◎幸福足り得ること


宮中


 幸福足り得ること。

 たとえば、その声が俺の名を呼んだ時。まるで世界が色づいていくような気がした。たとえば、その手のひらが俺の手を包み込んだ時。まるであたたかな星が手のひらに宿ったかのようだった。たとえば、その目が俺を写した時。俺は幸福が過ぎて窒息死してしまうのではないだろうか。
 なんて。

 昼下がり、今日は星が綺麗に見えるよと賢治サンは嬉しそうに言っていた。天気予報をしようと言い出したのは誰だったか。元々は洗濯物の為の天気予報はこうして思わぬ人を喜ばすことになったらしい。
「よく晴れたら天の川も見えるね」
 賢治サンが星座表を指でなぞる。貴方になぞられている紙切れが羨ましいと思いながら、そんなことは心に留めて天の川の近くに見える星は何だろうと問いかけた。賢治サンは嬉しそうに星を語り、なぞる。
 だからだろうか、その目がこちらを見てくれないのかと残念に思ってしまった。
 ひたり、彼の目が動く。まつ毛がキラキラ輝いて、不思議な色味をした目が俺を写す。目を丸くして、馬鹿みたいに驚いた顔をした俺がいた。
「中原くんはどの星が好き? 」
 そんなの知らない。俺の子供の心が叫んだ。知らないったら知らないんだ。貴方が恋い焦がれる星なんて知らないんだ。
「中原くん」
 ああ、悲しそうな顔をしないで。本当はそうじゃないことを知ってるんだ。賢治さんにとって星は興味がある中の一つの事象であって、恋い焦がれる対象とは違う。
「こっちを見てくれないのかい」
 そんなのは貴方に言うべきことだろうに。嘘。本当は貴方が正しいことを俺はよく知ってるのに。
 彼の手が滑る。俺の頬を触って、顎を撫でて、首元をくすぐる。カリ、と爪でうなじを引っ掻いた。
「なかはらくん」
 少し掠れた小さなささやき。ため息みたいな声がする。その音がこそばゆくて、俺はそっと目を閉じた。賢治サンと呟けば、貴方が近寄ってくれる気配がした。
「ぼくに時間をくれるかな」
 貴方にならいくらだってあげるのに、選択権を与えるなんてひどい人だ。でも、そんな貴方だから、俺は貴方を恋い焦がれて仕方ない。
「ぜんぶ、いい」
 だからどうかひと思いに窒息死させておくれよ。


09/24 01:11
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