琥珀




 琥珀というのは、松脂だか何だかの樹脂が化石になった物だということは、今じゃ誰だって知っている。小学生だった頃の俺は学校でそれを知って、二つ歳下のVに得意気に教えた。Vはそんな頃から、遺跡だとか、そういう物が好きだから、楽しそうに俺の話を聞いていた。話が終わってあいつが、「僕達が今樹脂を埋めたら、大人になった時、化石になっているでしょうか」なんて言うから、意地悪を言った。

「無理に決まってんだろ。最低でも、数百万年ぐらいかかるんだ」



 人といるのは気を使うから面倒だが、一人でいるのも昔の事を思い出すから嫌だった。学年一位の成績をとって父さんに褒められた事とか。あの時は、俺の頭を撫でる父さんの、大きな手が、特別な物に感じられたなあ、とか。いい思い出だらけではあるが、何故だか景色が霞んでくる様だから嫌だった。
 せっかくだから散歩でもしようか。馬鹿みたいな事を言ったと思う。こんな事をするから週刊誌に取り上げられるんだ。男の癖に冷え性らしい、手足が冷えて堪らなかった。隣を歩くなまえの手を握ってみると、何だ、こいつの手も冷たい。やけになって恋人繋ぎをした後ポケットに突っ込んでやった。なまえは驚いた様であれこれうるさかったが、しばらく歩いていると温かくなってきて、握り返された。

 Vは帰ってこない。いつまで経っても帰ってはこない。次はいつだ、誰だと考える内に震えてくるから、なまえが心配しているから早く顔を見せろというメールを、あいつの携帯に送って顔を合わせた気になった。もうすぐWDCの本選が始まる。その前には、こいつにVの事を伝えなければいけない。頑張ってね、だの、Wなら勝てるよ、なんて励ましてくるなまえは決してあいつの話に触れない。分かっているんだ。だから俺がこの大会で優勝して、今度こそ帰ってくる事を望んで言っているんだ。愚かだと思った。

「なあ、もし俺が、化石になったらどうする」
「何言ってるの。本当になっちゃったら、怒るんだからね」
「じゃあ氷になったら」
「怒る、それで、わたしが、溶かしてあげる」
「それじゃあ俺が帰ってこなかったら」

 なまえの、握っていた手が緩んだ。更に強い力で握ると口を開いた。Wは、と呟いたが、声には嗚咽が混じっている。愚かでどうしようもないと思った。
 背を丸めて俺についてくるこいつのかげりを見て、Vを思い出す。あいつはもう覚えていないだろうというぐらい小さい頃だ。あいつは気が弱いから、クラスのリーダー気取りの奴にしょっちゅう責められていた。そうして下校する時間になって、俺に泣きついてくる。俺も意地が悪いから、父さんがしてくれた様に頭を撫でたりはしなかった。ただ、何も言わずに、あいつの細くて小さい手を引いて歩いていた。「とーますにいさま」と発した声は震えてどうしようもなかった。そうして、それで、どうしたのだったか。もやが掛かった様で思い出せない。ただ覚えているのは、それと、Vが俺の前で泣いたのはこれっきりだという事だった。

 住宅街の側にある公園で、子供が遊んでいる。何人かで追いかけ合って、女児が転んで泣き出した。
 ああそうだ、あの後、家について化石の話をしてやった。Vはすすり泣きをするVに心配そうな面をしていやがったが、すぐ泣き止んで嬉しそうに耳を傾けていた。
 なまえはまだ鼻をすすって俯いている。こいつもいい歳だから、琥珀がどうたらなんて話はとっくに知っているだろうと思ったが、口走った。こいつの口から、あの時のVみたいな言葉が出てくる様な気がして、すがった。

「琥珀って知ってるだろ。ほら、樹脂が地中に入って石になるっていう」

 なまえは頷くだけだった。

「お前が俺の事をどう思っているのかなんて分かんねぇけどな、俺も、お前の中に埋まって、化石になんのかな」

「ならない」

 鼻声で、俺の言葉を遮る様にそう言った。

「忘れないから、ならない。わたしがずっと覚えてる」


 さっき泣いていた女児が、年長らしい男児になだめられて大人しくなった。そこらの屋根が赤くなって、影も落ちてきた。夕方を知らせる町内放送が鳴る。俺は懐かしい様な、人が寂しい様な心持ちでそれを聞いていた。
 帰ったらデッキ調整をして、最後の夜に、あいつの側で寝よう。その前に、なまえを家に送らなければ。手を引っ張って、くっついて歩いた。もう誰も泣いてはいなかった。



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