわばソフト。そしてハードはお父様よ! 私はお父様から引き離されたら、動くことも話すことすらも出来なくなるわ!」
「それはつまり、お父様から力を得てるということ?」
「違う! お父様は私を、あいして、与えてくださって、」
「そっか、ならご主人様はぼくらの神気を使うといいよ」
「何を言って、そんな、そんなこと出来るわけが」
「できるよ。きっと、出来る」
 だってぼくらは神様の一端だからね。そう言って微笑んだ亀甲に、雪芽は恐怖の表情を浮かべた。
 ぷつりと針で指を刺し、近付いてくる亀甲の手。
「いや、そんな」
 その手は雪芽の口へと近づいていく。
「やだ、やめ、」
 ぐいと雪芽の口内に指を差し込み、ぐるりと一周すると、亀甲は大丈夫と笑った。
「きっと大丈夫。これで助けてあげられる」

 そうだよね、雪芽。

 時間が歪む、空気が歪む。呼吸が、息がつまるような空間の塗り替え。
「やめてえええええ!!!」
 とぷん。まるで水が丸くなるように、本丸は静かに閉じられた。



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