「へえ、丹生谷くんベースやってるの」
「やってるっていうか、高校の時に始めて……今は趣味程度かな」
「でもずっと続けてはいるんだ? 楽器弾けるってすごいなぁ、格好いい」

どこまでもあいつと似ているんだな、と思う。
丹生谷くんはベースで、あいつはギターで、楽器は違うけれど。
俺って楽器やらないからベースとかギターとか言われても、まず見た目の違いがわからない。音も聴き分けられないなんて、口が裂けても言えないな。もっと知っとけば良かった、あいつの好きなこと。
……それにしてもバンドマンって雰囲気似るのかな。
あ、いやいや、チャラそうとかそういうことじゃなく。



街中で偶然出会った、丹生谷くん。

『あの。お一人ですか?』
『え……』
『えっと……よかったらどこか飲みに行きませんか?』

見た目がモロタイプだったし、俺の好きな人に似ていた。から、思わず声をかけてしまった。
まさか人生初の、しかも男相手のナンパが成功するだなんて思わないからテンション上がっちゃった。
嬉しかったな。格好いい人とお話ししたかったんだよね。ちょっと男に飢えてたから。

丹生谷くんの口からは『先輩』とやらの愚痴が絶えず溢れる。
俺はそれを、微笑ましく見つめる。
先輩が好きなんだろうな。
いいなあ、好きな人がすぐそこにいるのって。

ーー俺の好きな人、多分もうすぐ死んじゃうんだ。
いや、もう死んでるのかなー、それはないか。
死んでたら流石にあいつと一緒にやってたバンド仲間がブログか何かに書くだろうし、ファンも黙っちゃいないって。
あいつ、バイク乗ってたら車に跳ねられたらしくて、二年経った今でも重体で意識不明のまま、らしい。バカだよね。
その話を人伝てに知った時、頭が真っ白になって涙も出なかった。
あっちの親に疎まれてて面会にも行けなくて、どんな容態かもわからないしやるせない。
別にさー、人間なんかいっぱいいるんだから、わざわざあいつが事故に遭うことないのにね……。

『どう? ギター上手くなったくない?』
『ごめん全然わかんないし、素人意見で申し訳ないけど多分下手……』
『うるせー! 俺のバンドは顔面偏差値で売ってるからいいんだよ』
『音楽やる人間がそんなんでいいの!?』

あいつとしたくだらない会話を思い出す。

もう死んでしまっているのなら、いつまでもあいつに縛られていたくないな。
と、思う反面、あいつのこと忘れるなんか絶対できるわけないと諦めもある。
現実をいつまでも受け入れられずに、俺は相変わらず涙の一滴も出やしない。



だからほんと、たった一夜だけのつもりで丹生谷くんとホテルに入った。
彼の抱えるものと、俺の抱えるもの。
姿かたちは違えど、少しの間なら慰めあえるかなって。

だけど、いざホテルに入ったら丹生谷くん慣れてなさすぎてガッチガチに固まっちゃったし、これは今日はできないなーと思って。
話聞いたら初めてって言うから堪えきれずに吹き出してしまった。
なんだかそれが逆に嬉しくて、慣れてないのに俺のナンパに付き合ってくれたんだなと思うと、この人とこのまま一度きりの関係にしたくないって。
俺も新しい一歩を踏み出さなければいけない時が来たのかなって、思った。
だから俺は言った。

『よければこれからも会ってほしい。何回か会って気が合えば、真剣に付き合ってほしい』

きっかけは不純だったけれど、興味はあったから、お付き合いしてみたい気持ちは本物だった。
いや、正直重ねて見てたんだ。あいつと。
この人と一緒になればあいつのこと忘れられるかなって思ってしまった。
その時は断られた。人生そんな甘くないって。

でもまさかもう一度連絡が来て、本当に付き合えるにまで発展しちゃうなんて。
その日の丹生谷くんの表情を見るに、きっとこっち側の人間ではない先輩と何かあったんだろうと察しがついた。
俺があいつと丹生谷くんを重ねて見ているように、丹生谷くんが俺の中の先輩を見ていることも。
そして『忘れるために始まった恋』は呆気なく終わってしまうことも。
だけど俺は純粋に嬉しかった。

ねえ、もうお前のことどうしても忘れられないから、この人とお前を重ねながら一緒になっても良いかな。
最悪だし相手に失礼なのもわかるよ。
でも二度と会えるかもわからないお前が、いつまでも俺の胸に居座り続けるのが苦しい。
忘れられないならせめて、あいつを彷彿とさせる人と生きていきたいと。そう思うのも罪なのかな。

丹生谷くんの身体は絶品だった。
楽器をやっているだけあって、手が特に綺麗だ。
あの指に触れられるとゾクゾクする。
あいつみたいな、細い、力強い指が。
まるで昔に戻ったような、甘い夢。

丹生谷くんとの恋は穏やかに続いた。
あいつと違って簡単なことで喧嘩にならないし、強引じゃないし、優しい顔で笑う。
やっぱり少し物足りなさを感じることもあるけれど、それは丹生谷くんも同じだろう。



