キバネズ/青薔薇/妖精に気に入られるお話/続きたい/捏造しかない


 ぴ、しゃん、しゃらり。薄い水が張っている。目を開き、湿った苔を踏みしめて、ネズは周りを見回す。真っ平らな森の中。太い木々とその周りを這う根。どこからか、水の滴る音がした。導かれるように、ネズは歩き出そうとして、立ち止まる。
 ここは何処だろう。こんな場所、ガラルにあっただろうか。数年前とはいえ、ジムチャレンジで各地を巡った身、こんなところは見たことも聞いたこともない。その違和感が強くなるにつれ、ネズはそっと眠りから目覚めていった。


・・・


 目を覚ます。丁度あと一分で目覚ましが鳴る前だった。目覚まし時計を消してから、起き上がる。部屋の隅ではタチフサグマがぱちりと目を覚ましたところだった。どこか不安そうな彼に、朝飯でも作りますかとネズは告げた。

「よっ、おはよう」
「おはようございます」
 ひらひらとキバナが手を振った。紆余曲折あって恋人となったキバナには合鍵を預けていて、いつでも来ていいと言ってある。
 確か買っておいたミートパイがあったはず。ごそごそと冷蔵庫を探していると、マリィが起きてきた。
「おはよ、アニキ、キバナさん」
「おはよーさん」
「おはようございます、マリィ」
 よく眠れましたかとミートパイを探し出して問えば、うんと、まだ夢心地らしき返事が返ってきた。
「いい夢をみたけん、なんかぼーっとする」
「いい夢ならいいじゃん。とりあえず顔でも洗ってくるか?」
「うん……」
 夢か。ネズはヤカンで湯を沸かしながら、ぼやいた。
「何だか、変な夢を見たような」
 え、なに。聞き取れなかったらしいキバナが問いかけた。なので、何でもないですよとネズはへらりと笑って、沸いた熱湯を温めておいたポットに注ぎ、ポット用のティーバックをぽとんと入れて蓋をした。勿論、砂時計をひっくり返すのも忘れずに。

 朝食はミルクティーにミートパイだ。トースターで温めたミートパイはスパイクタウンのお気に入りの店のものだった。美味いなと驚くキバナに、スパイクタウンにもこういう店があるんですよとネズは胸を張った。町の誇れるところは存分に主張していくべきである。


・・・


 チャンピオンやホップと出掛けるというマリィを見送り、キバナは仕事に向かう。ネズもまたライブの調整のためにスパイクタウンの最奥に来ていた。

 あれこれ指示を飛ばし、相談していると、ふわりと温かな風が頬を撫でた。ふと顔を上げれば、岩が見えた。スパイクタウンの隅に大切に置かれたそれは、決して荒らしてはならないとガラルでよくよく言い伝えられる妖精の住処のひとつだ。

 じいとそれを見てから、ふいと視線をそらし、ネズはライブの最終調整へと戻った。どこか、その岩に惹かれる自分に、見ないふりをして。


・・・


 ライブ後の打ち上げに行くかとネズが支度していると、共演したギタリストが、今日は帰ったほうがいいんじゃないかと打診してきた。どうやら、顔色が悪いとのことだった。
 ネズははてと思いながらも、確かに酒を飲んでいるわけでもないのに妙にふわふわとすると自覚し、各方面に挨拶をしてから帰路についた。

 帰宅すると、家にはマリィのみがいた。キバナさんは明日来るって。そう言ったマリィは訝しむようにネズの顔を覗き込んだ。
「なんか、アニキ、顔色悪いよ」
「そうですかねえ」
 ライブは上手く進んだし、ストレスを感じることも何もない。そうだ、全く思い当たるフシがない。ネズのその不思議そうな様子に、まあいっかとマリィは作り置きの夕食をネズと食べてくれたのだった。


・・・


 夢だ。ネズははっきりと自覚した。霧が晴れた夢の中には大樹がそびえ立っていた。生命力に溢れた、つやつやとした木の葉。光を求めて目一杯伸びる枝。木の幹は、触れてみれば程よく湿っていた。ちちちと、見慣れぬ鳥が飛んでいる。鳥は向こう側とこちら側を行き来できる存在だ。ネズはぞっとした。ここにいてはいけない。だが、妙に居心地が良くて、迷いが生じる。おいで、おいでと何かに手招きされている。何かなんて今更だ。ポケモンではない摩訶不思議の黒黒とした目が、ネズを見つめていた。
 黒は、純然たる魔力だ。いつしか聞いたそれを思い出しながら、ネズはくるりと背を向けて、走り出した。木の根が這う、何度も躓きそうになりながら走る。飛んで、跳ねて、ネズは外を目指した。鳥が追いかけてくる。捕まったらどうにかなってしまう。本能の叫びに、ネズは愛しい恋人を思い出した。ああキバナ、どうか助けて、と。


・・・


 朝だ。飛び起きて、近寄ってくるタチフサグマに体を寄せた。温かな体温に、ほっと息を吐く。朝食でも作ろう。ネズは夢のことを考えないようにしながら、何故か慌てるパートナーたちを横目にキッチンに立った。

 よく焼いたカリカリのベーコンに、スクランブルエッグ。ベーカリーで買ったパンをトースターで温める。

 そうこうしていると、ばたばたとマリィが起きてきた。どうやらカラマネロ達が起こしたらしい。ネズがパートナー達を諌める前に、マリィは兄を見るなり、何があったのかと詰め寄った。
 その必死な形相に、何事かとネズは首を傾げる。あのね、驚かないで聞いてほしいけん。マリィはそう前置きして言った。
「アニキの体が透けてる!」
 ネズは、しばらくの間を開けてから、は、と息を吐いた。
「……はい?」
 よく見れば、自分の手は向こう側が透けていた。

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