15'バレンタイン

春とは名ばかりに底冷えするある日の夜。普段の通り食事を終え寛いでいた時分に、後輩がいつになく落ち着かない様子で鞄とテーブルを交互に見ている事に気付いた。いや、今だけではない。ここ数日気が漫ろな様子でいたな、と思い返しながら声を掛けた。


「どうした。何かあったのか?」

「へあっ!あ、や、あのっ、何も……っ」

「昨日も聞いた気がするが……。何か気になる事があるなら話してくれないか?」

「あ、ははは……。本当に、そんな大した事じゃなくて。えー……と。その。…………これ」


後輩は問いに一度体を震わせ、気不味そうに笑った後鞄へ手を伸ばす。そうして目を泳がせながら差し出されたのは、小さな四角い包装箱。何事かと瞬き後輩を見れば困り顔で他所を見たまま口を開いた。


「バレンタインなんで……。友達と、作って。折角だけん先輩に、と……」


あぁ、そう言えば今日は十四日か。
バレンタインという言葉に今日の日付を思い出し、遅れて理解した言葉の意味に体が固まる。その反応をどう思ったのか不安に陰った表情に慌てて動揺を押し隠し、テーブルの上に浮く掌から箱を受け取った。


「ありが、とう」

「……っ、ありがとうございます」

「……お前が礼を言ってどうする」


礼に礼を返され、思わず吹き出せば照れたように眉を下げられる。何と無くです、と言いながら後輩は早口に話し出した。


「ぱっと渡してしまえば良かったとですけど、なんか気恥ずかしくて。変に思わせてしもてすみません」

「いや、それは構わないが……」

「あ、えっと、味。味は、味見ちゃんとしたけん大丈夫と思いますっ」

「その心配はしてないよ」


頭を下げたり拳を握って主張したり。忙しなく動く後輩と会話しながら手の中の箱を見る。手作り、と言ったか。
考えるだに面映ゆく。胸の中が暖かくなるような、頭が浮かれそうな。落ち着かない気持ちになり口が緩みそうになる。それを表に出さぬよう表情を取り繕い、そして自分の気を切り替える為話を振った。


「俺も何か用意しておけば良かったな」

「え、いえっ。そんな。俺がやりたくてやった事なんで、気にせんでください」

「まぁ来月でも良いだろうが……何か欲しいものはあるか?」

「や、本当に、来月も良いのでっ」


首を横に振りつつ両手も振っての拒否に眉を寄せる。そう、あまりに遠慮されてはこちらもつい意地になると空いた掌を向けて答えを促した。


「それじゃあ俺の気が済まない。何でも良いから言ってごらん」

「…………。その、じゃ、今、ちょっとお願い事しても、良かですか?」

「あぁ、勿論。用意できる物ならな」


視線をさ迷わせながら頷く後輩に、彼が欲しがるような何かがこの部屋にあっただろうかと考える。軽く見回しても物の少ない自室では最低限の調度品しか見当たらない。そのような物を欲しがるとは思えず後輩を見返せば、緊張の面持ちで口を開いた。


「あの、じゃあ……その。っ、……だっ、抱き付いて、良か……です、か?」

「………………」


つっかえながら下から窺うよう見上げられ一瞬言葉をなくす。その僅かな沈黙の間に首を振った後輩が焦った声を上げた。


「すみませんっ。いかんならっ、」

「っいや。いけなくはないが……それで良いのか?」

「えぁ、は、はいっ」


反射で否定した事を後悔するが力強く何度も頷かれてはどうしようもない。そもそもこの後輩相手では、どんな頼みにも断りの言葉を吐ける気がしなかったが。あぁしかしその望みは。
迷いに迷い、渇いた喉に唾を飲み下し気を落ち着かせる。そうしてテーブルへ箱を静かに置き、両手を広げてみせた。


「……どうぞ」

「っでは……」


立ち上がれば、テーブルを回って俺の前に立った後輩がゆっくりと身を寄せてくる。腕の中に収まる自分より一回り小さな体。背中に腕を回される感触にこちらも控え目に抱き返すと腕の中の強張りが解けた。

一時はほぼ毎日のようにしていたじゃれ合いの一つだった。しかし、最後にしたのはいつだったか。
久方振り近くに感じる体温が覚悟していた以上に心地好く。やや硬くも柔らかい抱き心地に胸が締め付けられる。心音が早まる中、ずっとこうしていたいという欲求が首をもたげるがそんな事はできないと押さえ込んで溜め息。余計な事は考えるな。ただ後輩の頼みを叶える為だけの行動だ。そう自分の思考を戒めていると、腕の中の後輩が身動ぎをして小さく話し掛けてきた。


「ありがとうございます。たいぎゃ、まうごつ、嬉しかです」

「……そうか」


腕に収まったまま少しはしゃいだ声で礼を言う後輩に返す声は我ながら少し固い響きに聞こえた。無邪気さに後ろめたさが増す。喜んでもらえたのは良いがこちらとしては逆に貰いっぱなしな気分で気不味くも感じてしまって。しかし興奮気味の後輩は気付いていないようで、楽しげに話を続けた。


「こぎゃんしてもらっちゃって。ホワイトデーはどぎゃんしましょうかね」

「……いや、結局物は何もあげていないのだから気にするな」

「いいえ。すっごく嬉しかったけんちゃんと返さんと」


三倍返しか、と呟き唸る後輩に苦笑が漏れる。これの三倍等、何を寄越されるのか。
笑う俺に不思議そうな顔をする後輩へ、言い含めるよう話し掛けた。


「本当に良いよ。寧ろ俺は貰い過ぎている。……俺もこうできて嬉しい、からな」

「……そぎゃんですか」


数度瞬いた後。花のように顔を綻ばせ頬を染めてはにかむ後輩を見ていられず、頭を押さえ肩に押し付ける。乱暴な扱いにもそれでも嬉しそうに頬を擦り寄せ笑うのだから堪らない。合わせた胸の音はどちらも早く。気を抑えようとすれば抱擁が知らず強まり、苦しいと忍び笑う声。
体温にも振動にも。香りにも感触にも。痺れに似た心地に頭がくらり揺れる。あぁ、苦しいな。と、頭の中で答えを返し、程近い耳元へ口を寄せた。


「う、ん?先輩?」

「……何でもないよ」


触れるか触れないか、掠める感触を得た唇を押さえそう嘯く。そうして謝罪を唇だけし、様子が可笑しいと心配した後輩が顔を覗き込もうとするのを遮ってまた強く抱き込んだ。いったい自分は何をしているのか。邪念は捨てるんじゃなかったのか。
非難で荒れる脳内に後輩の気遣わしげな声が届き、慌てて取り繕う様話を戻した。


「兎に角。これでは不公平だから、返すのはやはり来月にきちんとする」

「……じゃあ三倍返し、楽しみにしときますね」


三倍とは。本当に全くどうしてやれば良いのか。
悪戯っぽい返しに唸ると小さな笑い声が肩に吹き掛けられる。甘えて凭れ掛かる後輩はまだ離れる様子は無く。だから仕方無いのだと誰にともなく言い訳して、今はただ腕の中の甘い温もりを感じていようと目を閉じた。



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