06:だれもいなかった本丸 亀甲視点 夕方、手入れが終わると、ぼくはご主人様の部屋へ向かった。お礼を言いたかったのだ。 部屋の前では三日月が日向ぼっこしていて、ぼくの気配に気がつくと顔を上げ、微笑みを浮かべて頷いた。ぼくは頷きを返して、ご主人様の執務室の前に立った。 「ご主人様、ぼくだよ、亀甲貞宗だよ」 「どうぞ」 許可を得て、障子戸を開く。部屋に自然光が射す。人口灯に満たされていた部屋の中が、ふわりと暖かくなった。 電子パネルを操作していたご主人様がフッと目を伏せる。すると幾つもの電子パネルが閉じていく。やがて机の上は硯と筆と、鉛筆と油性ペン、判子と大量の紙が散らばるだけとなった。 ご主人様がくるりとこちらへ体を向ける。 「どうしたのかしら」 「ああ、いや、大したことではないのだけど、お礼を言いたくて」 「お礼?」 不思議そうな顔をするご主人様に、ぼくは答えた。 「手入れをしてくれて、そして、ぼくの秘密を受け入れてくれてありがとう」 「感謝されるようなことではないわ」 「それでも、言いたかったんだ」 そうなのと不思議そうにするご主人様に、ふとご主人様に感じていた違和感が消えていることに気がついた。深い加護のような、何か強い力を感じない。どういうことなのだろうと思いながらも、それを問うのは今ではない気がして、気になる点を問いかけた。 「三日月さんを近侍にしているんだね」 「ええ、付き合いが一番長いもの」 「一番?」 「ええ」 「初期刀が居るんじゃ」 「いないわ」 はっきりと言われて、ぼくはポカンとしてしまう。【初期刀がいない】とはどういうことなのだ。 「こんのすけが最初に選ぶようにって」 「こんのすけもいないわね」 今度こそぼくは唖然として何も言えなくなってしまった。【こんのすけがいない】だって? 質問はそれだけかしらとご主人様は仕事に戻ったので、ぼくは浅く頷いて執務室を退室した。 外はもう夜。三日月が振り返り、立ち上がって庭に出た。そして愛染と今剣を呼ぶと、ご主人様の部屋番を頼む。そうして、ぼくを見た。 「少し話がある」 何、怖い話ではないさと三日月は笑っていた。 「随分と慣れたようだな」 夜の庭を歩きながら、ぽつりと言われた言葉に、ここの生活に慣れたと思うと答えた。すると三日月はそうかと、意味深そうに口元を隠して笑った。 「何がおかしいんだい?」 「いや何、結局はお前も同じなのだな」 「え?」 眉を寄せれば、三日月は少し前を歩きながら、歌うように告げる。 「今、顕現可能とされる刀が全て揃った。その最後の一振りだったお前なら、と思っていた」 期待外れだと目を伏せた三日月は、突き放すような強い言葉の割に、どこか寂しそうだった。だからぼくはこの言葉には怒るべきではないと気がついた。 「そう期待されてたの、知らなかったよ」 「知る必要は無い、だが、知るべきなのかもしれぬ」 なあ亀甲よ、遠くで鳴く鵺のひゅるりととした声が聞こえる中、三日月は言った。 「お前がもし本当に雪芽に愛を求めるなら、お前は雪芽を壊さねばならなぬ」 「待って、雪芽って、誰? 壊す?」 おやと三日月は首を傾げる。 「主の名さ。知らなかったか」 「知らなかったよ! そんな、名前を知るなんて」 ぼくら人ならざる者、そして力ある人は言霊という力を操れる。言霊とは言葉に宿る魂だ。それを操ることが出来ると、本当に様々な事が可能となる。勿論、万能の力ではないが、それでもとても重要な、日の国に根付くものだ。 「平気だ。雪芽は簡単に呪えるものではない」 「そうだとしても!」 「現に俺は雪芽を呪えないからな」 その言葉に驚き、思わず口元に手を当てて声を抑えた。三日月の神格は他の刀剣男士より高い。それなのに呪えない、とは。 「というか、壊すって」 考えても仕方ない、というよりまだ気になる言葉があるのでそう質問した。すると三日月は言葉通りだと答えた。 「そして、お前にしか出来ぬことだ」 「なんだいそれは」 「今ならば、まだ雪芽の父を知らぬお前ならば、きっと」 切に願うような響きに、ぼくは首を傾げる。 「父って?」 「知るべきではない。まあ、俺たちも正確には知らぬがな。しかし、お前には悪いが、俺たちはお前に期待している」 質問に簡潔に答えられた上に自分たちもよく知らないとはどういうことだろう。そして、期待、とは。 「何をだい」 ぼくはこの答えを聞き逃さぬように耳を澄ませた。三日月もまた、大切なことを言うのだと、真剣な面持ちとなった。しばらくして、三日月の声がぼくの耳に届く。 「お前が反乱の旗印となることを、だ」 偉大なる父への反乱を、我らは望むと。 |