<概略>
リヴァエレ前提と呼んでも良いものか不明なリヴァイとエレン/転生現パロ/前世でエレンは処刑されています/両者前世記憶持ち/援交びっちエレンから派生/殺伐/
先にこちら→『金魚救い』をお読みくださると捗ります。
相変わらずどっちも何も救われません。






     

 いつも変わらなくてこそ、ほんとうの愛だ。一切を与えられても一切を拒まれても、変わらなくてこそ、ほんとうの愛だ。──と、今は疾うに亡き詩人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは綴った。けれど生物学的な話、ヒトは新陳代謝が正しく行われていれば躰はおよそ3ヶ月も有れば全部生まれ変わるらしい。肌は28日、心臓は22日、胃腸は5日、筋肉と肝臓は60日、骨が90日、以下略。ヒトの細胞は日々死に至り、日々生まれ、変わっていくのだと。それが意味するところはつまり、『ほんとうの愛など無い』ということだ。きみが好きだ、愛している、だからもうこんなことはやめて僕だけのものになってくれ。なんて、いや、俺を金で買っておきながら本気なのだと言い募るリピーターは面倒臭い。そんな男の、大人のくせに縋るような我儘を聞きたくも無い俺はもう、充分うんざりする程には聞き飽きていて、その度、幾度も困ったように笑ってみせては肉欲に挿げ替えて遣り過す。そうして告げるのだ。

「すみません。俺のほうから差し上げられるものは残念ながら、何も無いんです。なのでその代わりと言っては何ですが、貴方が『俺』からお好きに欲しいものを持ってってください。俺は確かに欠陥品で、だから、ねえ、そんなことより重要なことをしましょう。ほら、貴方の目の前に在るものは消耗品で、何れ失くなっていく『俺』は、速い者勝ちですよ」

 俺を買う男たちの殆どが気に入る色をしている、目を細めうっそり囁くと、彼は愕然としてどうすれば良いのかさえ理解らない様子で瞠目し、まるで何も言えない、と云わんばかりの顔をして、しかしその一瞬後には愛とか何とか遥か彼方へと吹っ飛ばし計算尽くの俺の舌が誘うまま、平気で獣の舌で嬲りにくる。添えられた手が汗をかいていてその気持ち悪さに俺は嗤った。
 そんなに奮い起つ程も、がっつかなくたって俺は別に逃げたりしない。だって俺自身が、好きでやっていることだ。誰かに強要されているのでも無く、自ら選んでしていることなのだ。──ねえ? 次のヒトもその次のヒトも、貴方たちは俺の何が欲しくて、俺のどこをどうしたくて、順番待ちをしてくれているのでしょうか。『俺』なんてほんとうは消えてしまって、この世界にはもう、ほんとうには存在しないのに?



 季節の変わり目と云うやつは、昼間は何れ程暑く不快であっても朝晩だけが信じられないくらいに冷え込むので厄介だ。薄着では凍えるような風の冷たさに、せめてカーディガンやジャージの1枚でも何でも良いから、羽織ってくれば良かった、と思う。ただ衝動のままに着の身着のままで裸足にてきとうなサンダルを履いて外に出た。家のなかになど、最早居ても意味は無い。
 叫び責めるみたいに怒鳴りつけられるあの感覚は、何かに押し潰される感覚と似ていた。幼い頃、重たい布団を上から掛けられ、ほんの少し息苦しく感じる、喉に異物が詰まった気がして落ち着かない気分になるあれだ。あの感覚がリアルな例としては非常に近しい。俺は逃げるように、というか実際に逃げて外に出れば、弁明もせずに逃げるのか親不孝者、と父さんから背中に吐き棄てられた。はい、そうです逃げますとも。なぜなら逃げる以外の選択肢が今のところ、俺には無かった。気が重い分だけ吐息は重い溜息となってしまう。肌寒くて身震いをしながら意味があるのかもわからずに自分の両腕で躰をさすってみた。つい数時間前にはこの躰を、金を持っている大人の男が抱いていた。熱いシャワーも浴びてどこも冷たくなんか無かった。でも今俺の指先は冷たい。それでぼんやりと、この躰が女のそれで無くて良かったなァと思った。ミカサもそうだったけれど、女の子は冷え症であることが多く、それゆえに気温が低いこんな夜に限らず、ちょっとでも寒さを感じる場所(エアコンがつきっ放しの部屋だとかその程度でも)で過ごしていると指先は勿論腰や膝下なんかも凍えてしまうらしい。あ、くしゃみ出そう。

