キバ→ネズ/予想外/捏造しかない/これは二次創作です


 初めて見た、その目に射抜かれた。

 つまらない話、つまらない日常。そんなものを若者は抱えがちらしい。だが、キバナにはそんな暇はなかった。いつも目の前のライバルを追いかけて、戦って、負けて、悔しがって、次のバトルに備える。その中で色んな人に会ったけれど、圧倒的なライバルを超える存在は一人もいなかった。
 なのに!だのにだ!
 トーナメント戦。ここで負ければ引退試合だというバトルに、ネズは歌いながらキバナの前に現れた。なんの予兆もなく、なんの兆候もなく、静かに現れ、一瞬にして最高のステージを創り上げた。

 初めて出会ったネズは、キバナにとって今まで見たことも聞いたこともないような人間であり、トレーナーであった。ダイマックスを嫌い、廃れ行く街を愛し、才能豊かな妹にジムリーダーを明け渡すのだと高らかに宣言した男。何もかもが、終生のライバルだと決めたダンデとは、違った。ダンデは勝ち続ける。ネズは勝ちを善とも全ともしない。勝負の世界で、彼だけは違うフィールドに立っていた。

 唯一、彼に近かったのはポプラだろうか。あのお婆さんは跡継ぎを決めかねていて、今回の大会では、ようやく此れと見定めた少年をトーナメント戦に無理矢理突入させた。ああそうだ。彼女はもう決めていた。ネズもまた、決めていた。

 ネズの戦い方はダンデや才能豊かな子どもたちなどの、圧倒的な試合運びとは比べ難い。だが、相手のやりたいことをやらせないキバナのバトルに、真正面からぶつかったかと思うと、あくタイプ使いらしく器用にダイマックスを封じてみせた。
 天才ここに現る!キバナは正にそう思ったのに、世界は、ネズは、そうは思わなかった。キバナの勝利に終わり、宣言通りの引退試合となった後、ネズと握手した。骨ばった薄い手は、何よりも、ひどく小さく思えた。マイクを握る手はもっと大きく見えたのに。


 だから、それから、ダンデがチャンピオンを譲り渡したあと、ダイマックス騒ぎでネズと会ったときには、夢かとまで思った。またバトルがしたい。その一心で声をかけたのに、彼は嫌うように頭を横に振ったり、俯くばかりだった。何も公式戦をもう一度戦えとはいっていないのに、彼はもういいんですとでも言うようにキバナの元を去った。


 ダイマックス騒ぎが収まると、キバナはスパイクタウンを訪れた。
 あの騒ぎによる諸々の手続きは終えていた。その中で、ネズはマリィを影から支え続けていると知った。まだ若い彼女に書類裁きやパトロールなどはまだまだ酷だろう。ネズはそうして妹を支えながら、バンド活動に積極的になっていた。

 そう、バンド活動だ。ネズのライブチケットを手に入れて向かえば、今にも崩れそうな街の中で、一際輝くライブスタジオが見えてくる。チケットを確認する際に本人確認でリーグカードを見せれば、スタッフに二度見された。そんなにジムリーダーが一般のチケットを持っていたら不思議なのだろうか。むしろジムリーダーが見に来ること自体が珍しいのか。
 時間になるまでにライブグッズを購入し、スマホロトムの電源を落として、周囲のファンに紛れて舞台を見上げる。時間になると、猫背の男がゆっくりと歩いて現れた。
 マイクを手にすると、歯がゆいまでの速度で辺りを見回した。その際中、キバナに気がつくと少しばかり目を見開いたが、反応はそれだけだった。

 そこからは魂が震えるような、心のやわいところを刺されるかのようなライブだった。
 帰る前にとその場に留まって余韻に浸っていると、スタッフからひっそりと呼び出され、舞台の裏手に連れて行かれた。

