問題はそこではなく (1/5) −−−それは唐突な運命の邂逅だった。
帝光中学。名だたるバスケットボールの名門校。全国のバスケットボール部に所属する者なら知らない者はいないとまで謳われる、無敗を誇る最強校。最強校と謳われるだけあってその肩書きは伊達じゃなく−−−休日も返上で彼等は今日も部活に精を出していた。
シューズの擦れるスティール音、ボールが弾む軽快なリバウンドの音、体育館を支配するその音をふいに遮るある人物がいた。突如として現れた人物。−−−そして中断された静謐な空間に凜とした言葉が落とされる。
「…練習試合っスか?」
黄瀬が頓狂な声を上げた。黄瀬だけではなくその場にいた帝光バスケットボール部のレギュラー達も、キャプテン赤司征十郎のその言葉に皆視線を上げる。レギュラー達の視線を受けた赤司は「ああ」と短く頷き一軍レギュラー達を集合させた。
「それはいいのだが…相手はどこだ?うちに練習試合を挑んで来るなんて中々の挑戦者なのだよ」 「いや、練習試合を申し込んだのは俺の方だ」 「赤司君がですか…?」
タオルを片手に黒子と緑間が不思議そうに尋ねる。皆の思っていることを代弁した黒子の言葉に赤司は短くマネージャーの桃井に声をかける。
「桃井、あれを」 「うん」
後ろに控えていた桃井が赤司の言葉に手に抱えていたプリントをレギュラー陣に渡していく。一同が渡されたプリントになんだと目を通していく中いち早くそれを読み終えた青峰が眉根を寄せる。他のメンバー達も青峰同様プリントに羅列される文字に目を通し終えると皆不思議そうにその言葉を舌に乗せた。
「乃木中学…?聞いたことねぇな。強ぇのか?」 「いや。強くはなかった。…昔はね」 「昔は…っつーことは今はどうなんスか?」 「それは今から説明するよ。桃井、準備は出来たかい?」
過去形で紡いだその言葉の意味をどう咀嚼していいのか意味深な赤司の言葉に首を傾げる黄瀬。そして一方で何やらいそいそと準備をしていた桃井がくるりと振り返る。その桃井の手の中には小さなリモコンと一枚のディスクが握られていた。そして桃井の視線の先には小型のDVDプレイヤーが一台。赤司の指示で桃井はセッティングしたDVDプレイヤーにディスクをセットすると、静かにボタンを押した。
−−− −−−−− −−−−−−−−
「これは………」
再生が終わったプDVDプレイヤーの画面を見据えた状態で一同が唖然とする中、赤司は再び桃井の名前を呼び、手の平に握られていたリモコンを受け取ると再生が終了した画面をリプレイさせた。
「正直、今のを見てどう思った?」 「てんで話にならないのだよ。試合云々の前に基本すらなっていない」 「そう。緑間のいうとおりだ。メンタル、技術、体力…その他についても俺達になんて遠く及ばない」
不可解そうな表情のまま眼鏡のフレームを押し上げる緑間に向かい赤司は続ける。
「けれど、去年までは最弱どころか無名で大会にすら出る事がなかった学校が、突如として頭角を現しはじめた」 「!」
視線は画面に向けたまま赤司は口を開くカチリ。リプレイされる画面にはボールを必死に追いかける選手達が映っている。
「今年になる前までは今の映像を見て分かるようにこの学校の選手達のバスケのレベルは精々言って素人に毛が生えたレベルの程度のものだったのにだ」
赤司の言葉に皆、耳を傾ける。そして次の瞬間−−−映像が切り替わるや否や、メンバー達は堂目する。
「これって…」
こぼれ落ちた言葉に満足そうに口角を上げる赤司。その視線の先に映し出された映像に皆目を見張った。
そこに映される映像はなんの変哲もない至って普通の試合の様子を記録した映像。けれど、問題はそこではなかった。−−−画面に映るのは先程、緑間が相手にもならないと見下した乃木中学バスケ部の試合の様子。もちろん映る選手もついさっき緑間が見下した同じ選手達なのだが−−−先程の映像とは信じられない決定的な違いがあった。それは、コートを走り回る選手達は先程の映像の人物とは思えない程に−−−別人と言える程に格段に強くなってコートを駆ける乃木中学の選手達がいたからだ。
しばらく映像を眺めていた黄瀬が「けど、」と続ける。
「このぐらいなら強豪高にもいるレベルっスよ?別に赤司っちがわざわざ練習試合申し込む程突貫してスゲー選手がいる訳でも…」 「そうだね。黄瀬のいうとおりだ。けど、俺が注目して欲しいのはそこじゃないんだよ」 「あ?…どうゆう事だ?」 「さっき見た最弱レベルだったのが去年の11月。今見たのが今年の5月の映像。…俺の言いたい事、わかる?」 「んー…つまり、たった半年で最弱から強豪レベルになったってことー?」