 俺のしくじりは今日の援交相手が父さんの遠い知人だったと発覚したことだ。詰めが甘かったとしか言えない。彼は俺を欲しがるリピーターのなかでも痛い行為をしない貴重な客ではあったのだが、どこをどう辿ったのか、偽名を使っていた俺の本名を勝手に暴き出し、事も有ろうか我が家に直談判に来たと謂うのだから被虐的なセックスなぞより余程、完全に痛い。そのとき俺はもうひと稼ぎしている真っ只中だったので、まったく何も知らないうちに自宅へ押し掛けてきた男が俺の諸行を暴露した上に、それでも好きだ、愛している、だからもうあんなことはやめさせて僕だけのものにして欲しい。なんて、要するに所謂“息子さんを僕にください宣言”をしたわけだ。当然家族は驚いた。そして俺のしていたことを事実であると知ると無論、嘆き悲しみ激怒した。当たり前だ。俺だって、こんなリスクをまるきり考えてこなかった筈が無いし、何しろ俺のしていることはこの世界では犯罪行為でしか無く、それも同性相手に限るなんて俺が親なら、おまえを殺して俺も死ぬ、とでも言いたくなる程度には、絶望的で有り変態過ぎる性癖だ。きっと父さんも母さんも今までの現実が引っ繰り返るくらいには、とんでも無く、大き過ぎるショックを受けたに違いない。

