ハヤアカ/心臓に咲く花


 これは夢だ。
 花畑の中、ピンクの髪をした女の子が寝転がっている。彼女は僕に気がつき起き上がった。口を動かした彼女の声は聞こえないけれど、きっと僕を呼んでくれたのだろう。優しく微笑む愛おしい彼女は僕を優しく呼んでくれている。花を踏みつけて駆け寄れば、受け止めてくれた。良い子、良い子とでも言うように頭を優しく撫でてくれるのはどこか父さんと母さんに似ていて、けれど何よりも愛おしかった。だから僕は今日も彼女に囁くのだ。
「だいすきだ、アカネ。」
 そう言うと彼女はいつだって泡のように消えてしまうのに。

 目を開けばいつもの自室の天井が見えた。最近の僕は体調を崩しがちで、ジムリーダーの仕事をぽつぽつとやるぐらいしか出来なかった。枕元に眠るポッポを撫でているとがらりと戸が開き、親戚の叔母さんが顔を出した。起きたんだねえ、ごはんを食べるかいと優しく笑うその人は僕の第二の母だった。
 おじやを食べて、言われるがままに座椅子に座って過ごす。膝の上にはポッポがいて、窓の近くではヤミカラスが日光浴をしていた。静かな部屋の中、まるであの花畑のようだった。何の音もないあの空間は、僕にとってとても幸せな空間で、父さんにも見せたいと思った。美しい花畑と、無音。空は高く澄んでいただろうか、そういえば僕はあの空間で空を見上げたことがなかった。

 今日も夢を見る。
 アカネが手招きをしてくれた。隣に座り、彼女の手元を見る。そこには花畑の花を使った、作りかけの花冠があった。無音の中、彼女が僕に語りかける。きっと、僕にくれる為に作っているのだろう。愛おしいと思った。これ以上無い位、僕は彼女が大好きだと思った。だから僕は今日も囁く。
「だいすきだ、アカネ。」
 やっぱり彼女は泡のように消えてしまうのに。

 起きてみると近くに人がいた。見ればおはようと笑いかけられる。エンジュのジムリーダーであるマツバだった。気分はどうかと言われたので、とても幸せだと答えればそうかと微笑まれる。叔母さんが作ったおかゆを食べているとマツバは言った。
「きみはわかっているだろう。」
 何が、と問いかける。マツバの表情は柔らかいのに、その目は僕を鏡面のように、ありのままを映していた。
「このままだときみは衰弱死をするよ。」
 その言葉に僕は確かに歓喜を覚えた。
「それはとても嬉しい。」
 マツバの表情がわずかに動く。しかし、僕はその表情から何かを読み取ることが出来なかった。マツバは言った。期限は近付いていると。僕は笑う。
 座椅子に座ってポッポを撫でながらマツバととりとめのない話をする。外の話とマツバのゆっくりとした口調はエンジュの人らしいと思った。
 時間がきて、マツバが部屋を出て行く。その去り際、振り返ることなく彼は告げた。
「彼女を引き止めるのも、もう限界だ。」
 心臓が痛いほどに鼓動した。

 今日も僕は夢を見た。花冠を編むアカネに駆け寄り、がばりと後ろから抱きしめる。柔らかな体と温かいその温度はまるで母の様だった。どうしたのとでも言うように無音の世界でアカネは口を動かす。この鼓動が彼女に伝わって欲しかった。僕はアカネが大好きで、欲しかった。隣に並んで歩きたかった。
「ねえ、アカネ。どうしてここは花畑なんだ。」
 問いかければ彼女は意味あり気に微笑む。そして爆発音、無音の世界で初めて音がした。どこからなんて確認しなくても分かった。頭上の天井が崩れていた。瓦礫がどんどんと降ってくる。小さな瓦礫が体に当たるのにちっとも痛くなかった。
「アカネ。」
 微笑む彼女に僕は告げる。
「さよなら。」
 彼女は寂しそうに笑った。

 目を覚ますと腹の辺りに温もりを感じた。視線を動かせばそこには人の手があった。白くて柔らかそうな手は確実に女性のもので、その手を指先から視線で辿れば涙を目に溜めて僕を見つめるアカネが居た。名前を呼ぶ。僕の声は震えていた。
「アホ。」
 アカネは大粒の涙を零した。
「アンタは救い様も無いアホや。」
 嬉しく無いのだと。夢の中で会ったって、嬉しくないと。
「マツバから全部聞いたわ。このアホハヤト。」
 ぼろぼろと涙が零れる。僕は手を伸ばす。その手はアカネの手で受け止められ、そっと顔が寄ってくる。すり寄せられた頬は、母の温度はしなかった。ほのかに少女の香りが鼻を掠めた。
「もう二度と夢なんか見んで。ウチと会って。」
 言葉はたどたどしく紡がれる。
「ウチはこんなハヤト見たくないわ。」
 僕は起き上がり、泣く彼女をそっと抱きしめた。母の柔らかさとは全く違う体、少女の香り、他人の体温。良い子良い子と撫でるのは彼女ではなく、泣き止んでくれと願う僕だ。
「お願いやから、起きて、ごはん食べて、鳥ポケモン達の世話して、バトルして、またお父さんの話聴かせて。」
 僕の胸にそっと頭を擦り付ける彼女に、僕は告げようとした。だいすきだと名前を呼ぼうとした。けれど違う。アカネが触れたこの胸に咲いている感情は、その言葉では表せられない。だから僕は告げた。
「愛してる、アカネ。」
 涙が胸に染みた。
「ウチはずっと昔から愛しとったわ、アホハヤト。」
 涙声が愛おしかった。

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