『あー…その。大したことじゃないので』 『ちょっと行く場所が』
そう、少しばつが悪そうに−−それでも諦めたかのように答えた彼女の声は、本当にそれを特別どうとも思っていないかのようなものだった。 話に上らせるほどのことでもないのに、人に聞かせるほどのことじゃないのに。そうとでも言いたげな、平坦な口調だった。
なぜ彼女を連れて帰ってきたのか。 そう問われたとしたら、おそらく遊星は『行く当てがなさそうだったから』と答えていただろう。 我ながら簡潔すぎる、と遊星は思う。 それならサテライトにはそれこそ行き場をなくした人間なんて掃いて捨てるほどいる。そして、彼らを全部かくまうかと言われれば答えは分かりきったことである。 本来、自分はそこまで面倒見のいい方ではないのだ。
それならば、自分はなぜ彼女を拾ったのだろうか。 サテライトの人たちとシェイドの違うところを挙げるとするならば、それはダークシグナーの操り人形として傷ついたということくらいだ。 闇のデュエルに、ダークシンクロ。 遊星が思わず性別を誤認してしまうほどの迫力をもって遊星を追い詰めたあの晩のシェイドの姿は、操られていたのだと知った今となっては心が痛むものがある。 だが、ならばそれが理由かと問われれば、どうもそれも答えではないような気がした。
「…ただいま」
現在の住処である雑賀の隠れ家に足を踏み入れながら、普段あまり言い慣れない挨拶を家の中へと投げると、予想していたような返事は返ってこなかった。 声が届かなかっただろうか。もしくは、聞こえていても口も聞きたくないとか。 もし後者ならば遊星はしばらくショックで陰鬱とした気分を味わうことになるだろうが、さすがにそれはないと信じてさらに足を踏み出す。
「…シェイド?いないのか」
もしかして、自分のいない間に出ていってしまったのだろうか。あの様子ではしかねない、と少しだけ焦りながら部屋の中を見回して、遊星の視線は部屋に置かれたソファで止まった。思わずふっと安堵の息を吐く。 ソファの背もたれに顔を埋めたまま、ゆっくりと上下する肩を見れば、彼女が睡眠をとっているのは簡単に理解できた。昨日のどこか気を張っていた彼女の姿からすれば、それは非常に喜ばしいことである。多少は落ち着けたのだろうか。 時間は昼前、近くにたたんであった薄手の毛布をゆっくりと肩にかけると、先に昼食を作ってしまうかと遊星は音を立てないようにキッチンへと移動する。 残っていた材料を確認してメニューを決めようとしたところで、遊星はしまったという表情で考え込んだ。 朝食は簡単なサンドイッチだったから特に悩むこともなかったが、彼女の好物はなんなのだろうか。なんにせよ今の食材では凝ったものは作れないとは言え、せっかくなら家を出る前に聞いておけば良かった。これで作った昼食が嫌いなものだったら目も当てられない。 いっそ、起こしてしまうか。とは思うものの、せっかくああやって休めているのならなるべくは邪魔をしたくないというのが遊星の本音だ。まあ、多少なら目を瞑ってくれるだろうと諦めて食材を手に取り、準備を進める。 起きて、一緒に昼食を食べる時にでも聞いてみよう。どんなものが好きでどんな人間なのか、昨日はあまりにバタバタしてしっかりと話をすることもできなかった。 今日は幸い用事と言ったら服を買いに行くくらいのものだし、時間ならいくらでもとれるはずだ。そう考えて、遊星は昼食の準備を進める。 トントン、トントンと軽快に跳ねる包丁の音と料理の香りに、シェイドが目を覚ますまでそう時間はかからなかった。
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「え。好きなもの?」 「ああ。お互いに、まだ何も知らないからな」
唐突に発された遊星の言葉に、私は昼食として出された炒飯を食べ進めるのをやめて問い返す。無言の食卓を覚悟していた私は、その問いにやや拍子抜けしながらも脳内で答えを探しはじめた。ふむ。好きなものか。 遊星は返事を待つように手を止めると、いつもの無表情でこちらを見つめている。私はというと寝る前のあの陰鬱とした気分はどこへやら、一眠りしたのが功を奏したのかはたまた炒飯の美味しさに気が緩んだのか、遊星に対して昨日ほどの壁を感じることはなくなっていた。 まあ、申し訳なさやある程度の壁はまだ残っているとはいえ。