その日は丹生谷くんと映画を観に行く約束をしていた。
待ち合わせ場所に来る丹生谷くんはいつもオシャレ。
今日はグレーのタートルネック、黒いコートにスキニー。いつもだらしないジャージ姿のあいつとは大違いだ。
俺と目が合うと手を振った。俺も手を振り返した。

「ごめん、待った?」
「ううん全然。行こうか」

道行く女性が丹生谷くんを見る。
背が高くて、男の俺が見ても惚れるくらいだ。
隣を歩く俺は少し優越感を感じる。

劇場は空いていた。
俺達はポップコーンとジュースの入ったカゴを抱えて一番後ろの真ん中の席に座った。
暗くなって、上映が始まる。
ありきたりな恋愛ものの洋画だった。

映画館を出た俺達は喫茶店に入った。
丹生谷くんが「マンデリン」と言う。
コーヒーに詳しくはないので、俺もつられてマンデリンを頼んだ。
初めて飲むマンデリンは、香りこそ良いものの、俺にはだいぶ苦く酸味があって、口に含むと顔を顰めたくなった。
こんな苦いものを美味しそうに飲む丹生谷くんが遠くに感じた。

「丹生谷くん」
「どうしたの?」
「今でも先輩のこと、好き?」
「…………」

自分でも驚いた。
こんなこと聞くつもりなかったのに、自然と口から疑問が出てしまった。
丹生谷くんは申し訳なさそうな顔をした。

「……ごめん、先輩が好きだってことバレてたね……嫌な思いさせちゃった?」
「全然。俺も……似たようなものだから。ねえ良かったら、好きになったきっかけとか出会いの話とか聞きたい」
「そ、そんなの聞いて面白いの?」
「うん、恋バナ好きなんだ」
「若いなぁ」
「二つしか違わないじゃん」

丹生谷くんはぽつぽつと語り出した。
もう幾度となく聞いた先輩のこと。
ベースを教えてくれた人だったこと。
でもベースを今も続けているのは自分だけだってこと。
先輩を語るその目は相変わらず、俺の前では見せない色をしている。

「ニシノくんも、好きな人がいるの?」
「……うん、いる。もう会えるかわからないのに忘れられない。ずっと」
「会えるかわからない?」
「事故で、もう二年も意識不明らしくて……もう本当のこと言っちゃうね。丹生谷くんその人に似てるんだ。だから声かけたの」
「そうだったんだ」
「ごめん……」

本当に好きなんだ。
愛しているんだ。
お互いにかけがえのない、いとしの人を。

「もう、終わりにしよっか、夢を見るのは」

丹生谷くんと俺は笑い合った。
そして最後まで優しいまま、静かに穏やかに終わった。
どうかこの人には、きっと恋を叶えて、俺の実現できなかった未来を生きて、幸せになってほしい。

昼下がりの喫茶店、マンデリンの香りがする。



 ◇

ーー家に着くと、誰かが玄関の前で座り込んでいた。

「……?」

誰?
およそ五メートル先に座る人物に目を凝らす。
ほんのり人の影がわかった瞬間、ぞわっと全身の肌が粟立つ。

……いや、いや、まさか。まさか。
この胸のざわめきはなんだろう。
なんでこんなに居ても立っても居られない気持ちになるんだろう。
一歩一歩その人に近寄る。
地面を擦って歩いてきたのだろう、裾が汚れただらしないジャージにサンダル。

「…………」

その人が顔を上げる。

そこには世界一愛しい人がいた。

「……え、え、え、なんで」
「治ったから来た」
「はあ!? 連絡してよっ……あ、携帯壊れたのか」
「そうそう。結構前に意識戻って色々リハビリとかやって、なんか親の目盗んで普通に外出もできるようになったからさ。はあーあ、結構待ったから疲れた」
「ごめ……ってなんで俺が謝らないといけないわけ?」
「十五分は待ったぞ」
「たったの十五分じゃん……」

まだ幻覚を見ているような気がしている。
それか幽霊とでも話しているような。

「ね、ねえ、ていうか俺、今まで違う人といたんだけど。いやそれもお前と重ねて見てたんだけどやっぱり違ったというか、さっき別れたというか、うまく言えないけど……」
「は? なにそれ、浮気ってこと?」
「ん、まぁ要するにそうなる……と思う」
「そんなの馬鹿正直に言う奴があるか。まあ二年も寂しい思いさせたのは事実だし、今回ばかりは目を瞑ろう。次浮気したら腹パン」
「腹パンて、中学生かよ……」

そいつは「起こしてー」と、甘えるように手を出した。
あっという間にこいつのペースに巻き込まれる。
自分が選ばれて当然とばかりの自信満々の顔。この強引さ。懐かしい。

「親がお前に会うな会うなってうるせえからさ、もう今から荷物まとめて、二人でこのままどこか遠く行っちゃお」

そして歯を見せてニカッと笑った。
それは丹生谷くんとは明らかに違う、こいつだけの憎たらしい口元だった。

「バ……バカじゃないの、急すぎるし」
「まー、流石に今日のうちにってのは冗談。俺も疲れたしとりあえず飯食いてー。でもまぁ、行くだろ?」
「……ついてってあげる」

差し出された手を取って立たせる。
重い。
温かい。
生きている。

そしてその日、俺はやっと泣けた。

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