父がアンドロイドの開発をしていたのは以前から知っていた。俺の、ナンバーズハンターとしての仕事をサポートするためにと言うので、それは今いる世話焼きロボットで事足りていると断ったのだが、どうしてもという事でこちらが折れてしまったのだ。そんなことをしている暇があるなら早くハルトをどうにかしてくれと言いたかった。しかし、流石天才科学者と呼ばれるだけあってか開発は案外早く進んだのだった。
ナマエには模擬人格OSを搭載しており、人語を理解し会話することが出来るのでそれなりのコミュニケーションは取れるが、名目上は兵器だ。主に戦闘行為を得意とし、決闘をすることも不自由がない。人と友好関係を結ぶことは「任務、効率、論理」に支配された彼女にとって、理解し難いことだろう。今、俺はそういったものを起動させようとしているのだ。気が重かった。彼女には実働データがない。父は稼働実験を何度も行い、いつ起動してもいい状態だと言っていた。俺自身もシュミレーションを何度か行っている。開発の一部も自身が手掛けたが、やはり気が重かった。
本当に起動して良いのだろうか。それは自分が一番よく知っていることだったが、答えを受け入れたくなかった。どこか奥に潜む何かが重苦しく、恐ろしかった。
しかし結果から言えば、俺は彼女を起動させた。完全に迷いがなかった訳ではなかった。正しく言えば、せざるを得なかった。弟のハルトが、彼女の動く姿が見たいと言ったからだ。最初は驚いた。弟に彼女を見せたことなど一度もなかったのに。合点がいかないまま、ハルトの願いを承諾した。
弟がどうやって、自分の部屋を出て、彼女が置いてある研究室に入ったのか。訊きたかったが、ハルトの、俺を見上げる目が虚ろで何も言えなかった。
目覚めた彼女に、どんな言葉をかければ良いだろうか。聞けばハルトは小さな声で、「おはようって、言えばいいんじゃないかな」と答えてくれた。
実際の彼女は、見間違える程に人間とそっくりの外観だった。それは気持ち的な要素もあったのだろうが、彼女の戦闘能力、決闘における戦略および戦術は素晴らしいものだった。だからこそ、衝撃を受けたのだ。ナマエが命令を聞き入れず、塔から出ていってしまったのは。
彼女には、定期的なメンテナンスや動力を補充するための調整槽がある。繋いでいたはずの空間が脱け殻の様になっている事から、彼女は調整槽ごと移動したのだろう。しかし慌てる必要はなかった。ナマエにはGPS機能をつけていたからだ。現在の位置も、向かっている方向も手に取る様に分かる。通信を入れれば応答拒否もせず、通常にやり取りが出来た。それなのに引き戻す事が出来なかったのは恐らく、彼女がまるで、玲瓏たる意思を持ち始めたのだと感じたからだろう。それと、俺の下に送信される現在位置にも原因があった。ナマエが今時分、拠点を置いている所は、例の一家が住む住居だったからだ。
俺には、彼女の考える理論が理解出来なかった。正確には、ナマエは機械なのだから、人間でいう思案などしないのだが、これが現状況から推測される最善の行動なのだと言い張る彼女への信頼は、霧がかったものへと変化していった。
ナマエはそれから、日が経つにつれ、どんどん人間染みていく様に感じられた。至って論理的な行動をする時もあれば、感情論で言動をする事が増えていった。そして遂に、ナマエはヒトの心を手に入れたのだと確信する出来事が起きた。
「私の友に危害をなすのであれば、容赦はしません」
九十九遊馬のナンバーズを奪おうとした際の事だ。俺が遊馬に目を付けているのに勘付いたらしく、俺の目の前に現れて話をした。例の一家に味方していたのではと思っていただけに、驚いた。そうして不信感も募っていった。したたかに前置きを話している彼女は確かにナマエだったが、この、決定的な一言を放つ彼女は何か、別のものに思えたのだ。密やかに、鮮烈に怒りを滲ませた肉声だった。
父と和解した後、ナマエは俺とハルト、そして父の下へ戻って来たが彼女は、やはりその時には既に、ナマエはナマエではなくなっていた。
俺は、ハルトや遊馬と絆を深める内に、ヒトの心が誕生したのだと思う。