※ファルハール商人主。



「誰か! 捕まえてください!」

 二人のルシタニアの兵が、売上金と売り物の宝石を抱えて走り出した。商人である夢主は必死に追いかけた。が、彼らの逃げ足は速い。あっという間に半アマージほどの距離が空いてしまった。
 彼女は足を緩めた。サンダルでは、上手く走れない。ああまたしてもやられた、と諦めかけたとき、奇跡が起きた。黒衣の男性と金髪の男性、そしてシンドゥラ人の男性が、盗人たちを引き留める姿が遠目で見えたのだ。



波音ロマンス





 夢主は盗人を捕まえた三人の勇者と、彼らを率いるアルスラーン殿下に深々と頭を下げた。彼女は助けてもらったお礼にと、売り物である翡翠と紅玉をあしらった装飾品を惜しげもなく渡そうとしたが、殿下たちはそれを拒んだ。彼女は見返りを求めない彼らの態度が、そして彼らは彼女の気前の良さを気に入った。この一件から夢主と殿下一行は仲良くなったのだった。
 ファルハール人の彼女は語学が堪能だった。母国語であるファルハール語はもちろん、パルス語、セリカ語、そしてシンドゥラ語を悠々と操った。だから品物をなんとなく眺めていたジャスワントにシンドゥラ語で話しかけたとき、彼はたいそう驚いて、しかし微笑みながら話してくれたのだった。久しぶりに母国語を聞いたのと、彼女の気さくさがそうさせたのかもしれない。
 夢主とジャスワントはますます仲良くなった。ジャスワントは時々、品物の仕入れや掃除を手伝ってくれた。彼女はよく働いてくれる彼に感謝した。二人の距離がだんだんと縮まるにつれ、お年頃であるゾット族の娘にからかわれたりしたが、夢主はそれすら嬉しかった。二人の関係が周囲の目にも明らかだという事実が、彼女を高揚させたのだ。
 しかし彼女は奥手だった。他のことは良いにしても、恋愛になるとどうも逃げ腰になってしまう。ジャスワントのことが好きだ、と自覚してからは、誰にもばれないようにこっそりため息をついていた。お客やジャスワントにはいつもと変わらず明るく接していたので、誰もそのことを知らない。彼女はこれでいい、と思いつつ、気持ちを打ち明けてしまえば楽なのに、と思ってはひとり寂しく微笑んでいた。
 そんなある日のことだった。夢主は店じまいを手伝うジャスワントに、労いの言葉をかけると同時につい勢いあまって、ファルハール語で気持ちを打ち明けてしまったのだ。

「世界を照らす太陽よりも、夜に浮かぶ幾千の星々よりも、あなたのことが好きです。もっとずっと一緒にいられたら、これほど嬉しいことはありませんのに」

 もちろん彼はファルハール語が理解できないので、小首を傾げたままだ。彼女は彼がファルハール語を知らないことにひっそりと感謝した。何と言ったか聞き返すジャスワントを、彼女は上手くかわして笑顔をつくる。また明日ね、とシンドゥラ語で言うと、彼は不審に思いながらも挨拶を返してその場を去っていった。まだ気持ちを知られなくていい、と夢主は思ったのだった。
 翌日からも彼女は、彼との別れ際には必ずファルハール語で愛の言葉を贈った。どうせ分からないのだったら、と思えばこそ、どこぞの楽士並みの恥ずかしい言葉が次から次へと出てくる。夢主は楽しんでいた。しかし何を言われているのかも分からず、ただ呆然としているだけのジャスワントを見ると、一方的な楽しみはそろそろ控えるべきか、とも思えた。
 王太子一行のギラン行きが決まったのは、その数日後だった。彼女もギランで商売する良い機会だと思い、しばらく店をたたんで彼らとともに同行することになった。
 グラーゼという名の海上商人と知り合ってからは、ギランで商売するコツのようなものを教えてもらったりした。彼は彼女のことをいたく気に入っており、事あるごとに店に立ち寄った。彼女もまた、彼を贔屓にして品物を安く売っていた。
 涼しい夜だった。潮風に髪をなびかせながら、夢主は波止場から海を眺めていた。夜の色に染まった海が寄せてはかえすのを見て、彼女はなんとなくロマンチックな気分になった。そしてなぜか、ジャスワントのことが不意に思いだされた。彼と二人きりでこの海を見られたらどんなに嬉しいだろうか。彼女はそう思って、人知れず笑みを零した。
 そろそろ帰ろうかと踵を返したとき、遠くの方で人影が見えた。目を凝らしてみると、奇跡のように彼女が焦がれていた人物が来た。――ジャスワントだ。




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