紫原の言葉に満足げに頷く赤司。そんな二人とは裏腹に皆、その言葉に信じられないと言うように顔を見合わせた。
半年。長いようにも聞こえるそれは決して長い期間ではない。メニューを改造したり外部からのコーチを招いたりする事で短期間で強くなったりするチームはよくいるし、別段珍しい訳ではない。けれど、それは中堅校限定チームの話だ。何故ならば基礎が完璧とはいかずとも、ある程度が出来上がっていれば、基礎を固めつつ、個々の技術を磨く事で選手一人一人のスキルアップを狙えるからだ。
___つまり、1から目指す100と50から目指す100とでは全く違うという事なのだ。半年という時間では、1から100をいきなり目指すのはほぼ無理に等しい。精々頑張っても30止まり。山でいうスタート地点から精々中腹に差し掛かる程度が限界なのに、なのに、画面の彼等はそれを見事にやってみせた。
素人からすれば、そんなもの超スパルタで頑張れば有り得ない事ではなさそうに思えるが、実際バスケをしてその難しさを理解し、人間からすればそんな生半可な理屈じゃ出来る事ではないと理解している張本人___赤司達は驚いたのだ。しかもキセキの世代でもない、天賦の才をすら持っていない人間ならば尚更にだ。
「ちなみに、驚くのはそこじゃないのよみんな」
桃井の言葉に黄瀬が首を傾げる。
「え…違うんスか?」 「赤司君がそれだけの理由でわざわざ試合を申し込むなんてありえません」
黒子の冷静な言葉に満足げに肯定してみせる赤司の整った顔容に浮かぶのは普段彼が見せる冷淡な表情ではなく、まるで−−−獲物を狙う補食者のようなそれで。黒子は人知れず心の中で赤司に目をつけられたまだ見ぬ人を思い合掌した。そんな黒子を余所に今度は緑間が不可解そうな表情なまま中指で眼鏡のフレームを押上げた。
「ならば…何にそこまでお前は執着しているのだよ」 「いい着眼点だね。そう、俺が興味を示しているのは−−−大会にすら出たことのない最弱チームをこのレベルにまで持ち上げた、マネージャーだよ」
赤司の言葉に思わず青峰が頓狂な声を上げた。
「は…マネージャー?監督じゃなくて?」
先程も言ったとうり、監督が変わりそれによって練習内容も指導方針も変化してチームが強くなるなんて事はよくある事。ちなみに、その逆のまたしかり。だが、監督でもコーチでもない、ましてや素人が弱小チームを強豪校レベルにまで叩き上げたなどとは俄かに信じがたい事だった。キセキの世代の彼らでもさえ、たった半年で最弱のチームをそのレベルにまで仕上げるのには素人には無理だと言い切ろうとしたのにだ。その渦中の人物はその言葉をいとも簡単に覆した。
「ああ。今年二年生になったばかりの女の子のマネージャー…しかもバスケ経験ゼロの子がこのチームをここまで導いた」 「はあ!?マネージャーが?しかも素人?」 「−−−そう。塚原泉希。この子だよ」
赤司の操作によって一時的に停止される画面。そこに映っていたのは皆の予想に反したマネージャーだった。一気に静まる体育館内。既に電話でコンタクトを取っている赤司と桃井以外のメンバーが固まるのも無理はなかった。何故ならそこに映っていたのは−−−マネージャーらしからぬマネージャーだったからだ。
染髪されたオリーブグレーの髪。耳にかけられた髪の隙間から覗く大量のピアス。極めつけは彼女の掛けているメガネ越しにもハッキリと分かるバッチリ施された化粧。ケバいとはまた違う濃い目の化粧に加え容姿はある意味選手たちよりも目立っていた。そして、愛用しているのだろうデコレーションされた拡声器を片手に鋭い眼光でコートの中の選手を見つめるその姿はまるで−−−
「…不良、っスか?」 「というかデコられてる拡声器とか初めて見たしー…」 「ま、まぁ確かに見た目はマネージャーっていうか、ちょっと不良テイストだけど、実力はあるのよきーちゃん…!」
黄瀬の言葉に桃井が苦笑いのまま訂正を入れる。
「それに、電話で話した限りでは意外と普通というか…寧ろかなり丁寧な言葉遣いで喋ってくれたし割と普通の人だったの」 「…人は見かけによらないとはまさにこのことなのだよ」 「ていうかミドちん達も結構失礼な事ずばすば言ってるよねー」 「偏見は良くないですよ緑間君」 「黒子。お前は何故俺をピンポイントで批難するのだよ…!」
先程までの緊張感が失せはじめたのを皮切りに赤司が「はいはい」と口論に発展しそうになっていた雰囲気から自分の方へと引き戻す。
