なぜ両目が在るのかと言うとそれは多分相手を見るためで、なぜ両手が在るのかと言うとそれは多分相手に触れるためだと思う。
ならば両目も両手も自由を封じられているこの男は、何の目的を持ってその碧眼や指先を手放さないでいるのだろうか。
それは多分、まだ見たいものや触れたいものが在るからだ。
「あれ、誰かいるー?」
男の身体は痛め付けられてぼろぼろなのに、呼吸は整わず苦し気なのに、その口から零れたのはえらく間抜けた声だった。
その問いには応えず、デュークは男を見つめる。相手に透視能力でも無ければ、自分が誰なのか判らないよう。
黙っていれば男はしばらく声をかけ続けていたが、こちらに言葉を返す気が無いと気付くとそれもやめた。
代わりに、自嘲気味に口許を歪めて。
「もー困っちゃうわよね、血の気が多いんだから」
男が指しているのは、辺りに散らばっている重そうで立派な赤い鎧を纏った騎士たち。それらの胸は既に動いていなくて、恐らくは死んでいるのだろう。
彼らこそが、目の前の男を縛りあげ力に任せて痛め付けた張本人。
「まあね、俺も自分が無実だとは思ってないし、然るべき罰は受けなきゃいけないと思ってたし」
だから大人しく捕まってやったのか。なんと言うか、どうしようもない奴である。
「でも、俺を殴ったところでアレクセイが戻ってくる訳じゃない。それくらい解ってると思ってたんだけどなぁ」
親衛隊は、案外頭の弱い集団だったようだ。実力はあれど、自分で思考することを忘れてしまっている。だが騎士団ナンバー2の顔をもつ男はそんなことを嘆いている訳ではなくて、かと言って馬鹿にしている訳でもない。何も考えてなどいない。
この男は、いつからこんな風に笑うようになったのだったか。確か、鴉として仲間を作り、旅していた頃はこんなくたびれた笑い方はしていなかったように思う。その更に前、白鳥が生きていた頃は、死んだような目をしていたが。
今の男はまるで、その目に戻ってしまったようだ。本当のところは布で隠されていて判断出来ないけれど。
「───…貴様は、」
「俺をアレクセイの何だと思ってんのか知らないけど、憂さ晴らしなら他でしろっての。俺ももうそんなに若くないし? だいたいお前らがアレクセイの何なのさ。親衛隊か? ああ、親衛隊だったな、本当なら皇帝の」
皮肉るようなこのしゃべり方を、自分は知らない。こんなのは、初めて聞いた。
拗ねた子供みたいだ、酷く虐められて拗ねたへそ曲がりの子供。最早目の前にいるのが誰であろうと関係ないらしい。
疲れているのか? と問うと、ああ疲れているよ、と笑う。
辛くないのか? と問うと、別に慣れているから、と嗤う。
死にたいのか? と問うと、どうだろうわかんないや、と。
「もうね、飽き飽きしてるのは確かだよ。だけど、生きていたいのも確かだ」
男がそうやって少し悲しげに呟くものだから、妙に胸がざわついた。
両目を覆う埃っぽい布を外し、両手を繋ぐ安っぽい手錠を壊す。
すると男は私の名を呼んで、何度も何度も呼んで噛みしめて、わかんない、と呟いた。
「俺は、生きていたいの?」
そんなの訊かれても困る。
人は他人の心を読めたりはしないから。
それでも、両目が在るのは何かを見るためで、両手が在るのは何かに触れるためで、この男が未だに碧眼と細い指先を手放せないでいるのは、何か見つめて掴みたいものが在るからだろう。
「生物は、最後まで生きるべきだ」
曖昧に応えてやると、じゃあ俺はいきたいんだね、と男は笑った。
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精神的に疲れてるおっさん。とか。
それ見て悲しくなるデュークとか。
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