「好きなもの…食べ物?食べ物なら炒飯とか…シチューとか…ハンバーグ」 「じゃあ明日はハンバーグにしよう」
などと、簡単に決めてしまうから少し焦って別に気にしなくても、と言葉を重ねると「俺も好きだから食べたい」と返された。気を遣わせないように言葉を選ぶのがうまいなぁ、などと聞きようによっては失礼なことを考えながら頷く。実際、作ってもらったサンドイッチも炒飯も美味しくて、遊星の作るハンバーグという言葉に釣られたことは否定できない。
「というか、ええと…遊星さん、料理うまいんですね」 「呼び捨てでいい。まあ、小さい頃から作らされていたからな」 「え。お母さんに?」 「いや、俺は孤児だったから孤児院での育ての親だ」
孤児院、という言葉に私は少しだけ驚いて遊星の顔を見る。その顔からは特にそのことを気にしているようには見えず、謝るべきか逡巡していると先に「気にするな」と言われてしまった。
「料理は全員でローテーションしていたからな。多少ならできる」 「へえ…朝ご飯もこの炒飯もおいしいです」 「シェイドは料理をしないのか?」
遊星からそう話を振られて、はたと私の動きは止まる。料理。 言われてみれば私はあまり料理をしない。やれと言われればある程度はできるだろうが、それでも見栄えのいいものに仕上がるかと言われると話は別だ。あまり料理をする機会がなかったこともあり、得意か否かと言えば確実に後者である。
「あんまり…得意じゃないかな…」 「そうか」
そう曖昧に伝えると、遊星は分かったのか分かっていないのかわからない顔で頷いた。女子としては料理の一つや二つできるに越したことはないのだろうが、何とも面倒くさい。料理に関して勉強する時間があればその分を睡眠に回したいと思うくらいにはものぐさで、後回しにしてきたまま今に至る。
「まあでも、じゃあ明日のハンバーグは楽しみにしてます」 「ああ、任せてくれ」
何か手伝えることがあれば、そう言うと遊星はありがとうと言いながら止まっていた手を進める。こうしてずっと食事まで作らせるわけにもいかないし、これから少しはちゃんと料理もこなそうか。といっても、今の自分の料理スキルでは逆に迷惑をかけてしまう気もするが。
「そういえば、お前もデュエルをするんだな」
遊星は言いながら私のカードホルダーを見る。中には、私が普段使うデッキが収められていた。遊星の言葉に私は炒飯を食べつつ鷹揚に頷く。するのか、と問われれば確かにする。が、実際はまだ始めてからそう対した時間が経っているわけでもなく、デュエルはするより見ている方が楽しい部類の人間で、つまりは若葉マークもいいところだ。 ごちそうさまでした、と言いながら先に食べ終わっていた遊星の食器も重ねると、ありがとうと言う遊星が「少し落ち着いて服を買ったら俺とデュエルしないか」と切り出した。 うーん、そうなるよな。 遊星がどんなデッキを使うのか見てみたい気持ちと、どこまで強いのかと少し恐れる気持ちの間で揺れながらも私は遊星の申し出を受け入れる。なんだかんだでデュエルは好きなのだ。それに、もしここで生活を続けるなら彼との付き合いも考えなければならない。無表情で今いち感情を掴みにくい彼だが、まさか感情のない人間というわけでもないのだろう。拾ってもらったということにそれなりに思うところはあるとは言え、せっかく向こうから近づいてきてくれたなら、それに甘えてしまおう。
「シェイドがどんなデッキを使うのか、楽しみだ」
そう言って微笑む遊星の顔はどことなく年相応なものに見えて、私もつられて笑顔をこぼす。せめて、少しは健闘できるといいなあ。ちらり、とカードホルダーの中を見て、自分のエースモンスターにエールを送ると食器を洗うために立ち上がる。
持ち上げた食器は、今朝よりも少しだけ心地よい音を奏でた。
一時休戦 (話してみると、楽しい)
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