(※狩屋が絶対音感持ち。親捏造)

それは、音楽の授業が始まる前のことだった。
今日は一時間目から移動教室か、と寝惚け眼を擦りながら音楽室に行くと、同じクラスの男子がでたらめにピアノを弾いていた。
と言うより、「叩いていた」と言った方が正しいような気がした。
そのごちゃごちゃした音があまりにもうるさく、低血圧なのも相まって思わずそのでたらめな音名を羅列して「朝っぱらからうっせーんだよ!」と怒鳴ってしまった。
気が付いたときには、皆ぽかん。
ああ、しまった。クラスでは猫被るつもりでいたのに。
誤魔化すようにへらっと笑ってみても、特に効果はなかった。

「狩屋、もしかして絶対音感持ってるの?」

ひょっこり現れた天馬君が、いつものように笑顔を振り撒く。
すごいなあ、なんて目を輝かせる彼のおかげでいらないことを思い出してしまって、チッと舌打ちをする。
まあ、気付かれないように、だけど。

俺の母親はピアノが好きで、毎日のように家を音で溢れさせていた。
まだ幼かった俺にも弾かせてみたらしいが、どうやら才能は無かったらしい。弾けないのが何よりの証拠だ。
そのかわり、これはド、これはレ、など音と触れ合うのは好きだったようで、母親と音当てっこをして遊んでいた。
そのうちに音を識別できるようになり、……いわゆる、絶対音感が身に付いてしまった。
音楽に関心のある人には望ましい能力かもしれないが、俺は断然外でサッカーする方が好きだから、正直持っていても何の得にもならない。
それに、嫌でも母親のことを思い出してしまうから、本当にこれは好ましくないことだった。


*


「お前、絶対音感持ちなんだって?」

部活が終わった帰り道、そう訊いた桃色の頭を夕陽がきらきらと照らしていた。
俺と並んで歩く霧野先輩は、いたって嬉しそうに俺を見ていて、何か企んでいるのではないかとつい思ってしまう。

「な、……天馬君ですか」
「そう。すごいですよねーって言ってた」

まるで自分のことみたいに、と先輩はくすりと笑って言った。
何でそんなに嬉しそうなのか、気になって気になって仕方が無い。
だってこの人が喜んだりするときは大抵、神童先輩が絡んでいるから。
先輩と二人きりでいるというのに急につまらなくなって、俺は口を尖らせる。

「やけに嬉しそうですね、先輩」
「え?ああ、うん。ちょっと」

昔を思い出すのだと言った先輩の表情は、とても柔らかかった。
やっぱり神童先輩絡みだった、と気付かれないように肩を落とし、先輩の思い出話に耳を傾ける。
幼い頃からピアノを習っている神童先輩もやはり、絶対音感持ちらしい。
俺がそうだと知ったときの天馬君の反応を見て、昔の自分と同じだと懐かしく思ったのだと。

「音がわかるなんてすごいね、って。すごく誇らしかったな」

ああ、そうですか。何なのこの人、惚気ですかそうですか。
こんなことでいちいち腹を立てる自分は、とても小さいんだろうと思う。自覚はしている。
けれど、先輩にこんな表情をさせているのが神童先輩だと思うと、どうしてもやりきれない。
先輩が神童先輩を好きなのは知っている。十分にわかっている。
でも、俺だって先輩のこと、

「ん、狩屋どうし……うわっ」

先輩の胸をめがけて体当たりすると、よろりとバランスを崩して倒れそうになった。
すんでのところで踏ん張った先輩は、ぎゅうぎゅうと抱きつく俺に疑問だらけの様子。
それもそうだ、何の脈絡もなく後輩に抱きつかれているのだから。

「どうした?何かあったのか?」

それなのに先輩は抵抗もせず、俺の頭を撫でながら優しく声をかけた。
子ども扱いしやがって、とか面倒見いいもんなこの人、とか頭の中でぐるぐる回る。
この状態で想いを伝えることができたら、どんなに良かっただろう。先輩もちょっとは俺を意識してくれたかもしれない。……まあ、どうでもいいや。
抱きついた先輩の体からは良い匂いがして、それが俺の思考を鈍らせた。
これからどうしようなんて思ってもいない。全くの無計画。
強いて言うなら、もうしばらくこのままでいたい。
とくんとくんと規則的に鳴る先輩の心臓の音を聴いて、これは ≠フ音だ、とぼんやり思いながら、俺の意識は途切れた。



perfect pitch



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