text1 | ナノ
自慢するわけじゃないが、俺と遊星の仲はすこぶるいい。
幼馴染として育ったからだというのもあるが、実際のところは単純に相性が良かったんだろう。
俺が遊星に対して不満を抱くことと言ったら、自分の体に対して思った以上に無頓着なところくらいだろうか。
あいつは人のこととなると世話を焼き、体調を気遣う気遣い魔になるくせして、自分のこととなると三食はカップラーメンで済ますどころかたまに朝から夜まで何も食べない日もある。夜はパソコンに向かったまま三時までは絶対に起きている上に朝だけはやたら健康的で、毎日七時には目を覚ます。
そんな彼に俺はいつも早く寝ろ、飯は食えと再三再四注意しているのだが残念ながらそれが功を奏したことはいまだかつてない。
お前が心配なんだよ、そう告げてジト目で睨んでやっても効果はなし。それどころか、まるで子供をあやすようにわずかに苦笑をにじませながら頭をぽんぽんと撫でるものだから、俺からしてみればたまったものではない。

だが、そんな遊星の不摂生を除けば、俺はあいつに何の文句もないのだ。
そう、俺は。

「……はあぁ」

結局思考は回りまわってまたも目下の悩みまで辿りつき、誰もいない家で一人机に突っ伏すと、クロウは人知れず盛大な溜息をこぼした。
うっ、俺なんかアイツに怒らせるようなことしちまったかな…。
今までにない展開にクロウは半泣きになりながらも心の内でちくしょー!と叫ぶ。
せっかく、せっかくだ。
せっかく明日は忙しい仕事を別の日に振り当てることで時間をひねり出し、いつもパソコンに向かってばかりの遊星を誘って変わったこの街をぶらつこうと約束を取り付けていたというのに。うまく誘えるか数日前から悩み続け、なんとかどもらずにひねり出した言葉に遊星があっさりと頷いてくれた時には、思わずその場でガッツポーズをしそうになるくらいには浮かれていたものだ。
しかし、こうなってしまってはもはや溜息以外に出るものはない。いや、涙ならいくらでも出るかも。

「はぁ…遊星、何で最近俺と口きいてくんねーんだよ…」

じわり、漏れ出す声にはうっすら水分が含まれていたようにも思える。言葉にしてしまうとかっこ悪くその場で涙をにじませてしまいそうで、はぁっと大きな溜息でその感傷を押し流した。
視線をガレージの方へやる。隅で鎮座しているブラックバードは、いつも丹精に磨くために輝いて見えるはずが、今日ばかりは鈍く霞んでいるように見えた。

「…仕事行かねーとな、仕事」

時間を確認し、配達を始めようと自分を奮い立たせて立ち上がる。仕事は自分の不調に遠慮してはくれない。
日曜日のためだといそいそ仕事を他の日へずらした自分を今日ばかりは憎く思った。


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「修理はこれだけ、ですか」
「ええ、ありがとう。私も主人も機械のことは本当に分からないから助かりました」
「いえ」

女性の返答にふうと軽く息を吐く。別段故障自体もそれ程直し難いものではなく、むしろ自分にとっては慣れない敬語を使うことの方が難しいと遊星はひとりごちた。
−−これで、今日の仕事は終わりか。
それ自体は喜ばしいことのはずなのに、どうしてか素直に喜ぶ気になれなくて、遊星はお茶への誘いを断って修理費だけを受け取ってから外へ出た。

「…俺らしくないな」

見上げる空は雲に覆われ、自分の心の中を表しているように見えてため息をつく。いつもの星は影を潜め、輝く様子を見せない。
ポッポタイムへと帰る道のりが、ひたすら長く険しく思えた。
早く帰らないといけない、そう思うのに、遊星の足はいつの間にか家とは反対方向へと向かっていた。

――早く帰らないと、クロウに迷惑をかけてしまう。

そこまで考えて、遊星の歩みはピタリと止まった。
クロウ。

正直に言ってしまえば、今、彼の顔を見るのが怖い。クロウはもう仕事を終えているだろうか。目を合わせずに自室にこもる俺を、彼は一体どんな目で見ているのだろうか。

「……」

どうして、こうまで自分はクロウを避けているのだろう。最後に会話らしい会話をしたのはいつだったか。思い出そうとしても、脳裏に浮かぶのはクロウの寂しげな顔。少なくとも、簡単には思い出せないくらい喋っていないのは確かだった。
こんなにも近くにいるのに。