「まぁ、そういう事だから。俺は彼女を見定める為に試合を組んだんだ」 「見定めるって…お前まさかそのマネージャーをうちに引き抜こうなんて思ってんじゃ…」
青峰の言葉に皆が一様に反応を示す中、赤司だけは不敵に笑ってみせた。
「当たり前だろう?それにわざわざ乃木中相手に試合を組んだ意味がない。チームを見定めるだけならDVDを見るだけで事足りる」 「でもさー赤ちん、それって現実的に無理じゃない?」
首を傾げながらながら紫原が赤司に最もなことを提言する。けれどその言葉に臆した様子もなく赤司は再び不敵な笑みを浮かべメンバーたちを見渡した。
「無理じゃないさ。俺が試合を組んだ理由はわかっただろ?ならもう後は言わなくても−−−」 「つまり、彼女自身をその気にさせろ…って事ですか?」 「ああ。俺達が出向くんだ。彼女をその気にさせるよう頑張ってくれよ」 「はあ!?いくなんでも無茶振りすぎっスよ赤司っち!」
思わず立ち上がった黄瀬の言うとうり赤司のその言葉は誰が聞いても不可能に近いと思う他なかった。赤司が時たま突飛な事を言い出す事や厳しいノルマを貸すことは偶にあったこともなくはないが___正直な話今回ばかりは皆口には出さずとも無理であることを内心確信していた。
「黄瀬」 「?」
ただ___赤司征十郎という人間はその程度で引き下がる男ではなかった。
「…出来なかったらどうなるか、わかってるよな?」
絶対零度の笑み。その場に投下された爆弾に、サア…ッと黄瀬の顔から血の気が失せる。他のメンバーも赤司の言葉と笑みに、自分に向けて言われた訳ではないのに思わず顔が引き攣りそうになったのは言うまでもないだろう。一方、爆弾を投下した赤司本人は何もなかったかのように言葉を続ける。
「という事で試合は明日だから。ちゃんと準備しとくように。じゃあ後は任せたよ桃井」 「あ、うん。了解」
じゃあ俺は準備があるからとそそくさと体育館を背にしながら出ていく赤司を残されたメンバーは呆然と見送るしかなったのは言うまでもない。あまりの唐突さにぽかんとなってしまう帝光学園バスケットボール部のメンバー達。それから数秒後、赤司の背中を見送り続けていた黄瀬が一番先に我に返り−−−叫んだ。
「無理に決まってるっスよぉおおお!?」 「ま、まあまあきーちゃん落ち着いて…」 「…まっ精々頑張るこったな黄瀬」 「ひどいっス青峰っち!見捨てないで下さいよー!」
その場に打ちひしがれる黄瀬に誰もが同情する。えぐえぐと顔を覆って泣く素振りを見せる黄瀬に対し冷静な声音が黄瀬の耳殻を叩いた。
「あの、ひとついいですか」 「ん?何、テツ君?」
未だ打ちひしがれる黄瀬の代わりに桃井が黒子の方向を振り返る。そして今度は___黒子の口から思わぬ爆弾が落とされる。
「赤司君のさっきの言葉、あれは多分黄瀬君だけじゃなくて僕たちも含まれてると思うんですけど…」 「………」 「試合に出るのは黄瀬君だけじゃありませんし、おそらく僕らも例外ではないかと」
無表情な黒子とは正反対に固まる一同。
「…マジかよ」 「マジだと思います」
またもや冷静な黒子の言葉に場が沈黙する。そんな一気に重苦しくなってしまった空気を払拭するために桃井が上擦った声でメンバーたちに声をかける。
「ほ、ほら!とりあえず練習再開するからみんな気を取り直して!」 「試合に勝って勝負に負けるってこの事っスか…」 「寧ろ、試合に勝って赤司に負けると言った方が正しいのだよ」 「…やめろ緑間。想像したくねぇ」
的を得すぎた緑間の言葉に青峰が力なくツッコミを入れる。そんな陰鬱な雰囲気が漂い始めた体育館にポツリとメンバーを鼓舞する淡白な声音が___やけに大きく聞こえた 。
「とりあえず…明日の試合、がんばりましょう」
色んな意味でと言いたくなった黒子だがあえてそれは口にしなかった。寧ろそれを口に出来るような雰囲気ではなかった。そんな勇者はこの場所には誰ひとりとして存在しなかった。各自、ひっそりと赤司の例の言葉−−−「どうなるか、わかってるよね」を思い出し、思わず憂鬱な気分で翌日を迎えたのは言うまでもないだろう。
(黄瀬全てはお前に委ねられたのだよ)(はあ!?なんスかこんな時だけ!?)(お前モデルだろ、その無駄に整った顔で口説けばなんとかなんだろ。多分)(頑張って下さい黄瀬君)(がんばれー黄瀬ちん)(あははは…頑張れ、きーちゃん…)
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