浮沈




 友達が出来た。彼女は神代璃緒という同級生だ。彼女が退院した後の、登校初日に、朝一番で謝罪をしに行ったのを今でも覚えている。私は立場上、彼女のみならず、彼女の兄にも大変な迷惑をかけたというのに、彼女は柔らかい物腰で私と、私の義兄を許してくれた。私は彼女が大好きだった。
 ある休みの日に私は、どこへ行きたい訳でもないけれど、何となくじっとしていられなくなって、お昼過ぎに、近くの駅から適当な電車に乗車した。いい加減な所で降りて、ふらふら歩いていようと思う。少し混んでいたけど、なるべく人の少なく見えた車両を選んでやっと一息をつく。人影に紛れ、どこの席に座ろうか迷っていると、知った顔を見つけた。水を浴びた様な気になった。向かいの席に、璃緒ちゃんとW義兄さんが一緒で座っている。二人は私に気付くことなく、楽しそうに話し合って笑っていた。耐えきれなくなって、後ろの車両に駆け足で移動した。
 すぐ側の椅子に、寄りかかる様に座り込む。さっきから胸のつっかかりが取れなかった。その日私は、次の駅で下車して、真っ先に帰宅した。

 昨日の明日になれば学校だ。重い足取りで校門をくぐる。昨日の件が、まるでつい先程のことの様に思われた。ぼーっとしながら歩いていると、誰かに声をかけられた。

「おはよう、なまえ」

 彼女の声だった。はっとして、おはようと返す。璃緒ちゃんは、いつもの優しげな笑みを湛えて「行きましょう」と、足の止まった私を促した。隣には凌牙さんが、視線を反らして立っていた。また胸がつっかかった。

 私は彼女に嫉妬しているのだろうと思う。こうして、彼女の斜め後ろの席で授業を右から左へ受け流している間にも、ぼんやりとした醜い感情が染みていくからだ。この嫌な気持ちが、早くなくなればいいのにと思った。
 どうしようもないことだというのは分かっている。どうにもならないことを、どうにかしようとするには、今この場で立ち上がり先生に「保健室に行ってきます」と伝えることよりも莫大な覚悟と労力が必要だ。
 凌牙さんに似た、青みがかった髪の毛が綺麗に揺れる。そういえば彼女の横髪の切り揃え方は、何となくW義兄さんに似ていたな。手を伸ばそうかと考えて、やめた。隣の席の凌牙さんは、机に突っ伏して寝ている。真新しい机に広がり散らばっている髪の毛を、彼は狸寝入りだと思うのですぐに気付くだろうけど、そっと手に取って、指でくるくると巻いてみたりして遊んだ。
 私が髪の毛を触ったことで、ぴくりと彼の肩が少し揺れたのとほぼ同時に、先生の怒鳴り声が教室中に鳴り響いた。瞬間手を引っ込める。先生の視線は、私の席がある、教室の右後ろあたりを向いていた。その時やや前傾姿勢でいたので、自分のことかと思ったが、どうやら私でも、凌牙さんのことでもなかった様だった。

 お昼休みの時間になり、教室が騒がしくなった。三限目から授業をさぼっていた凌牙さんは、屋上にいるらしい。璃緒ちゃんは立ち上がり、当然の様に二人分のお弁当を鞄から取り出した。私はそれを、ああ、彼と食べるんだなあと思って眺めていた。育ちの良さが現れる様な歩き方だった。彼女が私の元へゆっくり歩み寄ってくる。彼女はいつも、凌牙さん、それに私と一緒にお昼ご飯を食べるのだ。「今日も一緒に食べるわよね」と尋ねられる。いつもなら感じのいい声で了承するが、私は食欲がないという言い訳をして保健室に向かった。なるべく棘のない言い方をしたつもりだったが、彼女は残念そうな様子だった。
 廊下を歩く私の頭の中は、彼女と、自分の義兄のことでいっぱいだった。みぞおちの辺りが、とても表現出来ない、嫌な感じで満たされていく。彼女には保健室に行くと言ったものの、本当にそこで休むつもりはなかった。私はただ彼女から逃げたかった。また、ぐるぐると、負の象徴とも表せる思考が始まる。自然と足が止まっていた。
 俯いていたので、ずっと前からいたのかは分からなかったが、目の前に男子生徒が立っているのに気付いた。制服の色は緑だった。伏せ目がちに見上げると、その人は私をしっかりと見据えていた。

 そこから先は、目が覚めてからのこと以外、あまり覚えていない。ただ、記憶が曖昧なのは、廊下で会った人が取り出したカードを目にしてからだったと思う。それと、前後の繋がりは思い出せないけれど、何かしらで璃緒ちゃんと決闘をしていたのを覚えている。それなのにやはり、決闘の内容や、他のことは記憶になかった。
 気が付けば私は、璃緒ちゃんの腕に抱かれていた。身体が痛い。数メートル先には、Dゲイザーを装着している凌牙さんが立っている。程なくして、決闘をしていたらしい私達を見守っていた遊馬君とアストラル、真月君に小鳥ちゃんが近くに駆け寄ってきた。凌牙さんも、ゆっくりとだが歩いてくる。なかなか、機敏に動かない思考が、彼の鋭い瞳を受けて飛び起きた。私はなるほど、何らかの機会で彼女に決闘を申し込み、彼女の発言の何かしらに癇癪を起こしたらしい。W義兄さんや事件のこと、それによって彼女に罵詈雑言を放ち、酷く乱暴なオーバーキルで彼女を痛めつけた自分が脳裏によみがえった。バリアンに洗脳されてのこととはいえ、妹を傷つけられさすがに怒った凌牙さんが、私と決闘をして目を覚まさせてくれたのだ。
 大丈夫か、と遊馬くんを筆頭にみんなが心配をしてくれる。私は申し訳ない気持ちで、顔を伏せた。「なまえ」と、凛とした、心地よい彼女の声が、顔の近くで響く。その腕は未だに、私の身体を抱き留めている。罰の悪そうな、片付かない様な面持ちでいる彼女の身体は、傷だらけだった。


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