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 2024.01.07.Sun:20:31

フリーワンライお題で自主練させていただきました。
使用お題:虫の音/嫌いだなんてそんな/何度言えば信じてくれますか/水の音
ジャンル:二次GL
CP:チリオモ
タイトル:まほろばの囁き
#真剣文字書き60分自主練編


 虫ポケモンたちの音がする。チリは馴染みの音に耳を澄ませる。地方によっては騒音とされるが、トレーナーとして野宿などもしたことがある身としては、虫の音があるだけマシだ。何の音もしない夜ほど、恐ろしい前兆はない。
 オモダカが水に入っている。虫の音に混じって、ちゃぷ、と水の音がした。てらす池の調査だ。オモダカ自らが調査をする。それがてらす池の調査許可の条件だった。チリはあくまでサポートなのだ。
「チリ、まだ明るいですね」
「せやな。でももう夕方になるで。冷えるやろ」
「いいえ、水は温かいですよ」
「そうなん? まあ、マグマッグがいるようなところやからなあ」
 そろ、と横目に通り過ぎるマグマッグを眺める。オモダカがふと、言った。
「チリは水が嫌いですか」
「嫌いだなんてそんなことないで。ただ、まあ、気分はよくないわ」
「ふふ、根っからのトレーナーですね」
 じめんタイプ使いらしい。オモダカはそう笑った。
 キラーメがきらきらと飛んでいる。彼(彼女)たちはオモダカに近寄る。オモダカは微笑みを浮かべて、野生のキラーメたちをそのまま自由にさせていた。ダイビングスーツのまま。
 もしキラーメが、オモダカのまとめた髪に引っかかるようならチリの出番だろう。
「また潜ります。不純物の少ない水のサンプルがほしくて」
「ん、気張りい」
「はい。チリはここで待っていてください」
 キラーメたちが去り、ちゃぷん、と、オモダカはまた池に入っていく。チリはただ、人魚のようだと思った。

 オモダカが人魚なら王子様はどんな人だろう。
 どんな人間だろうと、チリは王子様になどなれない。チリはどうしたって女性であり、そのことを意識している。オモダカも立派な女性だ。
 お姫様とお姫様は結ばれることがない。でも、もし、オモダカとチリの関係がもっとずっとフラットなら。
 そうだったなら、チリはオモダカに従うことはなかった。でも、好きだと、言えたかもしれない。告白を、できたのかもしれない。
 無意味で無価値な空想に耽る。虫の音がする。水の音がする。まやかしのカゲロウが踊る。キラーメが、地上の星のように煌めいている。
「疲れましたか」
 それは幻聴だろうか。
「チリ、私はここですよ」
「あ、」
 オモダカが不思議そうに見ている。まとめて、濡れた髪から、ぽたぽたと雫が垂れる。温かい水だ。ここは温泉のように温かく、湯気も立っている。結晶が無数に生まれて、水に溶けているようだ。テラスタルの結晶と水には何かしらの因果関係があるものなのだろうか。チリにはその手の学がない。否、目の前にその手のプロがいる。だから、比較として、チリはテラスタル現象を知らない側のトレーナーだった。
「総大将は平気なん?」
「私は平気ですよ。異常ありません。チリは、当てられましたか」
「そうやな、少し、変な感じがするわ」
 ここは死者との交流の場。目の前では、オモダカが濡れている。虫の音は変わらず、響いている。うるさいほどに、耳に。
「何の音が聞こえますか」
「むし、の、音がする」
「……なるほど」
 そっと、たおやかな手がチリの頬を撫でた。手もまた、濡れている。すり、とピアスホールを触られた。
「ここに虫ポケモンはいませんよ」
「あ、」
 虫の音が聞こえない。無音。静かな夕方になろうとしている。オモダカはただ、柔らかく笑っている。
「疲れていますね。もう少しで採取も終えます。サンプルには充分ですから」
「は、い、」
 するりと、と甘やかすように頬を撫でられて、オモダカは水のサンプルを回収していく。ちゃぷ、ちゃぷ、と水の音がする。ぴ、ぴ、とピッピたちが姿を現し始める。ああ、今宵は月夜だ。
 月が出る。
「そろそろ帰りましょうか」
 キタカミセンターに部屋を用意してもらっていますよ。オモダカはそう言いながら、ダイビングスーツを脱ぎ始める。
 さらさらと脱いで、体を拭いて、シャツとスラックス姿になる。いつもよりはラフだが、キタカミの里にとっては少しだけ浮くかもしれない。それはチリとて同じだ。
「行きましょうか」
「はい」
 オモダカに誘われるがままに山を降りていく。夕暮れはもう終わろうとしている。でも、まだ夜ではない。真っ赤な時間に、ふっとオモダカは言った。
「こういう時間をたそがれ時と言うそうです」
「ふうん」
「誰そ彼、という言葉です。意味は、目の前の人が誰か分からない、というもので、」
「はあ」
「目の前の"それ"は化け物かもしれないのです」
 ねえ、チリ。
「あなたは私を何者だと思いますか」
 ひゅ、と息を飲む。オモダカの目は星空を流し込んだ宇宙のように、煌めいている。深藍に無数の金剛石。白いシャツが、風に揺れる。今ここに、チリは世界と対峙する。オモダカはその身に宇宙を抱いている。御母である。パルデアの母である。母性もまた、オモダカの心理である。真実にこそ、神は不要である。オモダカは人である。人だからこそ、彼女は宇宙をその胎(はら)に抱く。
「総大将は、総大将、やろ」
「はい」
 誰が何と言おうと、変わらない。
「チリちゃんを見つけ出した、張本人さんやな」
「はい」
 オモダカは嬉しそうに頬を染めてゆるりと笑う。ああ、無邪気な少女のよう。チリはそっと手を握った。冷たくはない。指を絡める。柔らかくて、滑らかで、誰よりも強い手だった。
「なあ、総大将」
「なんですか?」
「チリちゃんはなあ、もう総大将に攫われたようなモンなんやで」
 知ってた?
 チリが悪戯っぽく言うと、オモダカはまあまあと目を瞬かせた。
「それは大変失礼しました」
「思うともらんこと言わんといて」
 山を降りると、虫の音がした。チリはうつし世へと帰って来れたのだ。



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