遊星は止めていた足を動かし、自分のDホイールへと跨る。行き先は、既に家ではなくなっていた。
星の見える場所へ行こう。
月も星も、明かりの多いこの場所では見えそうもなかった。


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Dホイールを走らせ、ようやくエンジンを止めてヘルメットを外す。頬に触れる外気が心地いい。
そのまま空を見上げると、雲は少ないのにちょうど月は隠れて見えなかった。

「……ふう」

改めて周りを見回す。ここは、かつてジャックや遊星、そしてクロウが一緒になってガラクタを見て回ったサテライトの中心部だった。サテライトとシティの統一が進み、随分と近代化したサテライトだがここまではまだ手が回っていないようで、その風景はかつてのそれと同じものだった。

風に近くの木の葉が揺れる。
ふわりと漂ってきた香りに、遊星はゆるりと視線を巡らせる。

目に飛び込んできたのは、緑の合間にやわく輝く、オレンジ色。

『…金木犀』

ふと、脳裏に自分の声が響く。
ああ、そうだ。
これは、少し前、ちょうど今日のような穏やかな日。たまたま早めに帰ってきたクロウに、今度一緒に出掛けようと誘われた日の夜のこと。

『キンモクセイ?』
『ああ。マーサの家の近くに生えていた』
『家の近く…』

クロウがうーんと記憶を辿るように首を捻る。金木犀。そう、それはマーサに教えてもらったのだ。とてもいい香りのする、オレンジ色の小さな花をつけた当時の自分よりもちょっと大きな木。

『ああ、もしかしてあの木のことか?秋だったか、ちっせえ花咲かせてるヤツ』
『クロウに似ている』
『はあ?』

突然の遊星の言葉に、ついていけないというように目を見開くクロウ。だが、遊星は気にせずにああ、とだけ返事を返すと、そのあとに言葉を続けることなく空を見上げた。星の瞬く夜空。月は、ちょうど満月の一歩手前だった。

『…それって、身長の話してんじゃねーだろうな』

なんて、少し不貞腐れたような声に隣を見やれば、心持ち目線を下げたところで不満げなクロウと目が合う。
そこまで身長は低くないだろう、と返せば、どーだかなとまだ納得していない声でクロウは遊星にならい空を見上げた。

もちろん、遊星はクロウの身長を揶揄して金木犀に例えたわけではない。しかし、元々口下手なせいか満足のいく弁解も思い浮かばず、ただクロウの視線の先を追うにとどめた。

ぽつり、落ちる沈黙。辺りには虫の涼やかな声だけが響く。

『遊星は』

やがて、こちらを見ることはせずにクロウが小さく呟く。

『木星なんかより強く明るく輝き続ける、月だ』

そう、独り言のように零した彼の横顔は何かを堪えるようで。
そうしてふわりと微笑み、俺は先に寝ると告げたクロウの悲しげな顔が頭から離れず、遊星はそこから動くことすらできなかった。

「……クロウ」

木星は、空のどこにあるのだろう。クロウは、どうしてあんな顔をしたのだろう。
見上げた夜空は何も教えてくれない。

そう、その夜からだ。
自分がクロウを避けるようになったのは。
クロウを見るとどうしてもあの横顔が、あの笑顔が思い浮かんで、息が苦しくなるから。
しかし、そうして得られたのは、クロウのあの笑顔と同じくらい悲しげな顔だけだった。

「俺は…何をしているんだろうな」

本当に、何をしているんだろう。
何がしたいのだろう。
そっと金木犀の花に触れる。相も変わらず花はかぐわしい香りを振りまき、小ぶりな花は遊星のグローブの先にちょこんと乗ったままそのオレンジ色を揺らした。
さらり、風に揺られて髪が遊星の頬を撫でる。

クロウは今頃どうしているだろう。
仕事から帰り、自分がいないことに気が付いてまた顔を曇らせているのだろうか。
あの、何かを堪えるような顔で。

「……」

脳裏に浮かぶ幼馴染の笑顔に、どこか痛む胸が遊星の足を後押しする。動け、動け。
どうしてクロウのことを思うとこんなにも息が苦しいのか。
どうして自分は彼を避けようとしていたのか。
どうして彼はあんな顔をしたのか。
もう少しでその答えに届く気がして、たまらず遊星は止めてあったDホイールへと向かう。
後ろで木の葉を揺らす金木犀が、意地っ張りだと苦笑した気がした。


金木犀の花言葉は、『初恋』。
遊星がその意味に気付くのは、もう少し後の話。

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