 しかして今朝までは間違い無く誰が見ても幸せそうで恵まれた家族で有った両親にとって、今や俺は化け物だそうだ。正確には得体の知れない化け物と同じく理解不能な穢らわしい生物。立派にふつうのヒトとして生きていた女性である母さんの、股の間から産まれ出てきて、自分たち夫婦の遺伝子を持った子供が愛を注ぐ毎日ですくすくと大きくなり、適度に顔も悪く無く、そこそこ自慢し得る程度には勉強も運動も出来、両親としては良い人生を歩めていたようだが、それらをすべて台無しにしたものが他でも無い、その息子たる俺なのだから、家族としては信じられぬレベルでたまったものでは無いだろう。よく理解るよ。俺としても、うっかり再会という不運に当たってしまって、俺に奇妙な前世の記憶が備わってしまわなければと、あの夏休みの終わり近くのあの時間にあの空港のトイレでリヴァイさんと目が合った、あの瞬間よりも以前の時間へと戻りたいと、何度切実に願ったろうか。毎夜のように悪夢に駆り出される俺が日中、家のなかで、学校のなかで、周りに馴染んでいるふりをして日常生活を送るためには、自身を切り売りするより効率の良い術が見当たらないのだから。だけどそんなことは誰にも言えない。仮に口にしてみたところで、父さんの勤める大学病院内にある隔離病棟、精神科にぶち込まれて終わりだ。自慢の子だと思っていた息子が、犯罪行為を繰り返していた事実と気が狂った場合とではいったいどちらがより深く家族を落胆させただろう。ごめんなさい。気丈な性格が剥がれてしまい泣き崩れた母さんの悲痛な嘆声と、喉に引っ掛かった異物を吐き棄てるように嫌悪で歪んだ父さんの顔を、俺は直接的では無くどこか他人事のような気持ちで、擦り硝子越しの瞳で眺めていた。どうやら俺は、家族どころか、この社会の、寧ろ、この世界にとっての異物らしい。前世も散々だったので、結局俺はどちらにせよ目の上のたんこぶならぬ、世界における実害だった。と、思いながら足許の小石を軽く蹴り飛ばした。国道に面した歩道を歩いていると、容赦無くすぐ真横を数々の車がわりとハイスピードで過ぎ去ってゆく。つまらないから、いっそそこへ飛び込んでみるのも悪くないかとも思ったが、そんなことをしたところで確実に死ねるかどうかなどわからないし、おそらく今より更に面倒なことになって、またもや親不孝を重ねてしまうだけであろうことを予測してやめた。見も知らぬドライバーさんにも罪は無いのだ。結果、何より罪深いのはやはり俺だけであるのだと、想像だけで殊更思い知る。
 まさか帰宅早々では無く、制服から部屋着に着替えて晩飯を食おうと完全にくつろいだ気分で下りたリビングにて突如家族会議──という名のただの尋問、且つ、威圧感及び悲壮感溢れる審議が行われたものだから、俺の格好は夜をひとり、歩くには大変心許無い。し、サンダルの隙間からは風が入り込み足先も冷える。なぜ財布かスマホのひとつでも咄嗟に引っ掴んで来なかったんだよ俺の馬鹿、誰かと連絡が取れるか最低限の金でも有れば今現在の状況は多少なりともましだったろうとそれは間違い無かった。そう思いつつ、ハーフパンツのポケットに両手を突っ込んで誤魔化しついで、小銭すら入っていないことが余計に寒さを増す。薄いハーフパンツのポケットは風を簡単に通して、保温効果も特に無く。今頃ミカサやアルミンの家にも連絡がいっているかもなァ、別に他の誰にどう思われようとも俺は気にしないでいられるけれどあいつらに知られてしまうのは嫌だなァ。絶対にミカサは怒り狂って俺と繋がった相手を殴るために躍起になって探そうとするだろうし、アルミンは不気味な程靜かな笑みを浮かべて何日掛けてでも俺に説教し続けるだろうし、何もかも面倒臭いなァ。とか、そういう、ほんとうはもうどうでも良いくせして無駄に鬱陶しいことをだらだらと考えながら、同時に、寒くて痛いと現実的なことも考える。ゆっくりでもずっと歩いていると景色だけは少しずつ変わる。小さな病院と、その近くに薬局と、そして自動販売機があったりもする。流石に時間帯が時間帯なので病院と薬局は閉まっているが、自動販売機だけは律義に光り輝いていて、あァまじで財布くらい持ってくれば良かった。腹が減った。温かいコーンスープが飲みたい。自動販売機の前に立って、数秒そんなことを考えて、買えもしないと理解している上で料金だけ確認して、から、また歩く。駅のほうへでも行けば誰かが俺を買うだろう。安価に買い叩かれてもこの際仕方があるまい。背に腹は替えられないのだ。
 あァ寒い、なァ。俺の名前って何だっけ。何のためにあるものだっけ。空を見上げてみても雲とネオンのせいで大して星は見えないが、代わりに狭い視界は煌めきながらぼやけてきれい。ふと鼻の奥がずきずきした。こんな夜をいっしょに往く誰かも、中二の夏に俺に起きた気の狂った出来事を吐瀉する相手も、現在の俺が生きていても良いことを自己肯定出来得る場所も、たまらなく焦がれ逢いたくて仕方無い人間も今はどこにも無く誰も居ないのだった。寂しい。はやく誰でも良いので誰かに抱き締めて貰わないと凍えて死ぬ。ひとりでは痛くて死ぬ。そう思い視線を下げると、可笑しい。自然に不自然過ぎる涙が落ちてきた。俺の瞳から流れた涙はちっともきれいでは無くて、蹴り飛ばした小石がごろごろと傾斜を転がり落ちていって最後に割れる、そういうものだった。何がこんなに悲しかったんだっけ、よくわからない。痛い夜空の下をひとりきりで歩くこの寂しさ、とか、その贅沢さ、とか、そういうあれこれが、なぜだか一切の言葉にならずに、それで。それ、で。まるで丁度それが合図だったかのように道路の向こう側から俺に向かって真っ直ぐ速足でずんずん歩いてくる黒い人影が怖い。リヴァイさん、何してんですかこんなところで。声にならないそんなことさえ無視をする、リヴァイさんは俺を抱き締め小声で、けれど鋭く抉るような視線でもって怒鳴りつけたのだった──『エレン!』と。




