∵ オリ=ヴラメナの独白 罪深いのは重々承知しております。 其れでも私は彼女の手を取ってしまいます。 私もあの人と何ら変わりなど無いのです。 私をこんな風にしたあの人に何か抱くことは、今の今までありませんでしたが、漸く感情を抱きました。 私は紛れも無く、あの人の子供であり、あの人の子供であるのだと云うことを! 嗚呼、何と呪われし因果か! 私は関節を直すことも叶わぬのだ! * 此れより私が語るのは、私をお育てになったある御方の、私が知り得る限りの全てで御座います。 ――しかし、先ず先に私の身の上話を聞いて頂きたく思います。 私の生家は大層貧しくありました。小さな小さな村に静かに佇む家に、私は産声を上げました。両親は初めこそ私と云う実子の誕生を祝しましたが、厳しくなる家計に私を売り払う算段を始めました。私が両親より与えられたのは、命と一時の僅かな愛情、そして狐を模した一体の人形でした。私は狐に「ヒカリ」と名付けて可愛がっております。ええ、ええ、今も隣に居ります。随分古ぼけて煤汚れて小さくなってしまいましたが。 私が五つを数える頃、知らぬ男が我が家にやってきました。私達より明らかに綺麗な衣を纏い、顔等の露になっている肌も黒くありませんでした。しかし顔はハンニャのように恐ろしいのです。ああ、ハンニャとは異国に伝わる鬼のことに御座います。てて様が教えて下さいました。てて様は此の村では無く、もっともっと果てなく遠い東の方からやって来たのだそうです。故に、我が家ではてて様の操る言葉と、かか様の操る言葉との二つが入り乱れておりました。 村にはかか様と同じ言葉を話す者ばかりなので、てて様も家の外ではかか様と同じくお話になりましたが、屋内ではかか様がてて様の言葉を操ることもさて多くありました。てて様の言葉を操るかか様が常に嬉しそうだったのを私はよく存じております。 はて、やって来たハンニャの男達が操るのはてて様と同じ言葉でした。てて様と同じ言葉を話す外の方は此の時が初めて出会いました。 てて様もハンニャのお顔で男達とお話になっています。何があるのでしょう。幼いながらに矢鱈と恐怖を煽られた記憶があります。 お話が終わると、彼らは笑顔を向けてきます。てて様もお笑いです。しかしてて様の笑顔は何処か悲し気です。彼らは私に「さあさあ行くよ」と言うと、私を引っ張りました。何処へ行くと言うのでしょうか。てて様とかか様は動きません。かか様に至っては、顔を両手で覆って下を向いた儘でした。 私は其の日其の男共に売られたので御座います。てて様の故郷へと連れられて、お花を売らされることになっていました。道中彼らはそう私に説明しました。お花を売るだけなら何と素敵なお仕事でしょう!花売りに込められた真意など知らぬ幼い私はそう返したような気がします。男達は眉を下げて悲しそうに笑ったような気がしました。男達に花売りの為にと身綺麗にされ、新しく与えて貰った赤い衣が夕暮れに照らされ一層紅く染まりました。 そんな時、其処に真っ黒な人影が立ちました。 いえ、人ではありませんでした。背に鳥のような羽根を大きく生やし、頭には丸まった羊のような角を凶悪に生やした、悪魔でした。 男達は飛び上がって驚きまして、私を贄に差し出すからと、其の場に私を捨て置いて自分達は四方八方散り散りに逃げ出しました。 目が慣れると、悪魔は女性であることが解りました。彼女は眉間に皺を深く刻み、私を見据えました。黄金に輝く瞳が、暮れ往き宵闇に変わる茜空に不気味に輝いたのを確と記憶しております。 彼女は何を言うでも無く暫く佇んでいましたが、四方八方から――今度は散るで無く此方に向かって来る――羽音が聞こえてくると、舌打ちを一度して踵を返し飛び立っていきました。 宵闇に溶ける黒い羽根が、茜に彩られ、少し奇妙で美しくありました。 私は行き場を失いました。 村に戻るにも、右へ左へ曲がりくねり、道などもう解りません。抑、村に戻っても行き場が無いことは幼ながらに承知しておりました。