泣く子が笑う

積み上がった書類を捌き終え、詰めていた息を吐き出し家路につく。祝日だというのに休む暇も無いと痛むこめかみを揉んで自室の鍵を開ける。


「ただいま」


普段通り帰宅の知らせを口にする。しかしいつもなら直ぐ返る筈の応えが無い。戸口に後輩の靴は有るからいはするのだろう。また疲れて眠っているのかと考えながらリビングへ入る。しかし、定位置のソファに予想していた姿は無かった。隣接するキッチンからも物音はしない。
が、人の気配はする。こちら向きに据えられたソファの裏。隠れるにはお粗末過ぎるその場所に誰か。

後輩が悪戯で潜んでいるのかと考えたが、近くのテーブルに広げられたやり掛けの課題を見て頭を振る。あの真面目な後輩がその場を散らかしたまま放置して遊びに走る訳が無い。何かあったのか。

荷物を置き、ソファへ歩み寄る。見えない所で動揺する気配を感じながら、裏へ回り逃げようとする影を捕まえ問い質そうとして、目を見開いた。


「…………っ!!」

「……誰だ?」


掴んだ腕は細く、強く引いた体は一瞬浮くほど軽い。驚きに目を見張りながら見下ろした先には小さな子供。いったいどうやって入ってきたのか。

我に返り身を捩る子供を抑え、何者なのか、侵入経路は、と問う。しかし首を振って逃げようとするばかりで埒が空かない。逃がす訳には当然いかなのだが不審者というにはどう見ても幼過ぎる上、こちらを見る表情はどうにも怯えていて悪者にでもなった気分だ。しかし泣かれると困ると思っても子供の対応等分からない。
途方に暮れ肩を落とし溜め息を吐く。こういった事が得意そうな人物は、と考え思い浮かんだ顔にもう一つ溜め息を吐いた。


「いったい吉里はどこに……」

「は、い」

「……は?」


黙りだった子供が返事をした。何に?
嫌な予感を覚えながら膝をつき子供と視線を合わせる。震えた体からゆっくり手を離して見詰めれば、何度か視線をさ迷わせた後恐る恐るといった様子で見返してきた。その容姿や仕草は、よく知っている人物に確かに似ている。
逃げずに大人しく留まる子供を正面に、こちらが逃げたくなりながらも問い掛けた。


「お前、名前は?」

「…………」

「言えないか?」

「……知らないひとにゆうとでけんって、」
(「……知らない人に言っちゃダメって、」)


それもそうだな、と眉間を押さえながら返し、出そうな嘆息を飲み込む。辿々しくも聞けた子供のこの口調は。
顔を上げ、覚悟を決めて口を開いた。


「俺は緒方だ。あー……この部屋の持ち主だ」

「……おがたにーちゃん?」

「あぁ。それで、お前は?」

「……よしざとゆーま、です」


漸く聞けた名前に、とうとう額を押さえて項垂れた。知っているより幼いが見覚えのある顔立ち。訛りの有る口調。そして、名前。信じたくはないがこの子供は今しがた助けを求めようとした後輩その本人であるらしい。何だこれは。夢か?

疲労が見せた幻だと思いたいが現実小さな後輩は目の前にいて。書類を前にした時よりも強い頭痛と目眩を感じながら後輩に座るよう促す。未だ戸惑いを浮かべる後輩の前にしゃがんで問いを口にした。


「……吉里はどうしてここにいたんだ?」

「わからん、です。起きたらそこ寝とって。……ここどこ?」
(「わかんない、です。起きたらそこに寝てて。……ここどこ?」)

「ここは……山の中に在る学校の寮だ」

「……よくわからん」
(「……よくわかんない」)


「……そうだな」


言葉を噛み砕いて場所の説明と体調の良し悪しを訊ねる。そうしてこうなった経緯を引き出そうとしたがそんな状態では原因も分からない。困り果てて溜め息を吐くと目の前の小さな手が強く握り締められた。


「ごめんなさい……」

「いや、謝る事は……」

「……ぼく、かえりた、……っ。……おとーさん、おかーさん……っ」


不安が滲み出したのか、軽い恐慌状態に陥り出した後輩に慌てる。みるみる瞳に涙を溜めしゃくり上げる姿に思わず抱き上げた。


「悪かった。何とかする。大丈夫だから、泣かないでくれ」

「……、……ん。泣かん、よ。にーちゃんだけん」
(「……、……ん。泣かない、よ。にーちゃんだもん」)


不安がる子供に泣くなと言うのは酷だと分かっているが、泣き止ませようと必死だった。跳ねた背中を撫でどうにか優しい声を出す。そうすると鼻を水っぽく鳴らし言いながら目を擦った後輩が顔を上げた。


「妹おるし。ちよちゃん女の子だけん守らなんて。いっちゃんにーちゃんだけん、しっかりせにゃんと」
(「妹いるし、ちよちゃん女の子だから守らなきゃだって。一番にーちゃんだから、しっかりしないといけないの」)


「……偉いな」

「うん。おにーちゃんだけん、泣いたりせんよ」
(「うん。おにーちゃんだから、泣いたりしないよ」)


何度も頷きながら気丈にも泣くのを我慢する後輩を抱えて見詰める。目を赤くし、歯を食い縛って強がる小さな後輩。泣くなと言ったのは自分だが、その姿は痛々しく感じられた。


「……やっぱり泣いていいよ」

「泣かんよ。だって、」
(「泣かないよ。だって、」)

「俺の方がもっとお兄ちゃんだから、俺には甘えてもいいよ」

「……よかと?」
(「……いいの?」)

「ああ」


熱を持った目元を撫で微笑めば後輩は気の抜けた顔で首を傾げる。背中をゆったりと叩きながら返事を待つと、後輩は眉を下げ、嬉しそうに笑った。


「にーちゃん良か人ね」
(「にーちゃん良い人だね」)

「そうか?」

「うん。ありがとう……」


疲れたのだろう。抱き付くようこちらに凭れ掛かった後輩が徐々に脱力していく。常より小さく壊れやすそうな体の子供は、しかし、やはりいつも触れ合う後輩と同じなのだと再確認する。
微かに寝息が聞こえてきて、移動する為一度ソファに下ろし、抱え直そうと力を込めた瞬間、軽い破裂音が響いた。


「……え。な、何……えっ?」

「…………」


衝撃に閉じていた目を開けば、腕の中には元の大きさに戻った後輩が。目覚めて直ぐの状態に戸惑い辺りを見回し俺を見返す姿は見慣れたもので。安堵に胸を撫で下ろせば疑問符を浮かべながら何事かを問われた。
しかしありのままを伝えたところで信じはしまいと適当に誤魔化す。後輩が子供の姿になっていた等と。過ぎてしまえば白昼夢でも見ていたのではと自分でも思う。

後輩は納得いかなそうな顔で勉強道具を片付け始めた。それを見ながらソファに凭れネクタイを解く。そうして、ふとその背中に呼び掛けた。


「どうしました?」

「お前はもっと、俺に甘えていいぞ」

「もう十分甘やかされてますよ」


不思議そうに首を傾げた後。眉を下げ、後輩が笑う。嬉しそうに。その顔がさっきの子供とだぶる。
また作業に戻った後キッチンへ駆けていく後輩に涙の影などある訳が無い。そもそも今の彼に泣く理由もない。しかし泣いても良いのに、とただ漠然と思った。





泣く子が笑う




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