七月の某日に、後輩の小鳥ちゃんが、明日夏祭りがあるのよと嬉しそうに話してくれたので、私も行きたくなった。どうやら、恒例の花火もあるらしい。それで放課後に、人知れずお誘いするために、Wさんの家へお邪魔してもいいかと尋ねた。私から訪問することは滅多になかったので、意外な風で出迎えてくれた。Wさんは私が上がってくると、必ず紅茶を出してくれる。それはWさんの二つ下の弟さんが入れてくださるらしく、無闇においしかった。猫舌だから、少しずつ、お茶を飲んで、高級そうなティーカップに傷がつかない様に、静かに受け皿へカップを置いて話を始めた。

「それであの、Wさん、えっと……明日にある、お祭りに一緒で行きたいのですけれど」
「行って何がしたいんだよ」
「それは、ええと……Wさんと、デートがしたいです」

 私がそう言うと、Wさんは、予想がつかなかった様で、驚いた様子だった。頑張って言った物だから、少し嬉しかった。
 Wさんが一寸ばかり右上に目を向けた。考え事をする時に右上を見る癖があることを、私は知っている。溜め息をついてから、考えが纏まったらしく、小さく息を吸い込んだ。

「仕方ねぇな、付き合ってやるよ」
「本当ですか」
「オフだからな。ただし、浴衣は無しだぞ」

 着ていく揃いもなかったけれど、悲しくなって、スカートの裾をいじりながら、返事をした。せっかく了承してもらえたのに、思わず、明白な態度を取っていることに気がついて、余計に背が丸くなるのを感じた。
 Wさんと別れ、帰路についている間、私は母に浴衣を買ってもらった時のことを思い出していた。随分小さい頃だったと思う。浴衣の柄は記憶にないけれども、金魚の様な、ひらひらした帯が、とても嬉しかった。その後夏祭りに行って、また色々な物をねだった。金魚すくいで貰った金魚が長生きはしないと、今まで一度しかさせてくれなかったこと、水槽まで用意して飼育した金魚が、すぐに死んでしまったことを思い出す。りんご飴は不衛生だからと私に食べさせなかった。今でこそ、私を思ってくれていたのだと思う。当時私の家は、今もそうだけれど、家計に余裕がなかったにも関わらず、母は私に対してたくさんの物を買い与えてくれていた。その殆どは長く使える物などばかりだったが、子供に物を買い与える親の気持ちを、考えたことがなかった。
 家の前の交差点に着いた頃には、胸の真ん中がすっきりしなくて、仕方がなかった。

 当日の夕方になると、浮き足立って、待ち合わせの時間より30分も早くに着いてしまった。ベンチの傍らでWさんを待つ。彼の姿が見えると、うれしくなって小走りで駆け寄った。何か言おうとしたけど、Wさんに掴まれた左の手首が痛くて忘れてしまった。手を引かれながら、食べたい物はあるかと聞かれる。りんご飴が食べたいと言うと、不味いし汚いから、やめろと返された。そうして、代わりにと、お好み焼きを買ってくれた。
 私の左隣にはWさんがいる。「なまえ、少し歩くか」と、お好み焼きが入ったトレーを渡してくれてから、背中に手を添えて私を促した。
 しばらくゆっくり歩いていると、たくさんの背中の中から、背の低い水槽が見えた。金魚すくいらしい。十三、四歳くらいの男の子と、同じ様な歳をした紺色の浴衣を着た女の子が、屈んで一生懸命に金魚を追っている。私はそれを見て、金魚すくいがしたい気がしてきた。

「あれがやりたいのか」
「あっ、は、はい……したいです」
「屋台の金魚なんかすぐ死ぬに決まってんだろ。行くぞ」

 思わず沈黙した。そう言われる様な気が、前からしていた気がする。彼は、私と一緒にいて楽しいのだろうか。楽しくは、ないだろうと思うけれど、こんな人混みの中で付き合ってくれているのだから少しは自惚れていいと思う。私はただ、Wさんの後ろ姿を追っていた。
 ふと、彼が、まだ先程のお好み焼きをつついている様子を見て、私を幅の広い通りにある腰掛けに座らせた。

「食えるか」
「はい、大丈夫です……食べられます」
「ふぅん……」
「ご、ごめんなさい……」
「いいけど。……飲み物でも買ってくるか」
「あ……わ、私は、大丈夫です」

 本当は口が渇いて仕方がなかった。もう冷めてしまったお好み焼きを、焼ける様な喉に流し込んだ。食べ終わった頃、やはりたえられなくなり、申し訳ないからかき氷を買ってもらい、二人でいちご味とれもん味を食べた。薄暗い明かりが、けばけばしい色をしたシロップに照っていて、食べながら、Wさんの髪の毛の色みたいだなあなどと取り止めのないことを考えていた。気づけば、Wさんの持っている紙コップは空だった。
 私はまだ、あかい、かき氷を食べていた。やがて花火が始まる時間が近づいてくると、人人がぽつぽつと移動をしている。そうして、ストローを切り抜いたスプーンに掬う氷の量を、減らして食べた。駄々をこねていた。
 通りの人が少なくなってくると、一分程度しか残っていなかった紙コップが私の手からなくなっていた。Wさんに取り上げられた様だった。

「やっぱりな、食べられねぇんだろ」
「えっ、あっ、あの、食べられますから……ごめんなさい」

 お腹の底に響く様な、鈍い音が聞こえる。本当はかき氷なんて食べたい訳ではなかったのに。残りを食べてもらっている間、漸く、Wさんは花火が始まれば帰るつもりだったのだと気がついた。
 ぼんやりとした、白い光が、黒い木々を照らして濡れている。「そろそろ、送って行こうか」という彼の声がしたので、お辞儀をして、ありがとうございました、とお礼をしてから並木に沿って歩いて行った。後ろは振り向けなかった。足を一歩一歩、進めるごとに辺りは暗くなっていく。目頭がじんわりしてくる様だったから、あくびをして、目を瞑った時に、涙を溢して帰った。



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