苦しい家計の為に、私は奉公に出されたモノと考えておりましたので、金も持たずに帰れやしないのです。 とぼとぼ途方も無く、歩き回れば、森に辿り着きました。私は迷い無く其の森に足を踏み入れ、未だ歩きました。其の内足の感覚が無くなってきました。私は此処で死に絶えるのでしょうか。其れもいっそ良いのでしょう。私は邪魔な筈なのですから。 達観した私の考えに反し、存外年齢に素直な私の心の臓は私に泣くことをご命令になりました。本来心の臓は命令致しませんが、あの時はどうしてもそう思ったモノです。 大きな木の下で足を開いて座り込み両の腕にヒカリを抱えて声を殺して泣きました。声を出せば、森に居るだろう獣達に気付かれてしまうと思ったのです。宵闇に私が鼻を啜る音だけが時折響きます。何れ朝が来ます。御天道様は残り粕のような光でしたが、木々の隙間から照らしてくれました。地面は陽に当たらない土と陽に当たる土で斑に彩られ、幻想的になりました。 私は枯れること等無く出てくる涙を拭うことも忘れて泣き続けました。 「おい、何をしてる」と男の声が聞こえたのは、家を出まして二日目の夕刻の頃で御座いました。 顔を上げて、男を見遣れば、頭に羊のような凶悪な角を生やし、目元に赤い逆三角形のような紋様を刻んだ、奇妙な出で立ちであることが解りました。 角が昨日の悪魔の女性とよく似通っていましたので、一瞬同じ方かとさえ思った程に御座います。 ――そうで御座います。彼こそが私をお育てになられたザヴァ=ヴラメナ其の人に御座います。 ―――――――― ――――――――――… 彼は私に問い掛けました。 此の世界で未だ生きていく気はあるかと。 何れ私に喰われる運命を背負おうとも生きていく気はあるかと。 私は彼の言った意味を直ぐには理解出来ないでおりました。後々よく聞いてみれば、私はあの時、日頃の貧困生活による過度の栄養失調で既に死も間際にあったので御座います。彼が言うには、てて様とかか様はお気付きの上で、私を奉公に出したのだろうと。寧ろ気付いたからこそ、売ったのだろうと言いました。 彼の言葉は随分投げ遣りでぶっきらぼうで、心が無い言葉に聞こえましたが、悲し気に私を見る目に愛情めいたモノを感じ、口を開く前にザヴァの真っ白な服の袖をきゅっと摘まみました。 ザヴァとの暮らしが始まると、存外両親との間には無かった楽しさに気付きました。 ザヴァは悪魔故にか、口は悪く、態度も冷たいことが殆どですが、生来の彼はどうも優しい悪魔のようでした。悪魔に優しいとは何だと思われそうでは御座いますが、語彙に乏しい私は彼を形容する言葉が此れ以上出てきはしませんでした。 ザヴァは私にキツく言い付けることがありました。 森の外の村と余り懇意になるなと云うことと、不用意に森の中を彷徨かないこと、そして男と関係を持たぬこと。 二つ目までは解りますが、三つ目の意味が幼い私には解りませんでした。どちらにせよ、ザヴァが住む森の屋敷で他人と関わらず14まで育てられましたから、男に会うことが先ずありませんでした。 私とザヴァの住む屋敷のあるあの森は、ほんのたまに――一年に二度あるか無いか程度で――人が迷い込んでくるだけで、後は人の進入がありませんでした。其の為か、緑深く生い茂る森には木の実や茸が好き放題にあり、綺麗な清水も湧き出ていて、動物達が豊かに暮らしていました。何も不自由の無い此の箱庭で、私とザヴァは暮らし続けました。 ザヴァが一度お酒に酔われた際に話して下さったことがありました。 「俺は悪魔の母と、天使の父の間に此の生を受けた。父は俺が母の腹に宿った暁に母に食い散らかされた。考えてもみろ。俺は父親で栄養を得て育ったんだ。生まれながらにして、此の肉体は呪われているも当然だ。恨めしいよ。けど何故愛してた筈の父を母が食い散らかしたかは解っている。答えは“愛していたから”だ。何?言っていることが矛盾している?そんなことは解っている。酔ってるかって?当たり前だ。酔いでもしなけりゃ、お前にこんな話を聞かせたりしない。眠る前のお子様には刺激が強すぎるからな、ははは。