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 2016.01.25.Mon:01:11

第28回フリーワンライ企画様へ提出作品
使用お題:この冬最初の雪/古びた楽器/金糸雀/茜色に滲む視界
ジャンル:オリジナル
タイトル:原点たる茜
#深夜の真剣文字書き60分一本勝負
語り部の性別はお好きにどうぞ。


 この冬、最初の雪が降った。きっとまだ積もりはしない雪なのだが、私はほろほろと故郷の雪景色を思い出した。さらに記憶をたどれば思い出したのは、ちらほらと雪が降って一面の雪景色をさらに濃くするようなあの日の景色だった。思い出したついでに部屋の角、暖炉から離れた位置に置いていたケースを引っ張り出し、ケースから古びた楽器を取り出した。長い間メンテナンスを施していないそれはとても音が出るようなものではないだろう。その楽器をなぞり、あの日のことを手繰り寄せるように思い出した。

 あの日は日差しがあるのにちらほらと雪が降る日だった。午後二時頃だっただろうか。ガラス張りの温室で私は彼の為に演奏をしていた。拙い演奏を彼は喜んで聞いてくれ、温室を飛び回っていた彼のカナリアが枝に止まって聞いていると教えてくれた。私は喜んで彼とカナリアの為に演奏をした。休憩にしようと使用人が持ってきてくれた洋菓子とミルクティーを食べている時、彼と何度目かも分からないお喋りをした。そう、なんだっただろうか。彼は確か笑っていた。そう、笑って言ったのだ。
「きみはカナリアのように飛び回れるだろうね。」
 意味が分からずに問いかければ、彼は笑って曖昧にしてしまった。私はそれにさして気を止めず、目の前の洋菓子を頬張ることに集中した筈だ。その後は彼と温室内を散歩し、再び楽器を手に演奏をした。茜色がガラスのこちら側と向こう側を分からなくさせる時間まで、私は演奏を続けた。

 今、あの人の行方は分からず仕舞いだ。私は故郷を離れ、あの人はどうやら外国に行ったらしい。気軽に直接会えた環境から電話番号などの交換はしておらず、あの人の家に電話を掛けるのもどこか場違いのような気がしている。それに音楽学校の教師を退職した今の私はとんだ老いぼれだ。私より年上だったあの人はもうとっくにあの世にいるのかもしれない。
 気がつけばあの人の温室を小さく模したサンルームが茜色に染まりだした。こちら側と向こう側が分からなくなる時間。懐かしさが目に染みた。



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