 何かと思えば、そこにはライブを終えたネズが、おいしいみずを片手に待っていた。
「ああ、見間違いじゃなかったんですね」
 パイプ椅子に座った彼は彼はハアと息を吐いた。気怠気な態度、流れる汗が扇情的だった。綺麗だな、素直に思う。
「来ちゃ駄目だったか?」
「おまえ、自分がそこそこ有名人だって自覚あります? 次からは関係者席に座らせますよ」
「お、次もいいのか?」
「混乱を避けるためであってまた来いとはいってねーんですけど」
 ネズはハアと、また息を吐いた。ため息の多い男だ。幸せが逃げるぞと言えば、知ったこっちゃないですねとあしらわれた。
「で、何か要件でも?」
「別に何もないぜ」
「は?」
 いや何かあるでしょう。初めてそうやって確かに動揺したネズに、キバナはいいやとはっきり頭を横に振った。
「ただ、ネズのライブが見たかっただけ」
「な、なんですかそれ」
「悪いか?」
「悪くはねーんですけど、ちょっと、頭がイカれましたか?」
「ひどくね?」
 シーソーコンビにでも頭を叩かれたのではと言い出した男に、だってさあとキバナは繰り返す。
「あれだけ誘ってもバトルしてくれねーんだもん。だったら、見に来るしかないだろ?」
「ライブとバトルは同じじゃありません」
「ネズのバトルは歌ってるみたいでゾクゾクするのに」
「うるせーです」
 ああもうとネズは首をぐりぐりと回してから、おいしいみずを一口飲んでボトルを机に置いた。おいしいみずはもう残り半分も無かった。
 彼が顔を上げる。
「バトルの約束ならしてあげますよ」
「いいのか!?」
「その代わり、ライブに突然来ないでくだせえ」
「え、なんで?」
 きょとんとすれば、ネズは頭が痛そうに眉を寄せた。
「さっき言いましたよね、混乱を避けるためです」
「んんん、でもライブも良かったぜ」
「妙に食い下がるヤツですね……せめて関係者席に回しますから」
「でもオレさまもライブの当落で喜んだり落ち込んだりしたい」
「なんですかそれマゾですか」
「わかんねーけど、いちファンとしてだな」
「えっ、ファンなんです?」
「え、ファンじゃ駄目か?」
 駄目じゃないですけどと、ネズは呆れ返った顔をして、ともかく予定はいつ空いてましたっけと何やら考え始めたのだった。


 あれこれ決めてからナックルシティに帰り、ネズがライブで歌ったアルバムを聴く。生の声のほうがずっとテンションがアガるが、録音した音声もじんわりと耳に馴染む。
 哀愁のネズと呼ばれていることはSNSを見て知った。今日のライブのことを検索すれば、わりとファンにも好評だったらしい。時々、キバナさんっぽい人がいたと発信されていたので、キバナはやはりバレるよなあと頭をひねった。知名度も身長もわりと目立つことは自覚していた。しかし、関係者席も悪くはないが、あの目に射抜かれた人間としては関係者席では物足りなかった。

 シャワーを浴びてベッドに寝転がって、もう寝るぞという間際まで、キバナはネズの歌声を聴き続けたのだった。またあのライブの熱狂の中に立ちたいと、願いながら。


・・・


 次の日、シュートシティでのトーナメント戦の後、カフェでダンデと会った。
 チャンピオンの時よりももっと落ち着いた彼に、ネズのライブに行ったこと、注意されたこと、バトルの約束を取り付けたことを矢継ぎ早に話せば、圧倒されながらも、やがてくつくつと笑いが返ってきた。その珍しい顔に、キバナはむすっと不機嫌になる。
「なんだよ」
 口を止めてそう言うと、いやなんだかなと、ダンデは穏やかに笑った。
「恋をしているみたいだと思ってな」
 その言葉に、思考が停止した。こい、鯉、恋だって?
「……は?」
「いやすまない、あんまり情熱的に話すものだからな」
「え、いや待って、まじで?」
 そう見えるのと問えば、そうも見えるとダンデはのんびりと応えた。目の前の男は紅茶を飲みつつ、チョコレートを嗜んでいた。ここだけ見ればバトル狂いの方向音痴男とは見えないだろうなとぼんやりと思ったりした。
「いい恋じゃないか」
「どこがだよ?!」
「勝算はあるのか?」
「知らないっての!」
 すぐ勝敗を見極めようとするのはダンデの悪い癖だ。バトルには大いに役立つが。
 そもそもオレさまは違うと、キバナは否定しようとして、ネズのあの目が脳裏を過ぎった。
 ああそうだ、射抜かれたのだ。あの、猫背で陰鬱で、根っから暗くて、こちらを見上げてきたその顔の、中で輝く浅葱の瞳に、射抜かれた。

「マジかよ……」
 高鳴る心臓と、破裂しそうな脳味噌。崩れるように椅子に座れば、それを見たダンデが高らかに笑った。
「どうだ、初めての恋は」
 ああそうさ。全く持って青臭い。初めてじゃないのに、正に初めての恋だった。
「オレさま、全然勝てる気がしねえ」
 最強のジムリーダーなのにさあ。そうボヤけば、それはご愁傷さまだなと、ダンデはまたくつくつと喉で笑ったのだった。

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