"あなた"の物語4/備忘録にして進化論/主人公についての諸々/ここで半分ぐらいです


 忘れられない記憶がある。最初に目を開いた時の、鮮やかな視界。世界の美しさを、わたし(ぼく)たちは感じ取った。

 たとえそれが、自己の意思ではなくとも、美しかった。それだけは事実で、真実だった。

 カブにも、忘れられない記憶があるのだろう。彼は、敗北の味を知っている。強かった。主人公には、理解出来ない、強さを持っていた。

 羨ましかった。でも、言えなかった。羨ましい、妬ましい。そんなことを言ったら、カブはきっとゆっくりと叱ってくれるから。

 カブは敗北を知っている。わたし(ぼく)たちとは、絶対に分かり合えない年月を、経ていた。


Another.4…カブ


『こっちは雪が降りっぱなし。カブの方は晴天続きなんでしょう? 水不足とか大丈夫?』
「お構いなく、対策はあるよ」
『それならいいってもんだね。ああマクワ、ジムを閉めてきて、もう夜だもの』
「おや、もうそんな時間か。ぼくも片付けないと」
『あら、作業中? 悪かったわね』
「別に構わないよ、暇だからね」
『あはは、そうね、暇だ!』
 メロンの快活な声に、カブは微笑む。チャンピオンが姿を現さなくなって一ヶ月と少し。ガラルは落ち着いていた。否、正確には時が止まっていた。そんな生活は慣れっこなので、カブは焦ることなどない。メロンもまた、そうだった。
 そもそも、あのチャンピオンがチャンピオンロードを駆け抜けたのが異常現象だったのだ。

 きっと、あの子は今頃よく眠っているだろうよ。電話口に、メロンは言う。
『ずっと走ってたんだ。休むぐらい否とは言わないよ』
「それもそうだね」
『ああ、ヒトモシの声がするよ。お世話中かな』
「うん。炎をチェックしてるんだ、今日も元気そうだよ」
『そりゃあ、良かった』
 メロンはまた笑う。カブもまた、微笑みを浮かべたままだ。困ることは一つもない。時が止まったガラルも、いつかまた時が動き出すことだろう。
 きっと今は充電期間なのだ。カブは思う。主人公が、いない今こそが、ぼくらの意義が、試されると。
「苦しくはないかい」
『あたしが?』
「うん」
『当たり前のことを聞くんじゃないよ。楽しいさ、近い未来にあの子とまた会える気がするんだ』
 楽しみで仕方がない。そんな声に、カブは安堵した。ぼくらは同じだったのだ。
「帰ってきた時には何が起こるだろう」
『一気に忙しくなって、考える暇も無くなるだろうさ』
 かあさん、そんな声が聞こえた。はあい、今行くよ。そうしてメロンは通話を切った。カブはヒトモシたちの世話をしながら、チャンピオンに思いを馳せる。

 まだ若い子だった。心も体も若かった。だから、安心できる。未来は確約されている。カブは休眠の大切さを知っている。
「また、会える日が楽しみだね」
 ヒトモシはモシモシと笑っていた。

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