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あとがきと設定
おつきさまのしゅうまつ、これにて完結です。2017年の1月からお付き合いいただきありがとうございました。今回も趣味を詰めに詰めたお話となりました。おつきさまのしゅうまつのテーマは「月」「週末と終末」そして「宮沢さんなら奇跡を起こせる」でした。宮沢さんなら奇跡を起こせる、私信じてます。そんなノリでした。


以下、正式な月乙女新美の設定になります。
!星空ガール'sシリーズのネタバレしかありません!


人間名:月乙女新美(未変換 月乙女 新美)
月による対地球用自動式補助プログラム。
存在するだけで月の存在を安定させ、他の星々が地球を侵略し易くするプログラム。あくまで補助なので、侵略手段は持たない。

星空ガール'sは対地球用の侵略者です。つまり地球ひいては人類の敵です。星空ガール'sの世界観では星同士の領土の奪い合いが発生していて、新美はその為のプログラムの一つに過ぎません。
新美はあくまでプログラムですが対地球用に擬似人格を持っています。そしてその擬似人格は育つこともあって、今回の新美は既に何らかの時空で任務を終えて擬似人格が育った状態から、おつきさまのしゅうまつはスタートしています。
おつきさまのしゅうまつは、そんな新美が月に殺処分されるまでの待機の場所とされる世界に宮沢さんがトリップしてしまったことから始まります。

月乙女新美は破綻している。破綻していながらも存在するだけで価値がある。
これがプロローグで月が語っていた内容の簡潔なバージョンです。月と新美はハードとソフトなのに分かり合えないのです。
ちなみにプロローグ?では作中に2番目に出てくる新美が宮沢さんの記憶を取り戻した奇跡から、月に宮沢さんの記憶を消さないようにと交渉しているシーンになります。結果、無事宮沢さんは記憶を失いませんでした。作中2番目の新美も特にお咎めは無かったと思います。だって新美は定期的にリセットされますので(ただし新美さんは気合と根性で宮沢さんの記憶を持ち続けるんだろうなあと思います)。多分何度も元気に生を全うして、宮沢さんがラヴへ世界で役目を終えた時にはひょっこり顔を出しに行くんじゃないでしょうか。最期にもう一度だけ、と。

新美の役割は「月の存在を安定させ、さらに他の星々が地球を侵略しやすくする」というものです。つまり補助プログラムです。この時点で、新美は星空ガール'sの中でも特に異端であり、破綻していることがわかるわけです。なぜなら新美は補助プログラムでしかない故に侵略手段を持たないから。しかもその補助プログラムは、新美の行動を必要としない自動的なもので、ただ新美が存在さえしていれば勝手に星々の助けとなるというもの。故に新美は月から何の役目も与えられていません。この点でも星空ガール'sとして新美は異端であり、役目を与えられていない彼女は星空ガール'sでありながら真っ当な侵略者とは呼べない。
そうして見離されたのに、新美は月から監視されています。月にとって我が子同然の身内の筈なのに、新美は月から監視されいます。この辺は月と新美が分かり合えないのも理由ですが、主な理由は、擬似人格が長くあれば不必要な心が芽生えるから。月は新美に生存を認めても、感情は認めない。だから定期的にリセットするわけです。いちいち毎回リセットしてたら面倒臭い、ならば定期的にリセットしよう。という月の思考です。

でもだからこそ、新美は自由なのです。リセットが定期的に決まっているからこそ月は新美を見放す、故に新美は姉であるヒカルを敬愛し、人を愛することができる。ヒカル以外はどうでもいいと言いながら、新美はとびきり人間が大好きなのです。そもそも新美がヒカルを敬愛するのは太陽だからではなく、ヒカルの擬似人格を敬愛しているからです。ヒカルを太陽と表しておきながら、太陽自身は二の次なのが本編でちらちらと垣間見えます。

新美は自分のリセットを死と表現することができます。これは星空ガール'sにとって異常なことです(何故なら星空ガール'sには命の概念が無いから)(地球に生きる人と同じ命の概念があったとしたら侵略に悪影響になるから)。その死が逃れられない定期的なものだからこそ、月は新美を見離し、新美は(他の星空ガール'sと違って)何も恐れず、何にも縛られず、何も怖がる事無く、人を愛する事ができます。

新美はいくらリセット(死)が繰り返されて記憶を失くそうとも、何度だって人間を愛するのです。「愛してしまう」のではない、新美は何度だって自ら人間を「愛することを選択する」。

故に、新美は星空ガール'sでありながら、とびきり幸福な少女であると言えるのです。だって新美は真の愛を知っているのだから。

そんな感じの設定があったのでした。ほぼ裏設定です。
ここまで読んでいただきありがとうございました!これからも日々精進、頑張ります。





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