言い訳としては不十分 うそつきの涙のボツ。大学設定。 闇とは。光がない閉ざされた閉塞的な空間。イコール真っ暗。などを指したりする単語だ。なんとなく闇という文字のイメージからは良い印象は受けづらいのが世間一般の感受の仕方なんだろうかと俺は思う。そして、この闇という単語から派生する"心の闇"という単語もまたあまりいい印象を感じるものではない。何故ならこの単語は精神の奥深くに何か問題を抱える人間に適用されるものだからだ。 「来るな!来たらここから飛び降りるっス!」 それは目の前の彼にも当てはまるものなんだろう。甲高い女子特有の悲鳴と男子の低いヒソヒソと囁き合う声が彼の一言にナリを潜めた。完全に無言とまではいかないがそれなりにさっきよりは静かになったと思う。 ___黄瀬涼太。全中三冠の偉業を成し遂げた帝光中学出身で中学二年からバスケを始めたにも関わらず驚異的なスピードでスタメンの座を勝ち取り、そしてスポーツで有名な海常高校ではバスケ部のエースを努め、今では全国にその名を轟かせる超有名な人気モデル。手持ちのスマホで検索をかければいくつもの彼にまつわる情報が表示された。そう。その輝かしい栄光をはじめ、痴話や逸話。根も葉もない陰口などが沢山、ね。 根も葉もないというのは本人にしか分からないことなので庇護するような使い方は間違っている気もするがまあ、いいか。 どうでもいい。それが俺の脳裏を占める大半だった。あとはアホらしいとか、五月蝿いとかそんな感じのことで批判的な目で彼を見ていることには変わりなかった。 「やめて黄瀬君!そんなことしないで!」 「そうよ死んじゃダメだよ!!」 姦しく喚くファンであろう女子の言葉も今の彼には届きはしない。いつもの明るい笑顔は消え腐る程振りまいていた愛想は今は何処にもない。当たり前か。今から死のうとしてる人間にそんなものあるわけがない。 (面白いよなあ。なんで死んじゃだめなんだろ。お前に不利益でもあんのか?) 漠然とそんなことを思いながらスマホをポケットに忍べる。きっと俺がこの場でなんで?と口にすれば彼女は言葉に詰まるだろう。もしくはテンプレートのありふれた戯言を口にするかのどちらかだ。死にたいなら死ねばいい。勇気がないそんな奴のために裕福になりすぎたこの日本には自殺オフなんて馬鹿げたものまであるのに、目の前の彼は口では大層な自殺宣告をするくせに一向に足は宙へと向けられない。あと一歩。そこから踏み出せば彼が願う開放が待っているのに。どちらにせよここまで来たら後には引き返せない。選択肢は死んで柵から解放されるか、またゴシップ記事の餌になるかの二択だ。 「うるさいうるさいうるさい!!!アンタらに一体なにが分かるっていうんスか!?」 「上っ面しか見てないアンタらにオレの何がわかるんスか!?」 「オレの辛さなんか微塵も理解しようとしないくせに適当な言葉ばっか並べて!!」 必死に説得のつもりで投げかけていた女子たちの言葉は黄瀬涼太にとって地雷だったみたいで、怒りと悲しみとやるせなさでぐちゃぐちゃになった顔を更に涙で濡らしながら彼は叫ぶ。 分かるわけないだろ。彼女らはお前じゃないんだから。上っ面しか見てない?当たり前だ。そういう世界でお前は仕事してるんだから。都合よく履き違えた言葉を黄瀬涼太は未だ俺の目の前で喚き散らしている。全く。生ぬるい馬鹿ばかりの世界になったものだ。俺は恐怖からか足が踏み出せない黄瀬涼太の代わりに一歩、足を前に出した。 「来るなって言ってんだろ!?聞こえないんスか!?」 周りは黄瀬涼太の覇気に気圧されたのか皆一様に黙りこくったまま俺に道を明け渡す。一歩一歩とフェンスの向こうで喚く黄瀬涼太に近づく。