14.××を××する
宮沢視点
人がもうほとんどいない商店街。新美さんは無人の八百屋で野菜を手に取り、お代をそっと野菜のあった場所に置いた。
夕日の中、二人がそれぞれ食材を持ちながら歩く。その歩みはいつも通りの速度で、新美さんもまたいつものように笑っていた。
夕飯は二人で作った。ジャガイモの皮剥きを新美さんと競争した。今日の献立はポトフと、キュウリのサラダ。美味しいねと二人で言いながら食べた。
もう、夜になった。ぼくは寝室に戻り、布団を敷いて、はあとため息を吐く。何も分からなかった。でも、新美さんと思い出を作れた。
もしかしたら、と思うことがある。もしかしたら新美さんはこの思い出を作る為にぼくとこの世界に生きたのではないか、と。ぼくが新美さんが生きた記憶を覚えているために、そして新美さんが生きた記憶を残すために。そういう、図らいの場だったのではないか、と。
しかし、それは考え過ぎだろう。とにかく、今は寝てしまうべきだ。そう考えていると、そっと扉をノックする音が聞こえた。新美さんだ。
「あの、えっと」
「新美さん、どうかしたのかい?」
扉を開けば、そこには一冊の本を抱えた新美さんがいた。
「これ、居間で読み聞かせしてもらえませんか」
そうして見せてくれた本はグリム童話だった。星に関係しない本もあったのかと驚いていると、新美さんはへらと力無く笑った。
「少しでも長く、居られたらと思って」
その言葉に、明日なのかと察した。明日、新美さんが消える、死ぬのだと。
「……構わないよ。そうだ、チェロはあるかい?」
思いついて言えば、新美さんは目を丸くして驚いていた。
「え、あるとは思いますが」
「読み終わったら演奏するよ」
少しだけなら演奏できるからと笑ってみせると、新美さんは嬉しそうに是非と笑った。
………
読み聞かせをしている最中、新美さんは驚いたり、笑ったり、涙を流したりと賑やかだった。楽器の演奏も好評で、結局二曲演奏した。そうして疲れからか、居間の机に突っ伏して眠ってしまった新美さんにそっと毛布をかける。暑かったり寒かったりはしないけれど、寝るなら一枚欲しいだろう。
時間は夜だ。本棚には相変わらず星の本が並んでいる。そこで、そういえばとぼくは窓に近寄った。この本棚には月の本が多い。だけど、この世界で月を見たことが無かった。
ほんのすこし前、ぼくは月の写真集を見て、新美さんが月のようだと思った。だから今、実際にこの目で見て同じ感想を抱くか試してみたかった。
窓から空を見る。月が見えない。窓を開き、身を乗り出す。見えない。見当たらない。まさか、丁度新月だったのだろうかと驚いた。満天の星空、光り輝く星々。タイミングが悪かったなあと思い、窓を閉める。新月はちっとも悪くないけれど、今は何となく月が見たかった。
でも、月を見たぼくは何を思うのだろう。本当に新美さんが月に似ていると思うのだろうか。だとしたらそれはどういうことなのだろう。
(新美さんの髪は月の光のよう。目もまた黄色い月のようだ)
本当に、そうなのだろうか。
何か、ぼくは見落としているのだ。妙な焦燥感がぼくを混乱させる。何が、何が違うのだ。月が、どうして、似ているから何だ。似ていると何がある。何だ、この違和感は。月と似ていたら何が悪い。
「私、本当のきょうだいと一緒にはいられないんです」
新美さんがそっと呟いた。満天の星空を背に、振り返る。新美さんは静かな面持ちで呟いていた。
「お姉さまは違う。違うから一緒にいられる。でも本当のきょうだいは私と同じだから」
新美さんは続ける。
「きょうだいって血の繋がりがあるのでしょう? だとしたら本当のきょうだいってお姉さまとは違う、私と何一つ違わぬ私のこと」
何を言っているのか、ぼくには分からなかった。だけど、新美さんが大切なことを話してくれていることだけは、分かった。
「私は結局、補助プログラムなんです。それも、自動式の。私は存在するだけで他の星々の役に立つ。だって、【新月には星の光がよく届く】でしょう?」
私、私はね。新美さんは言う。
「私は新月なんです。どうしようもなく、存在が保証されてるのに、それは、存在だけしか必要無いということ」
それでもね。
「それでも私は、何度繰り返したって、何度出会ったって、私はお姉さまを愛するし、人を愛します。だって私、見放されてる、自由なの。だから私、人を見つめることにしたの」
私は。
「私、人が好き。私は何度だって人を愛することを選ぶわ」
ありがとう。
「ありがとう、本当にありがとうございました」
また、明日。おやすみなさい。
新美さんが出て行った部屋の中。ぼくは、彼女が教えてくれた大切なことが、何一つ理解できなかった。否、理解したくなかったのだった。