沈思




 詰まる所、頭のいい学校の生徒の中には、等級の高い学校に通っているという、ステータスだけに満足し、全体的に見た自分の成績を思い悩まない人があると思う。私が中学生の頃、「俺は天才だ」と言う男の子がいた。テストで四百点を取ったから、それで自信がついたのだという。彼は卒業後、県内で最も偏差値の高い高校に進学した。当たり障りのない学校に通う私は、しばらくして、駅前の雑貨屋で彼と再会した。型に当てはまったやりとりをしたあと、私は彼に、高校での勉強は捗っているかと訊いた。彼は答えた。俺は天才じゃなかった。今では皆に付いていくだけで精一杯だ、と。

 通学路の途中に、私が敬慕する人の家がある。独り暮らしだと言っていたけれど、間取りは広く、しばしば彼の友人が訪ねに来るので賑やかだった。私はよく、彼に会いに行っていた。
 何々の研究がどうこうという話はよく知らないが、彼は色々なものの開発に携っており、言わずもがな頭がいい。その上身体能力も高く、決闘が大変上手い。時折、いや始終、自分ごときが彼の隣を歩いていいのだろうかと思うぐらい天才的だ。とても非の打ち所のない彼は、広場で決闘をしているのを観戦して敬服する私に、快く受け答えしてくれた。その後も彼は、一緒に決闘をしたり、私のプレイングについて助言をくれたりした。いつの間にか、こうやって、度々家にお邪魔する様な関係にまで図々しく入り込んでいる訳だけれど、私は彼が好きではあるが、自分が好かれているとは思っていなかった。いい方でファンの一人と言ったところだろう。彼は優しいから、好意を向けてくる人を突き放せない。知っていながら、彼の元を離れがたかった。

 インターホンを押してから、しばらく経ったが、応答がない。視界の端できらりと反射した赤に、一瞬足元がぐらつく。その際に何かが倒れた音がした。見ると、並んでいる中の植木鉢が一つ倒れている。幸い、土はそれほど零れていなかったので、茎が折れない様にゆっくり元へ戻した。
 やはり音沙汰はない。悪いと思いながら、開いていなければそれでいいと、扉を開けてみようと決意した。気を取り直し、遠慮がちにドアノブに手をかける。音が立たない様に、ゆっくり引いてみると、深淵を見た様な気になった。不安になって声をあげる。
「ゆうせいさん」
 息の音の一つも、私の耳には届かなかった。
 彼が鍵を開けたまま、家を出るなどという無用心なことをする訳がない。それこそ、私がよく知っていることだった。廊下に電気がついていないので、目を凝らして玄関を見てみると、彼の靴の他に、女性のものと思われる靴が、きちんと揃えて置かれている。背中が冷たくなった。
 平気で徹夜をする人間が健全と言えるのか分からないが、ともかくも、大人の男性が、異性と交遊するのは至って正常なことと言える。むしろ、女の人にそういった関心がない方がいぶかしいのだ。けれども、頭がその事実を受け入れない。この時初めて、私は彼を恋愛対象として慕っているのだと気がついた。微かに微笑み私を見守る彼が思考の海の中、おもむろに浮かび上がる。その時、ドアノブを握る手が不意に緩んだ。私は静かに扉を閉めた。

 彼の家の玄関先には植木鉢がいくつかあって、そこには赤い薔薇が咲いていた。それは、彼の所を訪問するようになってから少しのこと、突然に、まるでずっと前から置いてあったという様な風格だった。初めて薔薇を見た際、私は彼に、植木鉢のことを訊いた。彼が自然な風で言葉を濁しているので、それ以上踏み込めなかった。失礼にあたるかもしれないけれど、寡黙で、しばしばぶっきらぼうなあの人が花の手入れをしている様子を想像することは難しい。何より、彼が植木鉢を気にかけている素振りを、私は見たことがなかった。それなのに、玄関先の薔薇は何があっても枯れることがなかった。
 彼の家を訪れるたび、私は玄関先のくれない色に目眩を覚えた。放って置けばこのくれないが、遊星さんの全てを覆っていくのではないのかと戦いた。彼へと続く扉の前に立ちはだかる、鮮やかに実を結んだものに恐れを抱いた。しかしながら、私は玄関先の薔薇に、立ちすくむばかりで、それを退けることも、枯らすことも出来なかった。きっと、この実を結んだものは、彼にとって生活の一部であり、欠けるべきものではないのだと感じたからだ。でも、私はくれない色を飲み干していく遊星さんが見たくなかった。出来るものなら、彼を受け入れる自分を、彼自身に抱きとめてほしかった。玄関先の薔薇は日を追うごとに太陽の光を受けて輝き、おだやかに笑みを浮かべる。彼は笑う。そこに私は存在しない。

 私は、自惚れていた様に思う。彼にとって、自分はとるに足らない存在だと感じながら、しかし少しばかりは彼と打ち解けていると思っていたからだ。それは大きな誤算だった。傷口は瞬く間に爛れ、私の奥深くへと浸蝕していくのに、遊星さんはきらびやかに実を結び、飛翔する。私は飛ぶことなんて出来やしないのに、追い付くことすら許されないのだ。このくすんだ空が、私の元へ落ちてくればいいのに。湿った土の匂いを察知しながらそう思った。
 所詮私は、件の彼と変わりがなかったというのだろうか。誰かの「特別」に座れないこの身は、偉ぶっている生徒達と、違う所がないとでもいうのだろうか。


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