瞳孔




 午後七時二十六分を回った頃、私は路地裏でうずくまっていた。別に、やましいこととか、そういうことじゃない。ただ、お腹が痛くて、少しだけ、と思い人気のない場所で休もうと思っただけだ。まだ夕方の七時とはいえ、こんなに辺りが暗いのも、これほど用事が長引くとは想定していなかったからで、決して私が怪しい者とか、そういう訳ではない。烏が奇妙な声を上げて鳴いている。怖い。早く家に帰りたいと思った。
 壁にもたれ掛かって、紺色の空を見上げた。こういう時に私は、何故か、決まって彼のことを思い出した。オレンジ色の髪をした、男の子。彼は私よりいくつか年下だけど、どういう訳か、仲のいい関係だった。それも別に、やましい意味なんて一つもないけれど、私は彼と一緒にいると、なんだか暖かい気持ちになって、元気が出るのだ。身体はまだ優れなかった。早く、せめて明るい場所に移動したいのに、やっぱり私の足は動かなかった。ただお腹が痛くて身動きが出来ないだけなのに、こんなことになるならもっと彼とお話ししておけばよかったな、なんてまるで今から死んでしまうみたいな、大袈裟にことを考える。笑顔な素敵な男の子。私は結局、真月くんのことが好きなようだった。そうして彼の顔を思い出したら、やっぱりいても立ってもいられなくなって、足を引きずり歩いた。壁沿いに奥へと、この辺りは滅多に人を見かけないけれど、確かこの先は、大通りへの近道なのだと彼が教えてくれた。
 しばらくのろのろと歩いていると、上半身に衝撃が伝わった。どうやら誰かと肩をぶつけてしまったらしかった。こんな路地裏にいる人なんて、きっと私を含めてもろくな人間ではない。相手の顔を見るのが恐ろしいので黙って通り過ぎようと思った。逃げてしまえばこちらのものだ。

「おい女ァ、人に肩ぶつけといて、だんまりか、なあ」

 髪の先まで飛び上がるような思いだった。すみませんと咄嗟に謝り、恐る恐る顔を見る。瞬間、ひゅっと喉が鳴った。全身の毛が逆立って、とにかく、こわくてぞくぞくする。仮面か何かだろうか、グレーの面から剥き出しになっている鋭い眼光に、私の肩、手足を貫かれている気になって震え上がった。頭が真っ白で、ただただ、恐怖と焦りに気持ちが囚われていた。どうしよう、どうしようと頭の中で繰り返して、震える声でもう一度謝罪の意を口にする。それでもやっぱり、相手は納得なんて到底してくれないようで、おもむろに肩をがっしりと掴まれた。体が飛び上がる思いだった。その動作と声からして男性だろう。彼は私の顔をはっきりと見るなり、目を細めた。口が見えないというのに何故か、にんまりという表現が似合う表情だった。

「なんだそうか、お前かあ……んだよシケたツラしやがって、なまえちゃんのだ〜い好きなオトモダチとの感動の再会だってのによォ」
「えっ……? え、あ、なんで、なんで名前、お、おともだち……?」
「忘れちまったのかァ? くひっ、ひっ、ひひひあははは! 俺だよ俺! お前が今の今までず〜っとよろしくしてきたオトモダチ、真月だよォ!」
「は……? え、あっ……し、しんげつ、くん……? そんな、えっ、あぁ、ちが」
「信じたくないよなあ、せっかく懐いてくれた可愛い後輩がこんな奴だったなんてよお、でもな、くひひ、残念ながらお前の好きだった真月はこの、俺様なんだよなあこれがァ!」

 これほど、絶望という言葉が見合う状況というのはないだろう。彼は掴んでいた私の肩をそのまま壁に、強い力で押し付けた。ぎりぎりと骨が軋む。彼の言っていることがよく分からない。彼が、真月くん? こんなに、恐ろしくて、おびえを感じるこの人が? 意味が、分からない。それなら私が今まで思っていた、話していた、真月くんは、なんだったの。次々と私の心にえぐみを残すような言葉を振り落としてくるこの彼が、真月くん。悲しくて、悔しくて、いつの間にか涙がこぼれていた。

「言い忘れてたな。俺はベクター、まあ固くなんなよ、ひひっ、これから可愛がってやるんだからよ」

 この辺りは、滅多に人通りがない。この、ベクターという人の言うことが本当ならば、私はこの道に疑いもなく入り込むようまんまと罠にはめられたという訳だ。いろいろな感情が入り混じり、唇を噛んで行方の定まらない気持ちを抑えた。ずっと服の裾を掴んでいた手が持ち上がる。彼の指先は爪が長くて、鋭い。ぎゅっと手首を掴まれて、その爪が遠慮もなく食い込んで痛かった。私の片手が壁に縫い付けられると、突然彼の右腕が降り上がり後頭部に痛みが走った。どうやら髪の毛を掴まれて、頭を壁に押し付けられたらしい。痛みに耐え切れず、反射的に目を閉じた。髪は掴まれたままだったが、恐る恐る目を開いてみると、彼の顔が先程よりもずっと近くにあり、驚いて、やっぱりこの瞳を目の当たりにすると悪寒が走った。がくがくと足が震えて、座り込みそうになる。