ん?だから結局どういう意味かって?オコサマめ。其の内解る。まあ、ヒントをやるとしたらそうだな。“天使と悪魔の恋は御法度”ってことかな」 結局遂の終まで其れがどうしてなのか明確に解ることはありませんでしたが、なんとなくは解りました。やはり“愛していたから”に過ぎないのです。其れ以上でも其れ以下でもありはしないのです。ただただ純粋に二人は恋をしていたに過ぎなかっただけなのです。 「俺の名前は父親が居たことを証明するように名付けられた。父の名前?ツァーファだ。ツァーファ=エリオット。どこが証明かって?ツァーファを書いてみろ。何?文字なんて書けない?仕方無い。覚えさせてやるから、取り敢えず今は俺が書く。俺の名前が“Zava(ザヴァ)”だろ?父は“Zava(ツァーファ)”だ。ほら、おんなじだろ?何で読み方が変わるのかって?産まれた国によって変わるんだ。お前の父親と母親の言葉が違うのと一緒だ一緒。母の名前?さあな。ヴラメナと云う苗字だったことしか解らない。何でかって?ロクに会話をすることも出来ずに、あの人は居なくなっちまったしな。どんな人?やけに聞きたがるな?俺が先に話し出したんだろって?じゃあもうやーめた!」 私が知れたのは此の限りに御座います。あの人は多くを語りませんでした。唯、日々の言動の端々から、悪魔内では虐げられる存在であったことがなんとなくですが解りました。 ――――――――― ――――――――――――… 「ザヴァはいっつも一人ね」 「悪いか。お前だって一人じゃないか」 「けど其の理屈でいくと、私とザヴァは一人ぼっちが二人で居ることになるわ。つまり一人ぼっちじゃないのよ!」 「無い胸を反らすな。みっともないぞ」 「みみみみっともない!?ひっどい!一緒に居てあげないよ!?」 「そうかそうか。其れは困っちゃうな?俺が居ないとオリ一人になっちゃうもんな?」 「ぎゃーく!!私が居ないとザヴァが一人なの!だから!おっきくなっても私がずっとずーっとザヴァと一緒に居てあげる!」 「わっ!腕に突然抱き付くんじゃない!……胸無いな……」 「絶望しきった顔しないでよ!もう!」 * 「ザヴァったら!女の子の尻追いかけ回すのは良いけど、いっつも迷子になるのやめてよね!」 「俺はアリシアちゃんの魅力に迷わされちゃったのよ」 「アリシアちゃん誰?」 「お前とは比べ物にならない素晴らしいナイスバデーの女の子」 「変態!」 * 「大きくなったなぁ、お前」 「何よ突然」 「木の下で泣きべそかいてた頃なんて一瞬だったなぁ…人間の成長の早いことよ」 「其の内、ザヴァの歳も追い越すわよ!」 「実年齢は追い越さないだろ」 「見た目年齢の話よ!ザヴァはいつまでも肌綺麗だし、皺は出来ないし、シミも…あああ」 「お前もそういうのに悩むようになったか。主婦みたいだな」 「良いなぁ、私も悪魔が良いわ〜」 「滅多なこと言うんじゃねえよ。お前に永遠に近い時間を生きる気力なんか無いだろ?」 「ザヴァって不老不死なの?人魚みたい!ザヴァのお肉を食べれば私も不老不死になれるかしら」 「厳密には不老不死では無いなぁ…と云うかお前が俺を食べられる訳無いでしょ。お前に喰われる前に俺が食べちゃうんだから」 「ふふ、若くて綺麗な内にしてね」 「勿論」 * 「お前は母親みたいだなぁ。人間の女ってのはみんなそんなもんか?」 「さぁ…どうかなぁ。ふふ、お母さんかぁ。其の内、ザヴァのお祖母ちゃんにもなれちゃうね」 「そんな頃まで一緒に居てくれる気か」 「だって私はザヴァに食べられるんでしょ?」 * いずれ消えてしまう日々だと解りながら、私はのめり込んでしまいました。 彼女の手を取ったあの日から、私は彼女を愛していてしまったのでしょう。 愛したことを後悔したことはありません。 愛さなかったならと後悔したこともありません。 彼女を愛したからこそ、私は彼女を食い散らかしたのです。骨を、失ってしまうなんて思わずに。 2014/04/25 14:19 Fri comment (0)│小説と設定 |