◎信仰と哀愁


キバネズ


 愛とは信仰である。

 ネズの歌う哀愁を知る人は、神なぞ信じないだろう。込められた直向きな哀は、叶うことがない。ただ、心に響く。人は、恋を実らせる前に、愛を抱く。愛を"消化"できずにいると、恋は叶わない。
 ネズの哀愁を知る人は、後者だ。きっと、そうだろう。ネズは思う。
「だからおまえには合わないと言ったでしょう」
 ネズがそっと言う。キバナはこくりと頷いた。大きな体を小さく丸めて、しくしくと泣く姿は彼らしくない。ネズの歌を生で聴きたいなんて言ったから、おれの作詞作曲した曲以外ならと言ってやった。そうして口遊むように歌った歌にも、ネズの哀愁は宿る。
 ネズそのものが、哀と郷愁のひとだから。
「こんなに哀しくなるなんて思わなかった」
 なあ、ネズ。どうしてオマエは平気なんだ。
 そう言われて、ネズはけろりと答える。
「いつだって、おれは故郷を愛しているからですよ」
 その思いは決して揺るがない。だからこそ、哀愁を歌える。悲しくても、哀しくても、ネズの歌は伸びやかに相手の心のやわい所を貫くのだ。
「キバナ、おまえは優しいんですよ」
 だから、誇るがいい。この哀愁に泣くのを、尊べばいい。命とは、限りがある。だから、この時間を有意義にするがいい。
「"一番好き"を間違えないように」
 ねえ、キバナ。世界は思ったより優しかったでしょう?


03/09 16:44
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