 エレン。そうだった。エレン・イェーガー、それが俺を表す名前と云う記号だった。

「少しは落ち着いたか? クソガキ」
「うええ。俺は最初から落ち着いて歩いていましたが」
「落ち着いている奴は泣きながら散歩なんぞしねえよ、こんな時間にそんな薄着で」

 いったい何があった、とは、リヴァイさんは訊かない。俺が正直に話すとは思っていないからである。駅近くのベンチに腰を掛け奢って貰ったコーンスープを啜りつつ、人波の合間を縫ってシャボン玉がふらふらと低空飛行していくのをただ目で追っていた。騒音もヒトも穢らわしいもの纏めて全部を大嫌いで潔癖。そんなリヴァイさんが隣に座って居ること自体に不安になって、ちらとそちらを見遣れば、存外にリヴァイさんは機嫌が良さそうで、もしかしたらこの人は今とても人間らしく、普段まったく無縁の風景や空気へと興味でもいだいているのかも知れない、と俺は思った。黙っているリヴァイさんは、消えても消えてもどこからとも無くまた現れるシャボン玉を見つけ出してはそれらを視線だけで尚も追い掛けている。夜更けにシャボン玉なんてそういえば不釣り合いで、ちょっとだけ面白い。実際は歩道の先にあるレンタルショップの入口にある小さなゲーセンのUFOキャッチャーがシャボン玉をいつも機械仕掛けで噴射しているということを、俺は初めから知っているのだが、表情には出さぬながらに決して悪くない顔をしているリヴァイさんの横顔を見ていたら、何だかそんな味気無い真相はどうだって良いだろう気がして、俺は汚い涙も呆気無くひいてしまった両目を閉じ、リヴァイさんの姿を視界から外した。前世での特別さを失っていようがリヴァイさんは、しかし、きっととても途方も無く強い。俺にもそれくらいの強さがあれば良かったのだろうと、そんなことは疾っくに自覚している。そうで無ければ幾ら俺だって己の情緒の安定を他人に求めて売りなんてしていない。でもリヴァイさんは兵長の頃のほうがずっと格好良かったかもな、人類最強兵士長とか呼ばれて化け物を倒すって、如何にも英雄ぽくて格好良い。が、その法則を当て嵌めると、俺も化け物だったし今世でさえたぶん化け物になってしまっているので。いつか俺を兵長が殺してくれるのかも。前世でいだいた期待は腹立たしくも処刑台の上、思いきり裏切られてしまったけれど。
 それでも今ここに居るリヴァイさんじゃあ駄目だ。この人は兵長より臆病で、兵長だった頃と同じくらいに身勝手だ。どうやら俺は巨人化しなくとも化け物らしいから、家に帰るのは憚かられる。だって家にはただの人間しか居ないのだ。俺が居なければ父さん母さん、それから飼っているふつうの猫が、他者から羨まれる程絵に描いたような幸福を具現化している家族として、幸せなままでいられるのかも知れない。と、いう、現実を思えば、俺はこの夜のなかにずっと閉じこもっているほうが良いのでは無いか。なァ聞いてくれよ、とある日から俺には前世の記憶があってそれはそれはもう凄惨なもので、俺は巨人になれてしまう化け物で畏敬していた英雄にめちゃくちゃ犯されて、なのにその人を厭いきれずに軽蔑しきれずに、馬鹿みたいに最期の最期まで信じて期待して、挙句あっさり裏切られてひとりきり冷たい無機物によって殺されちまったんだよ、って、本気で意味わかんないだけで無く正気を疑われて距離を取られやしないか? そんなふうに頭のおかしい話を吐露出来る相手すら俺には、今は──今は。ロータリーを無意味にぐるぐると行き来する車のクラクションが響き、びくり、俺はつい眼を開ける。近くのパチンコ店に停まっている車は俺を嗤うように何度もライトを明滅させている。あちらからこちらの顔までは見えない筈だというのに、こんな時間に出歩いている未成年、と、小柄なおっさん、を、物珍しい組み合わせだとでもはしゃいでいるのだろうか。そんなつまんねえことやって無いで、さっさとイイ女かイイ台を見付けて面白可笑しく遊んでてください。心のなかでそう言って、巨人の座標でテレパシーが使えるなら届くかなと淡つかに考えた。ら。