その際に「やめろって」と咎めるような声が聞こえたが俺はお構いないしにまた一歩足を踏み出す。気に留める必要なんかない。だって彼は死ねないから。 「来るな!!!」 一際大きな声が吐き出された。五月蝿いな、と思いながらも逆光を背負う黄瀬涼太に目を向ければその手には何処から取り出したのかナイフが握られていた。確認しづらいが大きさと持ち手から察するにバタフライナイフだろうか。刃の形状が記憶のそれと類似していた。だけど、そんなもの歩を止める障害にはなりはしない。だって、ナイフで頚動脈を切る方が勇気がいるからな。 「見えないんスか…!?これがわかんないんスか!?」 「五月蝿いな。見りゃわかるつーの」 俺は正直、有名人とか芸能人とか言われる部類の人間が嫌いだった。ハリボテだらけの世界で偽善と愛想笑いで生き抜く、ご大層な身分を振りかざす奴らが嫌いだった。それは俺がヒネくれてるとかじゃなくて、多分どっちかといえば偏見だ。頭では職業上仕方ないことだと、彼らがいないと世界の一部が成り立たなくなるのも、偽善の言葉でも希望を与えてくれていることがあることも全部理解していた。でも、それでも嫌いだった。だからその世界に片足を突っ込んでいる彼もまた嫌いだったハズで。 でも。 「そんな首の正面じゃない。もっと左だ」 「え、」 「頚動脈切って死ぬんだろ?だったらもっと左だ」 だからこそ彼を可哀想だとも思ったのかもしれない。あの業界を生きるのには綺麗過ぎたんだ。呆気にとられる黄瀬涼太を余所に俺は続ける。 「どこを切りたいんだ?総頚動脈か?鎖骨下頚動脈か?顔面動脈か?」 「…」 「中途半端にやると痛えからなぁ」 「…っ」 「ほら。死にたいんだろ?早く死なねぇと警察来るぞ。出来ないんなら手伝ってやろうか」 ありふれた芸能人にありがちな転落人生のオハナシ。それが私的にはどうにも面白くなかった。だから俺は無慈悲で不謹慎な言葉をあえて選んだ。目の前の彼から反駁は返ってこない。喉の奥で言葉が引き攣って発することができないのだろう。金縛りにあったかのように動けなくなった黄瀬涼太が握るナイフの柄へと手を伸ばす。何を勘違いしたのか周りの野次馬共から安堵のため息やら何やらが聞こえた。残念ながら俺はそんなお人好しじゃないんでね。わざわざ彼の手からナイフを奪ってなんかやらないさ。俺の伸ばした腕の真意にいち早く気づいた黄瀬涼太は、目を見開いた。 「ここだ。この下にお前を柵から開放してくれるスイッチがある。簡単だろ?今手に持ってるそれを使えば一瞬だ」 ググッと柄を握る手に力を込めて白い首筋に宛てがってやる。「ホラ」更に力を込めてやる。けれど、刃先に伝わったのは柔らかい皮膚の弾力ではなく小刻みに震える刃を押しどけようとする力だった。俯く黄瀬涼太を見下ろせば何やら血色の失せた唇が戦慄いていた。 「……だ」 聞こえたのは蚊の鳴くような声だった。 「聞こえない」 吐き捨てる。今度は全身が戦慄いた。 「嫌だ…死にたくない、死にたくないっスよぉ…!!」 吐き出されたそれは紛れもない本心だった。琥珀色の双眸からボロボロと大粒の涙を溢れさせ、まるで小さな子供のように泣きじゃくりはじめた黄瀬涼太の手からはもう力は抜けきっており、握っていたナイフは俺の掌の中へと収まっていた。 ___面白くないから。だから彼が立ち直りまたメディアで名を見かけることがあったその時は、この出来後を笑ってネタにでもして笑っていれば幸いだと思った。 「お人好しじゃないのになぁ」 また騒がしさを取り戻し始める外野と、縋るように胸に顔を埋める黄瀬涼太を見ながら俺はごちた。 俺も、君も。 title:zzz back |