青年Hの非日常
3:26 07 Jan



昨日までがそうだったように、明日も明後日も同じような日々が続くのだろうと思っていた。
早起きして大学に行き、バイトを終えてから帰宅、そして寝る。
自炊が苦手な俺の飯は大体コンビニ、夜はバイト先の賄いでなんとかなる。
大学で出た課題なんてものは、寝る前にちゃちゃっとやって終了だ。
もちろん今日だって、そんな繰り返しに“彼女とお茶”というオプションが付いてるようなものだ。
そう、そのはずだった。


「さようなら」

静かな空気に包まれているカフェに似合わない音を立てて立ち上がった彼女は、小銭をばらばらとテーブルの上に溢した。
何が起こったのか理解しかねた俺は、唖然として彼女の行動を見ていた。
その態度に痺れを切らしたのか、「もう知らない」と言い残して彼女は足早に店を出た。
ハッと気付いて追いかけようとした時には、もう彼女の姿はどこにもなかった。

付き合って半年ほど。
バイト先であるファミレスに彼女が何度か来て、その視線に興味を持つまでに時間はかからなかった。
彼女はいつだって俺を見ていた。
そんな俺も、誰にも気付かれないように彼女を見ていた。
勇気を出して声をかけたのは俺だった。
仕事が終わるまで待っててください、とこっそり彼女に伝えた。
うっすらと頬を染めて頷いた彼女の姿を、今でも鮮明に覚えている。
そこから始まったお付き合いが、たったの五文字で終わってしまったのだ。
理由までは聞かせてくれなかった。
言っても無駄だ、と。

多分、いや、確実に今日は厄日だ。
大学には電車を使って通っているが、今日に限って痴漢に遭った。
何が悲しくて野郎に尻を触られなければならないのか。
偶然手が当たったとは思えないほど意図的な……、いや、二度と思い出したくない。
この心境を表すならば、“最悪”の一語に尽きる。
そんなことがあった上に、彼女からの別れ話。
オマケにやたら黒猫が横切るわ、カラスにはつつかれるわ。
今日はバイト休もう、そう思って彼女といたカフェから真っ直ぐ帰宅。
早く帰って寝たい。
そんなごく単純な願いさえ、神様は聞き入れてくれないようだ。


「……誰?」

間の抜けた声は、アパートのある一室の前―俺の部屋なのだが―に身を縮めて座り込んでいる少女に向けられた。
見たところ、小学生。
冬にこんなところで座っていたら寒いだろうに。
少女は口元までマフラーを引っ張り、顔を林檎みたいに真っ赤にしていた。

「お兄さん、この部屋の人?」

白い息を吐いて、少女は言った。
そうですと頷けば、少女は持っていた鞄の中から手紙を出し、にっこり笑って俺に差し出した。
その笑顔に圧倒され、渋々手紙を受け取り、羅列された字を読んでいく。
簡単に言えば、内容はこうだった。
“この子を預かってください”。
預かってくれる人を探していたら君を見つけただの、君なら安心してこの子を任せられるだの、何だか怖いことも書いてあったが、この際スルーだ。
手紙の最後には“桜庭”と認められていたから、交番にでも届ければ親の元に返してくれるだろう。
今すぐにでも交番に連れていこうと少女を見れば、曇りのない純粋そのものの瞳に捕まった。

「お世話になります」

愛想笑いではない子どもらしい笑顔と、それにそぐわない丁寧な挨拶。
俺はこのとき、自分が子ども好きであり、小学校教諭を目指しているということを他人事のように思った。







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