9.思い出を語る
宮沢視点


 その日の夕飯は豆腐屋で買った豆腐を使った、焼き豆腐だった。特製味噌ダレを付けて食べてくださいと月乙女さんに言われるままに食べれば、味噌に混ぜられた山椒などの豊かな香りが口いっぱいに広がった。
 自信作ですと胸を張る月乙女さんに、美味しいよと伝えれば、とても嬉しそうに笑った。
「ふふ、とーぜんです! これは姉が喜んでくれたレシピですからね!」
「へえ、お姉さんが」
「ええ!」
 じゃあお姉さんにまた作ってあげなくちゃね、何と無しにそう言うと月乙女さんは途端に沈んだ声で、そうですねと呟いた。その声にハッとする。
 もしかしたら、言ってはならないことを言ってしまったのかもしれない。写真立てに写真があったのは月乙女さんがこの世界にぼくと同じように来てしまったからではなく、もしかしたら、もうお姉さんが亡くなってしまったからかもしれない。そう思い当たったぼくは何も言えずに、静かにご飯を食べたのだった。

 夕飯後、月乙女さんと話せる、何か他の話題を探さないとと考えながら歩いていると、ふと居間に明かりが灯っている事に気がついた。もう時間は夜。こんな時間に何かあったのだろうかと居間を覗き込めば、月乙女さんが自身の白く長い髪に櫛を入れているのが見えた。
 月乙女さんは髪に少量のオイルを塗り、丁寧に櫛を入れる。その様子を見ていると、彼女はぼくに気がついた。
「どうかしましたか?」
「いや、大した用じゃないけど……大切に手入れしているんだね」
「ええ、お姉さまが褒めてくれた髪ですから!」
 お姉さまという言葉に驚いて繰り返すが月乙女さんは驚いた事には気がつかなかったのか、ええと楽しそうに頷いた。
「姉のこと、お姉さまと呼んでいるんです。その方が尊敬した言い方でしょう?」
「それは、確かにそうだね」
 ぼくの言葉にそうでしょうともと嬉しそうに胸を張り、月乙女さんは手入れに戻った。
 彼女が長い髪を丁寧に手入れする様子、その黄色の目が愛おしそうに細められているのを見て、月乙女さんは本当にお姉さんが好きなのだなと、ぼくはどこか穏やかな気持ちになった。

 結局、お姉さんがどうしているのか、またはどうなっているのか、全く分からなかったが、月乙女さんはお姉さんとの思い出を語る時が一番楽しそうだと、夜の布団の中でやっと気がついた。だとしたら、無理にお姉さんの話題を避けなくとも良いのだろう。そう考えると、少しだけ気が楽になった。
 だからぼくは布団の中で目を閉じて、明日も早く起きようと思ったのだった。





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