「巨人になりたい」

 不意に俺は呟いていた。刹那、ぎょっとリヴァイさんは驚いた顔をして俺の顔を見た、が、実はそれ以上に俺のほうが随分驚いていた。前世ではあれ程化け物である自分に辟易し時に絶望し、希望をいだいては打ち砕かれてを繰り返していたのに。何を言っているのだろう。今更になって。

「巨人化して、どうするんだ」

 リヴァイさんは吃驚したまま小さく言った。
 別に。そんなこと、俺自身にも理解りませんよ。どうして今ここで巨人になりたいと口にしたのか、なんて。

「おまえは…巨人化する化け物の身を疎んでいたんじゃ無かったか、エレン」
「はい」

 疎んでいた。嫌だった。気持ちが悪かった。殺されたかった。どんなに仲間と信頼を重ねようと俺はひとりだった。寂しかった。消えたかった。ただ殺意だけを抱えて生きていた。然りとも誰かのために巨人になって闘える化け物が俺しか居なかったから、数えきれない程巨人になって、嫌で仕方無くともその姿で闘って、幾度と無く実験されながら、いつだって必死だった。何が無理で何なら無理じゃあ無いだとか、そういうことすら思う余地など無かった。気付けば最早俺の躰は俺のものでは無かった。だから、最期くらいは、貴方の手に掛かって、死にたかった。俺の躰を、命を、死を、俺のものにして、俺のものだと取り戻して、それから死にたかった。
 だが今ここに居る俺はどうだ。俺の躰は俺のものか。違う。俺のものなんか俺には無い。必要が無くなったからどこにも無い。少しずつ少しずつ、みんなみんな、俺を欲しがる誰かたちにくれてやった。金銭契約と引き換えに削っては、明け渡していた。

「俺を買わないなら、殺してくれませんか。……兵長」

 答えのわかりきっていることを敢えて強請る。

「俺は兵長じゃねえ」
「知ってます」
「真っ当に社会で生きるただの会社員だ」
「知ってます」

 あァ。兵長に──逢いたい。

「おまえを犯すことも殺すことも有り得ない」
「知ってます」
「おまえだって、そうだろ。ただの高校生で、ふつうの人間だ。人間のガキだ。巨人になることも出来ない」
「それは、どうでしょうね。俺は異物で、化け物ですから」
「……死にてえのか?」
「いいえ。別に」

