部活のミーティングに呼び出されて滅多に通らない三年生の教室の前を通ればクラス越しからファンだろう上級生の女の子たちが騒ぎ出す。頭の中ではまたか、と呆れても決してそれを顔に出すようなことはせずオレは愛想を振り撒く。

(周りの男子の視線が痛いっス…)

しかしここは三年生の教室の前だ。自分の存在感も相俟って一言で言うなら動物園の動物状態だった。オレは居心地の悪さを感じ、気付けば逃げるように人気のない上階層の方へと向かっていた。思い返せば何故真っ直ぐに自分の教室へ引き返さなかったのだろうと思う。その時のオレにしてみれば、本当に何となく静かなそこを求めていたんだろうか。答えは今でもわからない。ある意味途中からは一種の好奇心だったかもしれない。人気のなさを求め、普段は使われていない屋上へと繋がる階段を前に違和感に気付いた。

(あれ、看板がずれてる…)

立ち入り禁止と仰々しく書かれた看板が僅かに傾いているのが目に入った。そのままその奥へ視線を遣って頭を擡げ始めた好奇心にも満たない感情のまま足を踏み入れる。好奇心とは怖いもので、この先に何があるだろうという目先のことにしか思考が行かず待ち受けていた事のその先にまで思考が働かないのだ。目標が目先のことだけだからそれ以下は二の次。オレは寂れた雰囲気を放つ屋上へと繋がるドアノブに手をかけた。キイ。と甲高い金属音がしたあと視界を染めるまばゆい太陽光に目を細める。暗い場所から突然明るい場所に出たのだから当たり前か。数秒もすれば慣れる視界に映した予想外の光景にオレは足を止めた。

なんとなく誰かがいることは予想していたのに、勝手に頭の中で予想していた人物像とかけ離れたその後ろ姿にオレは首をかしげて___固まる。

「え…えッ!?ちょ、ちょっと…!?」

何故ならそこにいたのは典型的な不良といわれるような生徒でなければ、退屈さに負けて授業をボイコットした生徒でもなく、あからさまに負のオーラを背中に纏った男子生徒だったからだ。頼りない薄いフェンスの上に腰を下ろし一歩踏み出せば地面まで真っ逆さまだというのにおくびにも怯んだ様子はなく空中に足を投げ出して気だる気に宙で足を遊ばせているではないか。その様子に頭を過るのは自殺という単語。え、いや、ちょっと、マジか。頭で考えるよりも早く口から飛び出したのは言葉と形容するにはあまりにも形を成さない単語たちで。わたわたと慌てるオレに気づいたのか、フェンスの上の少年は首だけでオレの方を振り返った。その瞬間、体に電流が走ったと思った。あまりにも陳腐な言い方だが本当に、そう言うほかない感覚だった。

ここが上階だからか気流に煽られて揺れる無造作に伸ばされた紺色の髪の隙間から見えた瞳、生気の薄い灯火の双眸は確かに気味が悪いと感じるのに目が離せない惹きつけるなにかがあったと思う。

「えと…死んじゃダメっスよ」

気づいたらそんな言葉を目の前の彼にかけていた。キョトンとした表情した彼は目を丸くしてオレの言葉に耳を傾けていた。

「今はいいことないかもしれないッスけど生きてればきっと、絶対生きてて良かったって思える時が来るっス…!」

男にしては痩躯な目の前の彼は終始オレの言葉に耳を傾けていたかと思えば、その言葉の意味を咀嚼するように視線をしばらく不規則にさ迷わせたあともう一度オレを瞳に映して吹き出した。そりゃもう盛大に。

「あはははは!あは…き、君おもしろいね…!」
「ちょっとお!?オレは真剣に心配して…!」
「心配してくれたの?僕が自殺しないか?」
「!…そ、うッスよ!」

すると目の前の彼はとても悲しそうに笑った。さっきの吹き出した時とは違う、本当に今にも消えてしまいそうな、そんな表情。咄嗟に気まずさを感じ取ったオレの指先は彼のシャツの裾を掴んでいて。オレ自身にもよくわからなかった。なんで初対面の彼にここまで執着じみた行動をとるのか。それは、もしかしたら本能に刷り込まれている感覚からかなんなのか。

すると彼はシャツを握るオレの手を握ると優しくそれを解く。それがまた、突き放されているようで。冷たい彼の手の平はまるでオレを拒絶しているようだった。俺が選んだ返答は間違いだったのだろうか。そう、錯覚しそうだった。すると今度は曖昧に笑みを浮かべる。

「大丈夫、僕にそんな勇気はないから」

ああ。

「…そういう問題じゃないッス」
「うん、勘違いさせたみたいでごめんね」

にこりと笑った彼の言葉が嘘だとオレは一発でわかった。なんとなくとかそんなことじゃない確信が目の前にあった。本当に飛び降りるつもりだったんだと、今の彼の発言でじわじわと恐怖が足元からせり上がってくる。眼前で人が亡くなるという恐怖。あまりにも淡々とした彼の嘘に胃の底が冷たくなるのを感じる。彼は嘘を愛しすぎている。

「小さい頃から高いところが好きでさ」
「…」
「こう、足をプラプラするのが癖なんだ」
「…」
「ダメだね。この歳でやるにはちょっと迂闊だった」

とても上手な嘘だと思う。そういえば昔、赤司っちが嘘というのは多少の真実を織り混ぜると信憑性が増すと言っていたのを思い出した。あのときは赤司っちは俺らの中でも一番博識だったし物事の考え方が達観していたからだと適当に片付けたが、目の前の彼にそれを当てはめると何故か違和感がした。好奇心や勉強熱心から得た知識ではない、身に付けざる得なかったそんな片鱗を垣間見た気がした。

「名前」
「え?」
「オレ黄瀬涼太っていうッス」
「…僕は、紺野蓮」

「そうか、君が」と嬉しそうに破顔する紺野さんに今更ながら色違いの上履きの色に先輩であることに気づく。思いっきり馴れ馴れしく喋りかけすぎたと、顔色を伺うが特に気にした様子もなく紺野センパイは「そっか」と繰り返し、嬉しそうに微笑んだままオレを見ていた。そのセンパイの嬉しそうな表情に思わず胸がきゅんとした。ファンの女の子達が見せる笑顔とは違う、雑念がない、本当に心の底から嬉しいという感情が滲んだそんな顔。かっこいいからとかモデルだからとかそういうことを全て抜きにした、オレ自身を見て笑っていてくれている気がした。

「あの…!」
「ん?」
「俺でよければ、その、話くらいなら聞くっス」
「黄瀬君…」
「むしろ聞くだけしか出来ないっスけど…」

すると紺野センパイはまた悲しそうに笑う。なんで、なんで。思うのになんだか聞いてはいけない気がしてオレは口を噤んだ。これを聞くにはまだ浅い。二人を繋ぐめぐり合わさったばかりの今じゃ関係が浅すぎるのだ。

「ほんとに?」
「ッス!」
「優しいんだね、黄瀬君は。女子にモテる理由がちょっとだけわかったよ」

ちょとだけ。その言葉にとても言葉の使い方に気を遣う人なんだなと思った。紙面や噂のオレじゃなく目の前の今のオレを見ようとしてくれている。今思えば、この出会いも全てが必然だったんじゃないんだろうかとさえ思えてくる。きっと色んなものが欠けた俺たちの出会いは必然だったのかもしれない。

そう。これを機にオレと紺野センパイの奇妙な関係は幕を開けるのだ。


淑やかな嘘だった


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