※しねた
朝、目が覚めてみると。
強く抱きしめていたはずの愛しい人がいなくて、その異常事態にひどく狼狽した。
布団を蹴飛ばして起き上がってみると、小さな仮眠の為だけの一室は小綺麗に整えられていて、昨夜のあまやかな雰囲気などかけらも見当たらない。ベッドから押し出されてそのままだったタオルケットも、脱いだままだった上着も、全て姿を消していた。
唯一、部屋を出る前に飲んだのであろう水がコップに半分ほど残っていて、それが彼が本当にこの部屋に一瞬でもいたのだと証明していた。
少しだけ、安心する。
ベッドヘッドに引っ掛かっていたシャツを羽織って、鎧は着ないまま軽装で扉を開ける。仮にも騎士団長がそれで良いのかと頭のどこかで誰かが声をかけてきたが、今はそれどころじゃないと聞き流した。
彼のいる所は、あそこしかない。
そのひどく静かで冷たい場所を頭に描いて、そこへ向かうべく足を踏み出した。
カツカツと響く靴音がうるさい。早朝の城には見張り以外で人の気配は無くて、ここの廊下はなぜこんなにも無駄に広くて、長いのだろうと不思議に思う。
そして、不思議に思うのを不思議に思う誰かが脳裏を過った。少し前までは、そんなこと考えなかっただろう、と。その「少し前」がいつのことを言っているのかは僕は知らない。ただ、僕の隣に彼がいてくれた時は城の廊下が広いなんて思いもしなかった。むしろ狭いくらいだと口実をつけて、体を寄せてみたりもしたものだ。
「フレン?」
不意に、背後から声。やわらかくて高いその声は、副帝であるエステリーゼ様のものに他ならない。
振り向けば彼によく似た、けれど事実まったく違う翡翠色がこちらを見つめていた。その瞳にわずかに不安の色を滲ませながら。
何が彼女にそんな表情をさせるのだろう。彼が見つからないことよりも不安なことなんて、この世界には無いはずだけれど。それとも、彼女も突如として彼が消えてしまったことに恐怖を抱いているのだろうか。
きっとそうだ。彼を探すために、彼女もこんな日の出もまだな時間に城内を歩いているのだろう。
「大丈夫ですよ、エステリーゼ様。彼は必ず私が見つけます。ですから、今はまだお休みください」
「え、」
よく見れば彼女の肌は健全ではない白さで光っていて、つまり蒼褪めていて、疲れているのが目に見える。それに、目元にはうっすらと隈が浮かんでいた。
痛々しいお姿に手を差し出せば、その手はやんわりと除けられ逆に頬を包まれた。
細い指先はあたたかい血の通っている人間のそれで、彼のものとの温度差に、ああ彼は寒がりだったっけと場違いなことを考えた。
「フレン」
もう一度、桜の花弁のような唇が硬質な声音で僕の名前を呼んで、いつもとどこか様子が違うことに首を傾げた。
否、前からこうだった。
この緊張したような面持ちも憐れむような声も、以前から知っているような気がする。つい最近も、この声で呼ばれたような。
否、そんなことは無い。
これは所謂デジャヴなのだと、妙な既視感に理由をつけてみた。それでも釈然としないのは、何故だか知らないけれど。
「エステリーゼ様…?」
「フレン、私は……私も、一緒に行っても?」
何かを言いかけて、躊躇って、取り繕ったような(実際そうなのだろう)言葉。それに勿論と応えれば頬は解放されて、代わりに右手が彼女のものになった。握る力が強めなのは、不安故か。
動きにくいドレスを纏う彼女の歩幅に合わせて、ゆっくり歩く。本当は今すぐ腕を振りほどいて、あるいは引っ張って、全速力で彼のもとへ行きたいのだけれど、そうもいかない。相手はこの帝国で2つ目の玉座に座る方だし、半ばしがみつくような力はお姫様とは思えないほど固いし、そんなことをしては彼もきっと怒るだろうし。
だからゆっくりゆっくり、例え彼のいる所に近づくごとにその歩調が緩んできていても、何度も立ち止りながらでも、彼女に合わせた。
やがて、開ける視界。
そこに広がる光景に、息が詰まった。
違う。僕が来たかったのは、こんな場所じゃない。こんな寂しい所に彼はいない。もっと静かで冷たくて包み込むような。
「フレン」
こんな、墓地なんかじゃない。
「明日も、来るんですか」
また、ここへ。
その一言に頭をガツンと殴られたような衝撃、目の前で火花が散る、散る、散る、視界が反転する。ぐるぐる。
慌てて視線をそらした先、城の廊下はひどく広い、隣に人がいるのに、広い、長い、遠い。いつからそんな風に思うようになったの、僕は。いつから、ひとりに。
さくさく土を踏む音がして、それは彼女がある墓標へ進む音で、音が止んで、風が吹いた。
彼女の手から紅いキルタンサスの花がそれに乗って飛んで、彼の初恋の人の墓標に落ちて。彼が見えない手で花を供えたように見えた。
「…優しいんですね、レイヴン」
でもそれは貴方に持ってきたのに。
口を尖らせて彼と言葉を交わす桃色に眩暈がして、供え物をつつく意地汚い鴉を最後に僕の意識はブラックアウトした。
目が覚めてみると。
強く抱きしめていたはずの愛しい人がいなくて、その異常事態にひどく狼狽した。
布団を蹴飛ばして起き上がってみると、小さな仮眠の為だけの一室は小綺麗に整えられていて、昨夜のあまやかな雰囲気などかけらも見当たらない。ベッドから押し出されてそのままだったタオルケットも、脱いだままだった上着も、全て姿を消していた。
唯一、部屋を出る前に飲んだのであろう水がコップに半分ほど残っていて、それが彼が本当にこの部屋に一瞬でもいたのだと証明していた。
少しだけ、安心する。
ベッドヘッドに引っ掛かっていたシャツを羽織って、鎧は着ないまま軽装で扉を開ける。仮にも騎士団長がそれで良いのかと頭のどこかで誰かが声をかけてきたが、今はそれどころじゃないと聞き流した。
廊下には、彼女が神妙な面持ちで立っていた。
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え、意味不明←
おっさんの死を受け入れられなくてループするフレンだったはず←←←