 だけれど生きていく理由も無いのだ。ほんとうは。
 何を俺はおとなしくこんなところで貴方の隣に座っているのだろうか。駅を抜けてその先にある住宅街よりもずっと向こうまで、行くと、街灯が極端に少なくなり、暗くて危うい。ので。そこまで進んでひとりになりたい。のに。どうして動けない。家を出てから何れくらい経っただろうか、たぶんまだ数時間も経っていない筈なので、夜が明けるまでは帰らないでいよう。心配を掛けることを真っ当に畏れて、頃合いを見てきちんと帰るのはただの良い子だ。でも俺は良い子では無く化け物だから、あともう少しは勝手をして、のんびり帰っても構わない筈だ。帰る──帰る? そうか、まだ帰る家というものが、現在の俺には、在るのか。俺がそこへ帰ることが出来なくなるのは、いつだろう。前世などという記憶を得たと同時俺はそれまで当たり前に持っていたと思われるヒトとしての温かみを失って、ただ薄ら寒い空気だけが流れるこの躰には既に愛着もクソも無いけれど、誰からも去るときはそれなりに悲しいのかも知れない。しかし、そのとき、が、きたら。そのときと云う時期まで何とか遣り過し待っている俺が居る。両親もきっと、これからはそのときと云う時期を待っている。さようならと別れの言葉を脳内で反芻して。時期がくれば躊躇無く言えるようにと繰り返してきた。きっと、上手く笑えるだろう。だって俺はもう、真っ当に生きていられるまともな人間では無いのだ。化け物なのだ。

「巨人に、なって。おまえは、」
「はい」
「何かぶっ壊してえもんでも有んのか」
「いいえ」
「俺を殺さなくて良いのか」
「はい。どうでも」
「エレン、」
「巨人になりたい」

 リヴァイさんの声を聴き続けることも億劫で、とりあえず同じ願望をもう1度唱えてみる。今はまだ未成年者というカテゴリによって護られている俺ではあるが、あと5年も経てばその枠からも必ず外れる。その日がきたら俺は。俺は? いつかの男が言った俺のこころのなかに有る部屋とやらは、なぜだか、ドアも窓もついていないから誰もそこへ入れないし、俺自身も出て来れもしないらしいので。ならばそこでひとりきり、巨人になってしまえばその、ドアも窓も無い部屋を破壊し俺は出られるのだろうか。出たところでそこには誰も存在せず、泳ぎ方をも忘れたくて溺れる選択をする、俺を、掬って、救う何かは単純に俺を駆り立てはしないに決まっている。

「俺が居る」

 ひと言だけ言ったリヴァイさんを見て、俺は、このヒト何言ってんだろう、と真剣に訝しむ。俺を斜に見上げるように覗き込んでいるリヴァイさんはついぞ気が狂ってしまったのだろうか。どこかが外れて、情緒の安定を他人に委ね無ければならないところまで。まるで俺みたいに。

「えー…と。兵長、貴方、俺に何したかわかってるんですよね?」
「もう兵長じゃねえがな」
「転生後において前世での罪はチャラになるか否か」
「否。だ」
「はは、」

 あの。じゃあ。ねえ。ほら。兵長。リヴァイさん。──俺が思うにほんとうの愛というものは、

「無い、んですよ」

 泣いて嫌がる俺をぐちゃぐちゃに暴漢し尽くした兵長を相手に俺は何を今更くだらないことを話しているのだろう、頭のなかの90%くらいを、困惑と憎悪でいっぱいにしながらそれでも俺の喉は異物を吐き出したくて淀みなく言葉を続ける。相変わらず表情筋がほぼ動かないリヴァイさんの顔を見ている俺から目を背けずに、沈黙していたリヴァイさんは最後まで聞き終えると、三白眼のネイビーブルーで確りと俺を捉え、て。

「つまりおまえにあるのは嘘の愛だけなんだな」

 と、言った。

「失礼ですね。その通りですが。もっと他に言い方無いんですか」
「それはどこにあるんだ?」
「聞けよ」
「聞いているから、訊いているんだろうが」
「……」
「どこにある」

 仕方無く、俺は触りたくも無いリヴァイさんの右手を握り、俺の左胸のあたりまでそっと持ち上げて、無責任な子供が自分の手のなかに閉じ込めた小さな魚を海へと放し逃がしてやるように、開いた。

