▼ 地獄に堕ちるのは私だけ
Mar 30, 2023(Thu.) 15:36
膝獅子/診断のお題をお借りしました
作業用BGM→8月32日(鏡音リン・レン)


 夏の終わり、蝉の声は遠く、入道雲は小さくなった。
 暑さが大分和らいだなと膝丸が言う。そうだな、何て答えて、俺は黙る。どうした、と聞かれて、何でも無いと答えた。

「恋情はよくないね」
 ふと、そんな話を聞いた。あれは誰かの部屋を通りかかった時だろうか。曰く、刀剣男士は恋をしてはいけないよ、と。
「未練ができてしまう」
 我々はあくまで審神者の刀なのだから、と。

 未練ができたら地獄に落ちるのかな。ふと、同じ馬当番だった加州に呟けば、そりゃそうじゃないと笑われた。
「恋をしたら、いいことばかりじゃないからね」
 俺は恋なんて言ってないと言えば、加州はまた、笑った。この本丸の初期刀、この本丸の刀の誰よりも人間を学んだ加州は、とても人間臭く笑っていた。
「恋をしたら、分かるよ」
 何て、人間みたいなことを言う。

「どうした」
 ひょい、と膝丸が顔を出した。厨の隅でジャガイモの皮むきを手伝っていたら、突然膝丸の顔が現れたから、俺はびっくりして手を滑らせそうになった。
「びっくりした!」
「ああ、危なかったな」
 それで、どうした。膝丸は繰り返しながら、俺の向かいに座ってジャガイモの皮むきを始めた。今日は肉じゃがだよと燭台切に聞いたのだろうか。やけに丁寧に本日の夕食の主役を剥いていた。
「何かあったか」
 別に何も。俺は答えた。そうか。膝丸は答えた。
「俺のことが嫌いになったか」
 手が止まる。顔を上げた。膝丸はジャガイモを剥いていた。
「なんで」
「最近避けてるだろう」
「そんなことない」
「前よりずっと、声を聞いてない」
「今、聞いただろ」
「随分と久しぶりの声だった」
 名を、呼んでほしい。膝丸の手が止まった。俺はゆっくりと顔を上げる膝丸を見つめていた。

 夏の終わり、蝉の声は遠く、入道雲は小さく。膝丸の姿は、霞む秋空のように見えた。
「ごめん」
 あなたを地獄に落としたくないから、俺は離れたいんだ。



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