「ひっ……いっ、痛いっ、痛いです、かみ、いたい、はなっ離して……」
「こんなもんで痛がってんじゃこっから持たねぇよなあ、おら、立て」

 掴まれていた髪を更に強い力で引っ張られる。更に、足の間に膝が割り込んできて、私はとうとう逃げ出すのが限りなく難しくなってしまった。そして彼の右手が私から離れたと思うと、今度はブラウスのボタンに手をかけられた。ボタンがするすると外れていくのを見て、初めて、この人がこれから何をしようとしているのかを悟った。血の気が引くのを感じた。慌てて押しのけようとするけれど、男女の差と体格の大きな違いもあって、彼の体は当然というべきか、びくともしなかった。泣きそうだった。

「なあに涙目になってんだよ、ん〜? あぁそうか、お前、真月が好きだったんだよなあ」
「え、なんで、知って」
「顔に書いてあんだよ、急に女の顔しやがってよォ! だいたいなあ、人を好きになってなんになるっていうんだよ。恋なんてこっぱずかしいもんやってる人間程つまらねぇものはねぇんだよ!」
「なんでそんなこと言うの……ひどいよ、私、真月くんのこと」

 信じてたのに。続けようとした言葉は、彼のおもむろな行動のせいで引っ込んでしまった。開かれていたブラウスの下から下着をずらされて、外だっていうのに、胸が晒される。冷めた顔に熱が集まるのを感じた。必死に抵抗しようとするものの、やっぱりどうにもならない。あまり自信もない胸を、彼が先の鋭い手で揉みしだく。どついうつもりか知らないけれど、加減が強くて痛い。少しもすると、先端を指の腹で撫でたり、つままれたりして、むずむずするような気持ちがした。それでも耐えていると今度は、スカートの中に手が滑り込んで、下着に手をかけられる。いやだと口にしてみても、笑われるだけだった。下着をずらされると、そこになにかが押し当てられる感触がして、とうとう涙が出た。頭上から彼がなにやら言っている声が聞こえる。けれど頭が回らなくて、それもうまく噛み砕けない。そしてついに彼が私の中に押し入ってきた。私は今までそういったことをした経験なんて、もちろん一つもない。だから、元々こういうものなのか分からないけれど、下半身の激しい痛みに一層涙が溢れてきて止まらなかった。ぎちぎちと侵入してくるものに息が詰まる。痛い、と、かろうじて口にすると彼は楽しそうに笑って、余計に押し入る力を強めた。「痛いかあ、そうかそうか、それはよかったなあなまえチャン」どこがいいのか分からない。痛くて、辛くて、苦しいものばかり与えるこのベクターという人は、やっぱり決して好きにはなれないと思った。真月くんは好きだけど、この人はきらい。自分でも全く矛盾していると思う。真月くんの、あの素敵な笑顔を思い浮かべると胸がつらくなって、彼の名前を小さく呟いた。すると、先程まで楽しそうにしていた彼が突然、私の髪を再び掴み上げて、顔を近づけた。

「真月真月って、うるせぇな。てめえが好きな真月はこの俺、ベクターだ。真月零はもう、いないんだよ!」
「うあっ、あっ、うぅ……そんな、ひどい……じゃあ、真月くん、は」
「うるせぇ! 真月なんて名前、二度と口にするんじゃねぇ!」
「やだっ、真月くん、真月くんっ!」
「黙れ……黙れ! 今すぐ黙らねえと、てめえの子宮ぶっ潰しちまうぞ!」

 彼はそう言い放つと、お腹の奥を思いっきり突いた。くぐもった悲鳴が口から漏れる。内臓をかき回されているような感覚が気持ち悪い。ゆるゆる揺すぶっていた腰の動きはどんどん早くなってきて、このままいったらどうなるんだろう、と考えて怖くなった。いたくて、こわい。太ももが、がくがくと震えて、変な感じがする。なにか言いたくなったけど、彼の目が座っているのに背筋がぞくぞくして、やめてしまった。彼は苦しそうに中を突いて、しばらくすると小さく呻き始めた。そうして、本当に壊れてしまうのではないかと思うぐらい、下半身に伝わる痛みが大きくなった。嫌な予感がする。それから少しすると、彼は深い息を吐いて、腰を震わせた。穿たれていた彼のものが、中でびくびくと収縮する。

「っお"ぉ、ォ……はぁ、あ"ー……」
「うぅ……ぁ、あ、な、なか……」
「はー、はー、なんだよ、文句なんかねぇだろ、あァ?」
「も、もんくって……、だって、なか、妊娠しちゃう……」

 私がそう言うと彼はちょっとの瞬間、俯いた。ちらりと覗く、あんなに怖かった彼の瞳は、この時はどういう訳か悲しげに見えた。「ベクター、さん……?」微かに、そう名前を呼んでみると、彼は顔を上げて私の視界を隠した。手のひらで目元を塞がれたのだ。変な浮遊感がしたあと、足に、先程よりも幾分か硬い地面の感触がした。目元の手はまだ退けられない。私はこれから、どうなるんだろう。彼がなにかぶつぶつと呟いているのが聞こえるけれど、はっきりと聞き取れない。かたいものを唇に押し付けられた感触を感じながら、真月くん、なんて未練がましく心の中でぽつりと言った。そんなに穏やかな手付きで頭を撫でられたって、彼を、私の大好きな真月くんを演じていた者として受け入れられる日はきっと、死ぬまで来ない。


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