残像 | ナノ














カンカンと音をたてて歩道橋の階段を上る。彼は並んで歩くときは歩幅を合わせてくれるからいつでも同じ段にいる。でも、黙っている。普段なら隣から煩いくらい話しかけてくるくせに。耐え切れずにわたしから口を開いた。


「……どうしてあんなことしたの」
「何が?」
「何がって」

あたるくんの表情は変わらない。その肩の向こうの空はもう暗いかったけれど、頬はこちらからの夕陽で色づいていた。
男の子っていつのまに大きくなるのね、と場違いな感慨をどこかに抱きながら、少し高い肩の隣で私は少し怯む。

「……あんな言い方ってないじゃない、かわいそうよ」

あたるくんは2、3歩歩いてから手摺りに手をかけて、そのままそこに体を寄りかけた。薄く笑ってどこか斜めに、わたしを見る。

「しのぶは、あいつが好き?」
「……何よ、急に…」
「答えたくなかったらいいよ」

橋下を通ったバイクのエンジン音が遠のいていく。
優しさを装った言葉に、どうしてだか、試されているように感じた。
誰も通らない夕暮れの歩道橋。地上を離れた場所で、誰にも聞かせず懺悔をする儀式のような。

「好きだったら……なんなのよ」

はじめの二文字で止められなかったのは弱さだった。でも精精にと私は、目を見て毅然と答えた。というか、喧嘩腰で。
逸らしたのはあたるくんのほうだった。また小さく笑って、少し俯いた。夕日の影で髪がところどころ赤くなる。

「本当、負けず嫌いだよな」
「私が?」
「そーだよ」
「……あたるくんには言われたくないわね」


彼らしくもない、真剣な顔をした今日のあたるくんを思い出す。
伸ばした面堂くんの手首を掴んで、彼はこう言ったのだ。
お前のもんじゃないだろ――――と、一字違わずはっきりとそう言った。
その言葉は騒がしかった私たちの間にほんの刹那の戦慄をもたらした。
驚いた。彼のそんなに真剣な執心をはじめて見たから。ラムへの独占欲そのものより、あたるくんが面堂くんに対してラムを介せばそこまで真剣に冷たくなれるということに衝撃を受けたのだ。面堂くんが驚いたように唇を閉じた。黙ってぶつかった視線を、あたるくんから解いた。乱暴にその白い手首を投げるように放して、教室を出てラムを呼びながら駆けていった。
いったいなんなのよ、あたるくんったら。私はつとめて明るく響くように出ていった彼を非難した。面堂くんは掴まれていた手首を押さえてそのまま突っ立っていた。指の隙間からすこしだけ赤くなった皮膚が見える。

「面堂くん、もしかして手首痛いの? あのひと本当に乱暴なんだから」
「ああいえ……このくらい」

笑いながら彼は手を離したけれどあたるくんが掴んだ箇所は白い制服の袖に隠れて見えなくなった。
いくら強く掴まれたって確かに、そう痛くはならないだろう。
手首は。
面堂くんは変わらず静かに笑うから、また胸が苦しくなった。
普段ふざけあいながらラムに拒否されても、面堂くんはこうまで笑わない。
泣く振りはしても、笑わないのだ。













「確かにな」

あたるくんはまるで自分自身に困ったというような言い方をして、歩きだす。
手を離した手すりの錆び付いた淵がオレンジの光を弾いた。

「あら、認めるの?」

意地悪のように顔を覗き込むと、いつもより少し弱い柔らかさで、へらりと笑って
「しのぶはかわいいなあ」、と言った。
ふざけないでよ、と出した冗談の平手打ちも身を引いてかわされる。
「逃げるんじゃないわよっ、こら」
「ばか危ないって」
そのままじゃれつくようにたわむれの攻防が少しだけ続いて、下り階段でどちらからともなく休戦する。
「笑って誤魔化してばっかりなんだから」
腕を組んで呆れたわたしの言葉に、やっぱり笑って返事をしない。
音をたてて階段を降りてゆくにつれて、夕日が沈んでしまう。
あたるくんが黙る。
肩が時々、ぶつかりそうでぶつからない。
なんだかいつもと、違うなあと思う。
彼の肩はいつのまにかずっと高くなったし、いつのまにか、私の隣で黙ることも増えた。
確かに、と言った。私の前で言った。いつのまにか彼は、戯れと本気を、残酷なほどはっきりと、区別するようになったのだ。
横顔を見る。私が横にいてもいなくても変わらない顔をしながら、きちんと私と同じ段を歩く。
私はあたるくんがどんな人間だったか一瞬わからなくなってしまう。

「……言えばいいじゃない、そんなに好きなら、好きって」

ひとりごとのように私は呟いた。わからない。
あたるくんの本物に今日、初めて触れた気がした。ああまで強く思う力をどうして、側にいて伝えずにいられるのだろう。
あたるくんは私を見ない。ばか、とでも言われるかと思った。ふざけてまた構ってくるかとも思った。
でもどんな予想にも反して、

「言えるわけないだろ」

と、ただ言った。
驚いて一瞬まばたきをしたうちに、彼は最後の一段をトンと降りて(軽い前髪がふわりと綺麗に弧を描いた)、
「しのぶんちまで送るよ」
と腕を肩に回してきた。
ありがと。目をつむってその手を抓る。
いてて、と叫びながら手を離そうとしない、いつものあたるくんに戻ってしまった。
呆れて怒る私も、茶番劇のような普段の二人に加担してしまう。




私は面堂くんにあんな笑顔を作らせることはできない。思いつく限りのどんなに酷いことをしたって。
私はあたるくんを憎んでいいはずだ。あたるくんの高慢さに嫉妬をしてもいい。
――――意気地なし。
なのにあたるくんの声があまりに深いところから聞こえた気がして、私は他愛ない罵倒さえ出てこなくなってしまう。
どうしてだか、彼の中の切実な本当に触れてしまったような気がした。だから橋を降りてからいつものあたるくんになってしまった彼には、もう聞くことができなかった。


「はらへったなー」
「早く帰れるようになりたいわ」
「面堂がサボるからなかなか終わらんな」
「……サボってるのはあたるくんでしょーが」
「早く終わりゃいいのに、あんなもん」

一番星が光り始める頃、夕日の沈む間際で、連なる屋根の隙間に散りばめられた陽光が私たちの前に二つの長さの違う影を落とした。
あたるくんはいつものように私に笑ったし、私もあたるくんに笑った。いつものとおりに。
夕餉の煙の漂う平坦な道をたどる二人の足音もふざけた触れ方も、距離感も沈黙も。
私は何も知らないで、誰の何の犠牲もなく、今日と同じように明日も続くと思っていたのだった。
それでもなぜかまばたきの合間一瞬見えた諦めるような寂しそうな横顔だけ、影法師の残像みたいに、頭からなかなか消えないのが、不思議だった。
















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