「ここ、です」

 無許可の放流は生き物の生態系を崩すのでしてはいけない。

「そうか」

 諦めを簡単に呑み込める現生のリヴァイさんは前世の兵長と別人のように常識人で、でも、ほんとうは全然どこも別人なんかでは無いことを、俺は知っている。リヴァイさんのスーツにいつの間にか流れ着く、シャボン玉が壊れて消えて、俺は何だか弾かれたように声を立てて笑えた。野蛮で卑劣な人々に土足で踏み荒らされて穢れいくことになどもう慣れていた。それこそ前世から。あの頃は見られなかった水平線の向こうから昇る圧倒的な力を、今の俺は見たことがあっても決して持たない。だけど、そうだ、貴方だけは。

「愛しています。嘘ですけど」
「知っている」

 いつも変わらなくてこそ、ほんとうの愛だ。一切を与えられても一切を拒まれても、変わらなくてこそ、ほんとうの愛だ。──と後世に遺る程の言葉を綴ったヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテには悪いが、誰も彼も俺も皆誰しも、偽物で嘘の愛しか持つことが出来ない。だから俺はあともう少しを歩いていようと思う。リヴァイさんもそうであれば良いと思う。

「ではリヴァイさん、スープご馳走様でした。おやすみなさい。良い夢を」

 ほんとうは誰も幸せなんかじゃあ無い世界で歩くため振り返ること無く俺は往く。ただひとりで夜を往く。貴方にも家路にもすべてに背を向けて、化け物はひとりで夜を歩くのだ。化け物だから寒くも無いだろう、寂しく無いだろう、どこも痛まないだろう。冷たく言い放たれたありとあらゆる台詞を享受する。歩を進めるのんびりとした1歩毎に、安物のサンダルとアスファルトが擦れる、ひどく、間の抜けた音がした。『エレン!』と──駆け寄って来る俺を呼ぶ声が耳に依存し滑稽で、とても愉快だ。この先誰も、何も救われず幸せに生きていくことが出来ない世界に辿り着きますよう、俺はこころから願い望んで祈りを捧げる、この心臓は只々嗤うためだけに未だ脈動している。

 …………嘘だけれど。

 故ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ本人と共々、今も変わらず彼の遺した著書に愛を信じる人々には申し訳無い程に、ロマンも希望的観測も有ったものでは無い現実的事実だが正しく生物学が易しげにも耳打ちしてくる。さァまた近々。『俺』は躰の隅々まで余すところ無く死に至り、性懲りも無く、新しく生まれて、変わるのだ(と、良いなァ)。このように達した結論は叶わぬ切望か否か。あくまでもリヴァイさんの答え方を借りるならばそれは。否。だ。





about joker』の志麻さんへ捧げさせて頂きます。『金魚救い』を書いた直後ご感想などの遣り取りのとき私が勝手に「『金魚救い』の兵長、私(佐藤)の文章力なんかじゃ絶対前世のフォロー出来なさそうw」みたいなことを言いつつ、続編フォローは志麻さんが書いてくだされば良いと思います!的に一方的にボールを投げちゃいまして、しかし何と優しい志麻さんはそのボールをキャッチしてくださっていて、ほんとうに続編を書き始めてくださり、えっまじですか!??ε= \_○ノヒャッホォォォゥ!!!と喜んでいたところ、何ていうか、何だろう凄く胸が疼き、書き手が違えば同じ設定でも絶対違うものになるだろうなっていうか志麻さんどんなふうに書いてくださっているのだろうと思うと、もう、楽しみで楽しみでじっとしてられなかったというか、ええもう思いきりドキドキして触発されまして…っ!(゚∀゚)人(゚∀゚)やはり私にはエレンを救ってあげられるリヴァイさんは書けませんでしたが、代わりに、開き直るエレンなら書けました(笑)。志麻さんとの貴重な交流のおかげです。ありがとうございます。こんな感じになりましたが受け取って頂けると幸いです。今後もどうか宜しくお願いします。うへへ。
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